「教育困難校」という言葉をご存じだろうか。さまざまな背景や問題を
抱えた子どもが集まり、教育活動が成立しない高校のことだ。
大学受験は社会の関心を集めるものの、高校受験は、人生にとっての
意味の大きさに反して、あまり注目されていない。しかし、
この高校受験こそ、実は人生前半の最大の分岐点という意味を
持つものである。
高校という学校段階は、子どものもつ学力、家庭環境等の「格差」が
改善される場ではなく、加速される場になってしまっているというのが現実だ。
*+*+ 東洋経済 +*+*
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>>201
「教育にかかる費用」という一側面だけを見るからそういう考えになるのだろうけど、
ではその人たちが大人になったときに誰が面倒を見るのか、という話になる。
たとえば、いたずらに無職化させて生活保護などに追いやれば経済的にも行政的にも負担。
教育に費用がかかったとしても、うまく就職ができれば産業に寄与するし、消費もしてくれるし、税金も払ってくれる。
政策の判断は一つのことだけを見るのではなくて、全体を見ないといけない。
普通課は無理で今はpcソフト系
底辺でもPGとして優秀な奴沢山いるのに、進路指導担当のITスキルと知識が少なすぎてろくな就職先斡旋できない
外部から来るキャリアコーディネーターも機械音痴のジジババばかりだし