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  • 333
  •  
  • 2009/09/26(土) 08:07:30
>>332
> >>326
> ちなみに
> >敢えてステレオタイプを押し付けてるだけなんだが。
と言う文面に見られるとおり、Microsoftネット工作員認定に十分過ぎるほどの書き込みをやってくれたw

時間を工面するぐらいどうにでも自由になる。
>こうかは てきめんだ!
というのは、お前らの惨めな立場を象徴する。 お前ら哀れすぎる。
外出したから、外での活動の余韻が残っている。 しばらく、起きていて自分の必要で引いただけだ。

人には自然な喜び、怒り、悲しみ、安らぎ、 ・・・ があるが、 お前らはまさに記号のキャラクター的ゾンビだ。

命=生命情報 → 社会情報 → 機械情報

と、 意味作用の認定にかかわる関与の社会化に同期して、 
資源の占有、金、統制への欲求が支える力への意志が芽生える。 お前らはその鉄砲玉だ。
だから、日本語・文章がどうのこうのという形式と意味一元化・すなわち力への渇望が垣間見えてくる。

拘束条件を把握することは適切な行動を生み出すには必要なことだ。
あまりもの自由は収束して行動に結びつけることを難しくする。 自由は不自由のもとだ。
だが、不要な制限は行動の意志を殺す。 そこでは自由な意志の躍動はみられなくなる。

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