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どうも。自己愛サイト管理人のyuuです。
質問あったらどうぞ。

俺にはもう時間がない。必要とされる情報を効率的にサイトに反映していきたいと思いこのスレを立てた。
スレの趣旨やルールは必要とあらば逐次書いていこうと思う。

ホームページ
自己愛性パーソナリティ障害と向き合う ―人を尊敬し愛するために―
http://www.geocities.jp/moraharajikoai/

ここまで見た
  • 150
  •  
  • 2012/01/23(月) 02:26:48.97
>>143
毎度勝手にレスつけてすいませんw

>「好きだった人が生き辛さに気づいてNPDを知り、克服出来たら良いのに・・・」
そんな気持ちも湧きました。

私はここが不安だったんですよね。
自分みたいな人間がいて、治ることに過大な希望をもたせてしまったらどうしようって。
それによって、離れることが難しくなった人がいたらどうしようって。
だけど、>>143さんにはわかって貰えてると思うので、>>143さんに対しては不安はありません。

ただ、「病んでいる人達に近づく人間は 実は病んでいる」ということを前向きに捉えて克服しようとしていて、
その経過というか病理がどういったものだったのか気になったりもします。
>>144さんもいますし。
私は自分の障害のことにある程度の区切りがついたら、次はアダルトチルドレンとか、
被害者側の本も読んでみようと思ってます。そうしたら、ちょっとは恩がえしできるかなって。

もちろん、ロムって貰ってるだけで本当もう満足ですよ。
なので、これは戯れ言程度に読み流してもらえればと思いますw


ここまで見た
  • 151
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  • 2012/01/23(月) 02:32:20.85
訂正
>>149

誤 >そういうものがあると、見捨てられないように相手のダメなところは否認して、必死で対象にしがみついてしまう。

正 そういうものがあると、見捨てられるという愛情撤去を阻止しようとして、必死で対象にしがみついてしまう。
そのしがみつきゆえに、対象の負の側面(例えばモラハラ)は否認されてしまい、病理的関係を継続させてしまう。

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被害者です。読んでみてなるほどな、と思いました。
少し、私の経験や考え方を書かせて下さい。
長文なので二回に分けました。

被害を得て考えたのは以下のことです。

1・巧みな嘘による感情の誘導
2・集団(取り巻き)誘導による排除
3・こちらを理解をしている振りが長い、または密着するような誘導と期間が長い
4・けなしが突然表れ、全拒否になるショック
5・恋愛や友達関係に一般は見受けられない、倒れたところを蹴るようなやり方、または砂をかけるやり方を経験する

このようなことが、起こるため恋愛関係だと衝撃が強く復讐を考えたりすることはあると思います。
得に、こちらが築き上げた人間関係を利用して入り込むことが多いので、付き合ったことにより自分の人間関係を壊されたりするのが、恨みのもとだと思います。

ただ今思うのは、彼らのような人間はどこにでもいて、強い衝撃を得ますが未来に付き合う人間を選択していくのには必要な経験であるかもしれないと言うことです。

逆に仕事上や金銭や婚姻前ならば、経験したことは幸運かもしれないと思います。
彼らのように、障害か、はたまた意図的にやってしまう人間がいても、それに揺らがないことが重要です。


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続く。

問題は被害者側が、繰り返しこのような経験をすることであり、そのような経験しかしらないケースです。

その場合は、再生に時間がかかります。

まず、相手と自分の相違点を引き出し考えることが重要かと思います。
そして、なぜ被害を得ることになったかを振り返ることが必要です。

それらを冷静に見つめられるようになると、いろいろ理解できるようになり世界が二倍広がったような気持ちになりました。

1番の問題は、関係崩壊後に、関係性を絶対再構築できない相手であること。

また、相手は譲歩したり、こちらの気持ちを考えられないため折り合い地点が見つからないこと。

これらが関係性の失敗を越えるために必要なことですが、できない、または皆無なため精神的再生には苦労します。

しかし、後から考えてみれば上のような注意点は知り合った時からあるんですよね。なぜ、それに気がつかなかったのか、と言うことが腹立たしいわけです。時には、嘘や誘導が巧みで気がつきませんから。

まず、相手を理解する前に、許す前に、自分を理解し許さないと、投影ばかりしてたら誰でもおかしくなりますよね(笑)。

問題は医療界隈の遅れもありますよね。加害者や被害者だけの問題とも違いますし。
スレ主さんのような方もいますから。

ただ一つ言えることは、自己愛性のパーソナリティの方々は、大変苦労していかれると感じますよ。
被害者が得た苦労の基を作る、発生させるということは抱え切れないということですから。だから被害者のような人間がいつでも必要なんでしょう。

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「逆に仕事上や金銭や婚姻前ならば、経験したことは幸運かもしれないと思います。」は訂正です。

→逆に仕事上や金銭でなかったり、婚姻前ならば、経験したことは幸運かもしれないと思います。


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  • 155
  •  
  • 2012/01/23(月) 03:34:28.66
レスありがとうございます。
ちょっと聞いておきたいんですけど、
>>152さんは>>144さんとは違う方ということであってますか?

ここまで見た
障害というのは一生背負うということで、緩和されることもありますが、工夫と自己認知が生まれ育つまでかなり時間がかかります。

それを被害者がどうにかする方法もないです。この障害においては、自覚がポイントだから。同情も必要ないと思います。
障害があってもなくても、同じ人間だからです。
被害者が自分もおかしいと考えるより、この障害から学び取り、行動に移さないことが大事かなと思います。
避けたくなることですし、障害を理解したくない(嫌な思いをしてるため)ですが、知ればしるほどに自分との違いに気づく。
その時には相手を思う気持ちも変わります。ある一定数で現れる人たちと考えられるようになる。

スレ主さんのような方がいたことは驚きでした。頑張って下さい。

ありがとう。

ここまで見た
はい、違います。
yuuさん、頑張ってサイト続けてください。この障害をうまく表現できる人はあまりいませんよ。
あなたがいて私はかなり助かりました。と、いうことで書きこみしたのです。

では、またロムに戻ります。おやすみなさい。

ここまで見た
  • 158
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  • 2012/01/23(月) 04:00:25.55
>>157
どうもありがとうございます。
通りすがりの方ではなかったんですね。
ロム専と言わず、思うところがあればカキコして下さいね。
NPD とモラハラに対する考えから、相当悩まれたということがヒシヒシと伝わってきました。
後できちんとレスさせて頂きます。

おやすみなさい。

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  • 159
  •  
  • 2012/01/23(月) 05:03:22.26
訂正

>>147のレスは
>>144さんへのレスでした。ややこしくてごめんなさい。

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  • 160
  • 144
  • 2012/01/23(月) 12:21:53.93
お返事ありがとうございます

共依存についての本など何冊か読んでみたのですが、自分のこととして考えると
なんだかよく分からなくなってしまいます。
今はもうその相手と離れていて、もう会いたくないという気持ちなのですが
嫌な感情や、記憶を一日に何度も思い出してしまいます。

>典型例としては、病理的な母親がいて、子の分離に無意識に愛情撤去を行うような関係です。
私の母は境界性と診断がついているのでその通りだと思います。

>行動化を伴わない境界例とか、もしくは
>アダルトチルドレンの傾向を持つ人なんだと思います。
アダルトチルドレンなのは間違いないと思います。
気分の浮き沈みはないので境界例ではないと思うのですが…

気になっているのですが、自分は過敏型の自己愛の特徴にあてはまります。
相手は無関心型の自己愛の特徴にあてはまります。
もしかしたら二人とも自己愛なのかとも疑っています。

ここまで見た
パートナーが自己愛性人格障害で間違いないと思っています。
彼女の父親が自己愛で、彼女も肥大した自己像を持っています。
モラハラは少ないのですが、非人間的な行動、例えば不倫、それを誤魔化すための嘘嘘嘘の数々があります。

自己愛性人格障害からの回復で、ありのままの自分を許し、ありのままの自分を受け入れるとありますが、
そうなることで、他人の痛みが分かり、非人間的な行動を止めるということに繋がることがいまいち理解出来ていません。
自分でこの人格障害を認識し、回復出来れば、他人の痛みに対する視点、道徳等の価値観は変わるのでしょうか?
もしそうならどのようなメカニズムで変わるのでしょうか?

ここまで見た
  • 162
  •  
  • 2012/01/23(月) 22:34:59.99
すいません、きちんとレスしたいので、少し時間を下さい。


ここまで見た
  • 163
  •  
  • 2012/01/25(水) 19:07:51.41
ちょっと仕事だとか、それ以外のゴタゴタが色々重なって、
時間的にも精神的にも多少余裕がなくなってきました。考えがまとまらない。
対NPD は本当に本当に本当に疲れますね。憎悪にとらわれるということがよく理解できました。
と同時に思考能力も奪われるので、すごくやっかいです。
そういう状況で考えがまとまらないので変なレスになるかもしれませんが、
大目にみて頂けるとありがたいです。

ここまで見た
  • 164
  •  
  • 2012/01/25(水) 19:32:48.22
>>144
お母様に不健康な部分があるということは、>>144さんも同様のものを抱える可能性があるということですよね。
特に、境界性の場合はその傾向がすごく強くなると思います。

>今はもうその相手と離れていて、もう会いたくないという気持ちなのですが
嫌な感情や、記憶を一日に何度も思い出してしまいます。

これは、心の平衡を壊すほどの侵襲があったということだと思います。いわゆる「トラウマ」ではないでしょうか。
多分ですけど、これは時間が解決する類のものだと思いますよ。
早く不快な感情から抜け出したという気持ちを持つとは思いますが、焦っても中々よくならないと思います。
好きな事をしたり、あまり考えないでボーットする時間も必要かもしれません。

アダルトチルドレンについては、http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/acetc.htm このサイトの「ACと人格障害」という項の見方が
私には一番しっくりきました。そう考えると、境界性パーソナリティ障害と同様、自己治癒というのは大変に難しいと思います。

>また、そういう問題のある相手と長期間関係を結んでいたということは
自分自身にも何か重大な問題があると思うのですが、何が考えられるのでしょうか

多分そこですごく大事になってくるのが、この部分だと思う。

ここまで見た
  • 165
  •  
  • 2012/01/25(水) 20:07:24.78
何度書き直しても言いたい事が言えない。考えがまとまらない。不思議だ。
多分これが被害者の人が味わっていることなんだと思います。
すいません、現実処理&回復できたら戻ってきます。


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直前にご質問されている方本人ではありませんが、
yuuさん、回答に根を詰めなくても良いと思いますよ。
まずはご自身の身の回りのことを優先してくださいね。

>対NPD は本当に本当に本当に疲れますね。

というお話、今、お父様かご親戚の方と向き合われているのかもしれませんね。
じっくりとご自身の身の回りから対応していっていただければと思います。

気長ー…にお待ちしながらスレ保持させていただくようにしますので、
がんばり過ぎませんように。

ここまで見た
  • 167
  •  
  • 2012/01/26(木) 02:38:37.66
>>164続き

NPD の相手と長期間関係を結んでいて、何らかの問題があるのでないかとおっしゃる。
私は境界性もしくはその軽症型、現実検討能力が保たれているという意味での、ACではないかと思いました。
そうでなければ病理的なNPD と長期間関係を結ぶという事は本当にむずかしい。
共依存の本も読まれたそうですが、やっぱり難しいと思います。根本的な部分になると、そういった現象を形成する
病理突き止めて学ばなければならないからです。それに必要とされるエネルギーというのは、健康な人でも
ひねりだすのが難しいくらい大きなものです。そこでは、やはり考えることが重要になる。
仮にあるとして、その自身の病理をどう評価するかということがポイントになります。

自分自身の心的平衡が保たれていて、実生活に問題がないのであれば、ほとんどの人は治療の必要性を感じません。
その最たるものが安定した人格構造をもつNPD です。周囲の人は困っていても、自分がおかしいとは思いませんから。
逆に、自身で気にしすぎている場合、その人は病院にいきますよね。中には心気症と判断される人もいると思います。
要は、自己の病理をどう捉えるかということだと思うんです。
それを治療しなければ、自分は幸せにはなれない、今後も同じ失敗を繰り返してしまいそうだと感じているのであれば、
援助を受けなければならないかもしれない。

治療を受けなくとも生きていける、成長してよりよい人生をつかみ取れると考えるのであれば、
それはそれでいいんだと思います。今までの人生経験から、
あなた自身が自身の病理をどう捉えるかということが、道を決める最も大きな要素だと思うんです。

ここまで見た
  • 168
  •  
  • 2012/01/26(木) 02:38:52.95

>気分の浮き沈みはないので境界例ではないと思うのですが…

確かにBPD はNPD に比べて抑うつを感じやすいです。
それが全くないのであれば、自己の凝集性は保たれているのでしょう。

>気になっているのですが、自分は過敏型の自己愛の特徴にあてはまります。
相手は無関心型の自己愛の特徴にあてはまります。
もしかしたら二人とも自己愛なのかとも疑っています。

これはNPD と長く一緒にいた人はみんなそう思ってしまうので、なんとも言えません。
NPD は自分の悪い所を投影して苛烈な攻撃を継続的に行うからです。
そういう時ってすごく辛いじゃないですか。心が痛い。
それが一定以上強いと人は、「摂取」という機制が働いて、無意識にその人と同じ考えや行動をとるようになるんです。
何故かと言えば、そうすることで自分が痛くなくなる、悩まなくて済むようになるからです。
同じような人間になることによって、不合理な感情や行動の痛みを感じないようにして、自分を守ろうとする防衛機制が働くんです。
相手がNPD の場合ものすごく強く働く。強烈すぎますから。

そうすると、離れた後に苦しむことになる人が多いです。「摂取性同一視」もしくは「とり入れ性同一視」と呼ばれるものですが、
かつて自分を守ってくれていたものに、後で苦しめられることになってしまう。
交際中は自分を守るためにはたらいていたものが、本質的には不適応的、自我異和的なものだったために、
自分の中に取り入れた病理に対して拒否反応がでてきてしまう。これを体験する人は多いと思います。

仮に本当のNPD だとしたら、「愛することがわからない」「情緒的に深い繋がりがあった恋人などには失望してしまう」
「慢性の空虚感(満足する機能の欠落)」「結果がすべてという価値観」が顕著だと思います。
対象接近衝動もありません。つまり、人格構造が安定しているために、自分から対象を見捨てる、
我が道を行けるということです。 splendid isolation 、ひきこもり及び一匹狼的な生き方ができるということです。

後、レスは>>144でなくて>160でしたね。毎度ごめんなさい。


ここまで見た
  • 169
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  • 2012/01/26(木) 02:39:34.50
>>166

すいませんすごく楽になりました。
ありがとうございます!


ここまで見た
  • 170
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  • 2012/01/26(木) 02:41:30.47
>>168の続き

だから、自分がNPD なのではないかと考えてしまう。典型的な病理の現れの一つだと思います。

ここまで見た
  • 171
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  • 2012/01/26(木) 03:21:29.63


>>161
こんにちは。パートナーがNPD というのは本当に辛い事が多いと思います。
書いて力になれるなら嬉しいです。

えっと、私が書いた>>132からのレスへの疑問ですよね。
これは少しややこしいですが、書いてみます。

>自己愛性人格障害からの回復で、ありのままの自分を許し、ありのままの自分を受け入れるとありますが、
そうなることで、他人の痛みが分かり、非人間的な行動を止めるということに繋がることがいまいち理解出来ていません。

えっと、この段階は最終段階なので、かなり省略されてます。そこについて書きます。
まず、NPD と接している人であれば言われたらわかることがあると思います。
彼らは「心の痛みが存在しない人たち」なんです。
「喜怒哀楽」で言えば、「哀」の感情が欠落しているということです。
より正確に言えば、「怒」にともなう勝利感、征服感、爽快感で、「哀」の感情を吹き飛ばして、否認しているんです。
ここに病理があります。


ここまで見た
  • 172
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  • 2012/01/26(木) 03:22:22.65
実はこの「哀」の感情が、罪悪感、償い、自己反省の起源なんです。
健康な人の成長過程において、人を傷つけてしまった時は、悪いひどいことをしてしまったという
「罪の意識、悔い、悲しみ」の感情をまず感じます。これら感情を心に留め置く事ができた子どもには次に、
傷つけてしまった相手の傷を治したい、癒したいという「償い」の気持ちが生まれていくわけです。
ですがそれはものすごくつらい過程です。大人でも、心ないことを言われたり、上司にボロクソに言われたり、
傷つきを乗り越えるのって辛いじゃないですか。それを一才前後の子どもがやるわけです。
その時の感情の衝撃というのは、「生きるか死ぬか」というほどの激烈な感情を子に体験させます。
いわゆる「抑うつ」という悲しみであり、心の痛みのことです。
それに耐えることができた子は、その次の段階として、「気配り、思いやり」といった感情を償いの気持ちから
獲得していきます。そういった体験を他者と繰り替えしていく過程で、自分の攻撃に耐えてくれた、
許してくれた対象への「感謝」の気持ちを獲得していきます。
そうすることで、人は成長していくんです。

ですが、NPD にはこの過程が欠落しています。
人を傷つけたことに対する抑うつや悲哀の感情に耐えられないと、人は、「相手はそもそも無傷だ。そもそも相手自体どうってことないわ」
とか、「まあこれだけ経ちゃもう大丈夫だろ、多分」というように心の痛みを感じない形で自身の行動を合理化・正当化します。
悲しみの反対の感情、躁的な、ハイな感情で悲しみを覆い隠すんです。これだと反省だとか償いの気持ちは生まれません。
「躁的防衛」とよばれる機制です。


ここまで見た
  • 173
  •  
  • 2012/01/26(木) 03:22:42.02

で、NPD はこの機制が強力すぎて、悲しむことがありません。
実は、「心の痛みが存在しない」んです。そうするとどういったことが起きるか。
人は、心の痛みを感じることで、自分の行動がどういった破壊性をもっているかを認識できるし、逆に相手にこれはやってはいけないという
思いも湧いてきます。つまり、心の痛みを感じることによって、自身の行動に内的ブレーキがかかるんです。
だけどそれがないと、相手を傷つけているということがわからないから、他者破壊的行動も合理化されて延々と続いてしまいます。
人を病的に傷つけてしまう。人の心の痛みは一切考慮されずに。
何故他者の心の痛みがわからないかと言えば、実はNPD は、「自分の心の痛みさえもわからない」人たちなんです。
これはすごく大きなことだと思います。

痛覚を失った(例:無痛症)の子どもは、時に自己と他者を深く傷つけます。
何故かと言えば、自身の行動がどのような帰結を経るかということが、自分の体で体感されていないからです。
そこに「痛覚」という行動抑制機構、懲罰責反省機構は存在しません。
この心バージョンが、NPD の病理です。「心のブレーキ」が存在しないんです。

これが反省しないメカニズムですが、このシステムが健康なものになれば「他人の痛みが分かる」ようになります。
そうすると、非人間的な行動は少なくなってくると思います。道徳感、倫理観備わってくると思います。

ここまで見た
  • 174
  •  
  • 2012/01/26(木) 03:54:15.06
ただ、「共感できない」という一つの日本語で言い表されることに対して、
その原因が一つかというと、実はそうではないんです。
たとえば共感できないを例にとると、他には「失望」してしまうことによって、
対象をボロぞうきんのように扱うことがあります。
この状態になれば、相手の事情は一切顧慮されません。当然「共感」も…。
なので、今言ったことは、大きな原因の一つです。他にも色々組みあわさってます。
だけどこれが一番大きな原因だとは思います。

ここまで見た
  • 175
  •  
  • 2012/01/26(木) 04:23:34.76
あーだめだまとまんない。
すいませんわかりにくくて、ごめんなさいおやすみなさい。


ここまで見た
  • 176
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  • 2012/01/26(木) 06:00:36.78
>>174の続き

私が>>132で書いたことは、愛すること関してでした。
「共感」もこれに近い部分があると思います。
えっと、まず「愛」を「見返りを求めずに、他者を想いたわること」と定義させて下さい。無償の愛とか言いますよね。
「共感」を、「自己の精神装置で他者の内的世界を体験すること」と定義させて下さい。人の感じている痛みや喜びに思いを馳せ、共に味わうということですね。

そうすると、これは私の感情への考え方ですけど、愛も共感も自分が中心ではなくて、
相手が中心になるという性質をもつものなんだと思います。
感覚としては、リビドー(遠いのでこの言葉は使いたくありませんが、他に思いつきません)が、対象へ向かっている、対象に備給されているということなんです。
内的世界を表現するのにはこの言葉が一番しっくりきました。

人の心(感情)のようなものを、腹部あたりにある丸い光源で表現するなら、そういうものを感じることはできるけれど、
NPD の場合は、ありのままの自分を許すまで、その球体は鉄でガッチリ覆われてしまっていました。
その球体からの感情の出口がないんです。感覚的には、リビドーが自分の中をグルグルまわっているという感じです。
こういった段階では、本質的な意味で、他者を愛することはできません。
共感もできない。自分と人との関係ではなくて、「自分と自分との関係」なんです。
「与えることはできない」とも言えると思います。
そういった状態だから、>>172 のところでいったような反省、償い、感謝の感情を獲得して、次の段階への素地はできていても、
「愛する」ことや、厳密な意味での「共感」はできません。

感情群が、「自分の中に生起する」ことと、それを「対象に与える」ことって、NPDの場合には大きな壁があるんです。
出口がないですから。

うまく言えないけどこんな感じです。外傷をうけて頭が働きませんが、リハビリだと思うことにしましたw

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  • 177
  •  
  • 2012/01/26(木) 07:33:49.84
>>152

私は、モラハラには種類があると思うと書きました。 >>152さんの被害m、モラハラという言葉に包含されるものだと思います。

以下に書くことは個人的な考えなので、その程度のものだと受け取って下さい。
まず、私はNPD と関わった人には、その被害者(とされる人)にも少なからず病理があると思っていました。
だけど、私自身の体験を経て、ほとんど、もしくは全く落ち度がない人たちも一定数いると考えるようになりました。
多分>>152さんは後者だと思います。

まずモラハラの性質を考えてみます。
NPDが他者を病的に傷つける時、その衝動の発生源は二つあります。

一つは、いわゆる理想の母親を求めるという成長欲求です。NPD は皆心に欠損を抱えています。
それは環境要因で作られた、成長することができなかった「心の欠損」です。

人は皆、その発達過程において、二つの養分を必要とします。
一つめの養分は、自分の自己顕示欲を含めてありのままの自分を認めてくれる過程です。
受容と承認を母親から適切に与えられることによって、人は基本的信頼(いわゆるだいじょうぶ感)を育みます。
それは無条件の愛とも言い換えられると思います。その体験を経ることで、子どもは「ありのままの自分でいいんだ」ということがわかってきます。
これに失敗した子どもは、自分の存在価値を認められなくなり、この世で生きる理由を得るために、
空想世界で本能衝動を満たすようなります。「本当は僕はすごいんだぞ!」「僕のすごさを知れば、みんな僕を認めてくれるんだ!」
これが誇大的自己の生成過程です。つまり、無価値な、生きる価値のない自己をバランスするために誇大的自己は生まれました。
この過程を母親が適切に処理すると、つまりいよい部分は認めて、出過ぎた部分は修正するなどの現実に沿った認識が育むように接すると、
誇大的自己は修正されてゆきます。ありのままの自分でいいということがわかるということです。


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  • 178
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  • 2012/01/26(木) 07:34:14.89

二つ目の養分は、理想化された親のイメージです。幼児は皆、発達過程において親を理想化します。
理想化された完全無欠の親から認められることによって、そしてまた、なだめられたり寝かしつけられることによって心的平衡を形作る能力を得るわけです。
そういった過程を経ていく中で、子どもは、親も一人の人間なんだなという「適度な失望」を体験してゆきます。
逆に言えば、現実に沿った考え方ができるようになるということです。
そうして、次第に親が果たしてくれていた機能を自己に内在化してゆきます。
ですが、そこで外傷的な失望など(全く気持ちををわかってくれないなど)すると、子どもは理想化された親のイメージを内在化できません。
そこに病理が生まれます。親が与えてくれるはずだった、寝かしつけたりなだめてくれたりするなどの、緊張緩和機能を内在化できず、
対人緊張が顕著になります。また、理想化された親から是認される経験がほとんど得られなかったために、
その機能をその後の対人関係において求め続けて、完全無欠の、理想的人物に認められることを生涯に渡って希求するようになります。
親から認められて、満足するという機能を自身の超自我に内在化することができず、何を成し遂げても自分で満足することができなくなるということです。
ここに自己評価が外在化されてしまい、理想的な人物を求め続ける欠損が生じます。
これら二つを合わせて、「理想化された」+「母親(ありのままの自分の受容と承認)」を希求することとなります。
しかし理想に適うような人間等などいるはずもないので、必ず失望してしまいます。

そうやって理想的な対象が受容と承認を満たしてくれないと、何故かはわからないけど、怒りが湧いてくるような欠損を抱えてしまいます。
幼児期体験の再現です。これが、モラルハラスメントの一形態です。これは主に恋人とか夫婦等、パートナー間で作用するものだと思います。

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  • 2012/01/26(木) 07:34:37.05

もう一つは、自己の優越性を感じることによって、自己の誇大感を満たすタイプです。
誇大感、万能感の充足目的としてのモラルハラスメントです。
NPD は元来サディスティックな人間ですが、それには理由があります。

>「他人に苦痛を被らせたいという願望は、サディズムの本質ではない。中心的な衝動は、
他人への完全なる征服権(mastery)を得ることで、その男なり女なりを私たちの思い通りになる無力な対象者とし、
彼女の絶対的統治者(ruler)になり、彼女の神となって、彼女を好きなようにするということだ――すべてがこの目的のための手段なのだ。
そして最も過激な方法として彼女を苦しませることを意図する。なぜなら、痛みを被らせるほど他者に対して大きな権力を誇示することはないからだ。
彼女が自分を防御できないようにし、苦しみを経験するよう強いる。他者を完全に支配する喜びは、
サディスティックな欲動の本質中の本質だ(Hazelwood and Michaud 2001, p88)」(p380)
パーソナリティ障害 治る人、治らない人 マイケル・H・ストーン

つまり相手を苦しめる事によって、自分の優越性を認識し、人格構造ゆえの報酬装置から全能感を得るということです。

ここまで見た
  • 180
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  • 2012/01/26(木) 07:34:53.17
もう一つは、嗜癖です。

>「悪意に満ちていること
顕著な特徴として見分けられる意地悪さは、病理性が高く特に治癒が難しい。この治療がチャレンジとなる理由は、
おそらく意地悪さに快楽的側面が存在する事に由来している。復習に関係した空想や衝動は、飢餓や肉欲と並んで、
「美味」とすら描写されてきており、それゆえに簡単には断念されない(Carey 2004)。」(p334)

サディスティックに他者をいたぶることによって自己の優越性を周囲に誇示し、その行いから万能感をえることによって、
自己の全能感に満ちた快楽に酔いしれているということです。ただ大概そういう人は、病理的行動の愉悦的側面には嫌悪感を示したりします。
それは快感は無意識下で得られているということです。自分が醜悪な人間で喜ぶ人なんていないですよね。
そのようなメカニズムがあって、他者をいたぶる事が、誇大的自己の全能感を満たすという報酬装置として機能しているということです。
そして心の痛みも感じない、反省しない、どこまでも自己正当化するのがNPDだとするなら、
そこには>>152さんの体験したような病理的行動が在ると思います。

そういった意味で、後者のモラルハラスメントは私は通り魔みたいなものだと思います。
被害者に全くと言っていいほど落ち度がない場合もあると思うんです。
そういう関係性の中で悩むことになった人は、自分がおかしいと考える必要はないと思います。
確かにスキはあったかもしれないけど、本当にそれだけなんだと思います。



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  • 2012/01/26(木) 07:59:06.59
後これはちょっと前に書いて投下しなかったレスですが、
今はこれよりうまくかける状況じゃないので、投下します。



個人的には人為的に他者にNPDだと自覚させて治療意志を持たせることは不可能だと思う。
パーソナリティは自我への親和性が高いから、それがある程度機能している限りにおいて
本人はほとんど苦痛や不便を感じない。仮に苦痛を感じたとしても、主観的には人と変わらない程度のものだと思う。
そういう状態の時には何を言ってもNPDは耳を貸さない。不具合がないのだから当然だ。

ではどういった時なら彼らは自分と向き合うようになるのか。
それは「追いつめられた時」以外にはありえない。
抑うつを体験したり、無能的自己に移行して自暴自棄の感情が押し寄せてきたりと、
四面楚歌の状況にならない限りNPDは自身の「人格」には考えが及ばない。
抑うつや破滅的な感情を体験した時に初めて、
その問題を招いた「もと」は一体何なのかと考えるようになるんだ。

ある程度の人ならそこで気がつくことができるかもしれない。
だけどそれは誰にでもある人生の挫折であるとか、そういう類のものだと認識して、
そのままの姿で前進を試みる人というのが、99%だと思う。
自身の人格の病理性を確信できないと、決して「受診」には至らない。


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  • 182
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  • 2012/01/26(木) 07:59:29.75

思うんだけど、人との出会いや、その人なりのものの考え方、タイミングとか、周囲の環境とか、
そういった色んな要素が噛み合わないと、人はそこまで追いつめられないのだと思う。
自身の異常性に気がつけても、周囲の人に聞いて返ってくる言葉はあたりさわりのない言葉だ。
誰も「君の人格は異常だ」とは言わない。そのレッテルそのものが侵害性を持っているから。

どういう人が受診に至るかというと、その大部分は、ある意味では「狂いきった人」だと思う。
多少の狂いじゃそのままやっていけてしまう。問題の本質に気づかずに。
そんなくらいなら狂っていて、悩んで、他者の声が耳に入ってくる方がマシだ。

成功者は治らない。

なにをやってもうまくいかない、そういう状況下で本人が気がつかないといけない。
そう考えてみても、他者の人生を左右するような場面というのは、人にはつくれっこないものだと思う。

病的な人に惹かれるのは、その人自身が病的側面を持ち合わせているからだと言われる。
NPDの場合パートナーが持つものはなにか。

「救世主妄想」

これにつきると思う。
自身の自己不確実感を、他者に必要とされることによって補償するというメカニズムがある。
救いたいと思うあなたが救われなければならないのかもしれない。

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  • 183
  •  
  • 2012/01/26(木) 08:19:54.38
後、メールをくれた人、ありがとう。ちゃんと読んでるよ。
数人いたけど、返信はここでさせて貰うね。それで大丈夫そうだから。
>>181>>182
もそれへの返信です。

確かに、私がサイトを開設したりすることで、NPD は治るという一例は示せたと思います。
だけど、今NPD とつきあっている人たちが、自分のパートナーも治ると過度に期待するのは止めて欲しい。
苦労して、傷つくのは、あなただから。
確かに別れの痛みは辛いと思います。何とかしたいと思うのはごく自然なことだと思います。
だけど、結果がどうであれ、治そうと試みる過程で負う痛みは、離れることで生じる痛みより、もっとずっと多いと思います。

本当に、NPD は変わらない。

治療意志を持つのも、その先も、本当に難しいです。
だから、このスレやサイトを見ている人は、考えてほしいです。
何のため見ているのかということを。
別に理由がもないのもそれはそれでいいと思います。クソスレだしw
ただ、私が治らない点をきちんと伝えられてなかったとしたら、そこは私の落ち度です。ごめんなさい。


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  • 184
  • 161
  • 2012/01/26(木) 19:48:13.18
>>Yuuさん
とても分かりやすい説明ありがとうごさいます。
ほんとに役立ちます。
否認と躁的防衛的なことで悲しみを感じてないことはなんとなく感じていたので、言葉で説明してもらって納得出来ます。
ただ一点、彼女はすぐ泣くんですよね。
泣きながら口にする言葉が、自分が可哀想ってことだけで傷ついた人のことなど全く考えてないから、俺も辛いんですけどね。
90%以上彼女に原因があっても、他人を傷付けたことは全く反省せずに、勝手に可哀想な自分な状況にして泣けるんですよね。
このときは哀の状況なんですかね?

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自己申告します。
>>20から>>75までちょこちょこレスしてきましたが、
先日NPDと医師に診断されたこと自体が誤診だったとされました。
NPDの自己チェック表のスケールにどれにも引っかからない私でしたが
亜型でもなかったようで、ちょっと安心しました。
でも対人関係上、私の抑うつ状態を作ったのは
NPDの上司と考えられました。

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NPDの精神病理を読んで解ったことですが、
人にはいろいろなタイプがあるから、で、括れてしまうものかと思いました。
2度と抑うつ状態にはなりたくはありませんが、
時間が経つにつれ、昔を語れることになるかもしれません。
カウンセリングと投薬治療を行っていますが、
それももうすぐ終わるとのことですし。

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  • 187
  •  
  • 2012/01/27(金) 01:05:54.47
すいません、考えがまとまらなくてきちんとレスできてる気がしないんですけど、
そう思って貰えたなら良かったです。

>ただ一点、彼女はすぐ泣くんですよね。
泣きながら口にする言葉が、自分が可哀想ってことだけで傷ついた人のことなど全く考えてないから、俺も辛いんですけどね。

NPD でも良く泣く事はあると思います。
何で泣くのかというと、>>184 さんには自己開示ができているからだと思います。
これってNPD には結構難しいことなんです。自分を受け入れてもらっているという体験じゃないですか。
無条件には愛されなかった体験から、NPD はありのままの(例:涙を流す)自分を見せるのは本当に難しいです。
ただ、自己開示ができているということは、裏を返せば、理想の母親の変わりとしての受容とか、承認とか、
そういうものを求めていて、そうすると異性として見られなくなってくることもあるかもしれません。
不倫があるとすると、理想の母親だとか父親になっている部分はあるのかもしれない。

NPD は他人に涙を見せることはあまりないんじゃないかと思うんですが、
泣く事自体はあると思います。それって「哀」の感情だと思いますよね。
だけど、実は、人って本当の意味の悲しみを感じなくても、涙がでるんです。
感情が高ぶった時とかがそうだと思います。悲しいから泣くんじゃないです。
そうすると、特徴としてあるのが、おっしゃる通り反省しないということになるんだと思います。
しばらく経つと、さも泣いた事自体なかったかのようにケロッとしてませんか?
それは、悲しみをともなわない涙だと思います。まさに、


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  • 188
  •  
  • 2012/01/27(金) 01:09:24.77

>勝手に可哀想な自分な状況にして泣けるんですよね。

この状況だと思います。
NPD が生まれ変わる上で、すごく大切なことって、実は自分の中にある色んな生の感情に気づくことなんです。
表面上は人と同じ感情表出があっても、そこに相応の情緒はともなっていません。

>「両親は彼女に対して極端に厳しかった。彼女は母親が非共感的だと思っただけでなく、
父親にも近寄りがたいと感じていた。家庭では厳格なキリスト教的価値観が支配的で、子どもの彼女につねに重くのしかかっており、
そのため、感情の不確かさを伴う、自己愛障害性の自尊心の問題が引き起こされた。長年の間、彼女は感情をほとんど経験できなかった。
仕事をうまくこなし、愛想のよいペルソナで期待に応えて、これを補償していたのである。
治療としては、失われた感情を彼女が取り戻せるよう助ける必要があったし、
傷ついて口を閉ざしてしまった内なる子どもと再び対話させなければならなかった。」(p98)
自己愛障害の臨床 カトリン・アスパー

躁的防衛もその一つですが、重要なことは、自分自身の感情がわからないということだと思います。
心の痛みがないのもそうだし、涙を見せながらも何も変わらないのもその結果の一つだと思います。
えっと、結局、「哀」の感情は感じられてないんだと思います。

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  • 189
  •  
  • 2012/01/27(金) 01:36:44.27
じゃあどうしたら感情を感じられるようになるのか。
これは、はるか昔に心を凍らせた、自分の中にいる内なる子どもと接触するということだと思います。
感情をとり戻すということは、結構複合的な要素もあるので難しい部分もありますが、
一番大事なことは、「等身大の自分でいいんだ」ということを無意識レベルで受け入れるということだと思います。

結局、何で自分が感情を凍らせたかというと、自分の感情を映し返してくれる人がいなかったからなんですよね。
そういう非共感性という持続的侵襲があると、本当の自分を諦めて、求められる自分をつくっていってしまう。
結果、情緒が遠くなってしまう。

等身大の自分でいいんだということがわかると、当然他者もありのままでいいんだということがわかる。
自分が他者に優越しなくてもいいんだということがわかれば、感情を否認して、優れた、無傷な、完璧な自分でいる必要もなくなる。
弱い自分を出してもいい、それでも自分には生きている価値があって、愛されるんだということがわかれば、
痛みを感じない自分でいる必要はなくなる。
そういう事が感覚として体験されてくると、自分も他者も同じ一人の人間で、同じ心の痛みをもった、尊重されるべき対象なんだと理解できる。
他者を価値下げして見捨てずに済むし、実はそれ以前に見捨てていた自分も、そのままでいいんだ、生きていていいんだということがわかる。

ただ、等身大の自分を受け入れるには、まず基本的信頼を育まなきゃならないし、
ありのままの自分に価値を見いだすということは、当然、「哀」の感情を感じている、
傷つくような弱い自分でもいいんだということをわからないといけません。
それを含めての自分でもいいんだと理解しなければならないということです。
そこから、少しずつ変わっていくんだと思います。


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  • 190
  •  
  • 2012/01/27(金) 01:44:20.67
>>185
お久しぶりです!
NPD ではなかったんですね。本当に良かったです。
というか、そんな重大な誤診もあるんですね…
上司がNPD であれば、精神的不調が生じるのも無理はないと思います。

確かに、本来問題のない人であっても、
大まかなくくりだとなんとでも言えそうですよね。
それって結構こわいことだと思います。

治療ももう終わるんですね。おめでとうございます。
健康なら、本当にそれが一番だと思います!


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yuuさん、おはようございます。
>>152です。

お疲れにならない程度にお書き戴ければと、ほとんどの読者(?)は思ってると思いますよー。
被害/加害共に何かヒントになることがあればと思って書いてみたんですが。
それは今度時間がある時にまた書き込みますね。
あと、私には落ち度がないとは思ってません。隙がありました。
お陰で、知らない所で私の信頼を失うようなことで利用されました。
別な方からの報告で発覚したので相手がNPDであると確信しましたし、
お金が絡めば詐欺事件になったと感じています。

私が今回yuuさんの文章を読んで、大事にしたいなと思ったのは「救世主妄想」の部分です。
NPDもパートナーも持っているのだと思います。
恋愛においては、鏡に映した自分と恋愛してるのと同じ状況になりますから
パートナーはその環境から離脱(?)するのも大変なのだと感じます。


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続きです。

その部分を認識するまで、自分との別れが起こるわけですからこれは大変な事です。
大げさに言えば一つの「死」を迎えることとなるわけですよね?
普通、障害者というのは障害を自己で認知し自己申請して援助を受けます。
それがルールです。それができない人を誰も救うことはできまないのです。
基本姿勢としてはその部分をパートナーや関係者も重要視していかないとならないのでは?と感じます。

パートナーが本来持つ姿で再生や分離を行うためには、NPDと関係ない場所、環境で成長することだと思います。
その事によって自分と相手の区別が確信できますし、NPDは障害ですので支援なく成長は難しいです。
もしパートナーに障害がなければ、自分で成長を果たすことができるのではないでしょうか。


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続きです。

自己愛性の人格障害だけでなく脳の機能障害により他者の感情も、自分の感情も分からないということは起こります。
誰でもが、身近な加えて言えば恋人などを助けたいと思う気持ちがあると思いますが、
機能障害の場合は初めの人間関係の形は抜けにくいということがあります。繰り返しの学習と環境が必要なのです。
自己愛性の人に関わっていくエネルギーと能力があれば障害を持つ、または現在なら支援を待つ
人や地域がありますから、そちらにエネルギーを向けた方が有益だと思えます。自分が得たいものをストレートに
感じる環境になると考えます。好き/嫌いとかに関わらず、NPDと関わる人たちはみんな「成長」を
望んでいるのではないでしょうか?他人の成長ではなく、自らの成長です。それを他人に託す?または映すのが
間違いのもとかもしれないですね。



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>>190
ありがとうございます。
NPDと告知された時、感情を失ってしまいましたが、徐々に回復してきました。
誤診は甚だしかったですが、病院を変えて正解でしたし。
主治医の主観で2軸は決まるそうで、伝えない医師も多いと聞きます。
たまたま私は言われましたが、
医師とカウンセラーに繋がりあるところの治療が効果的です。

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>>1さん
質問ですが、NPDの人がいたら逃げますか?
私は逃げられない上司での環境でしたが、
文句を言うことも必要だなと感じました。

ここまで見た
自己愛特徴スレの住民についてどう思いますか?
たまたま覗きに言ったら見てて無性に腹立ちました。
あそこの住民、何かおかしくないでしょうか

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>>196
受験勉強に専念しろよ

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>>1が貼ったはてなの匿名ダイアリーに、
ボダのレスがついていたけど、これがすごく参考になった
ボダと自己愛の混じったような人間に振り回されたことがあった
その人間の様子があまりにおかしかったんだけど、
おそらくこの人ぐらい内面が荒れてたんだな
ttp://anond.hatelabo.jp/20100822151745

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  • 199
  •  
  • 2012/01/31(火) 01:46:56.23
さあ久々に書いていこう。

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  • 200
  •  
  • 2012/01/31(火) 02:41:07.17

しばらく日が空いてごめん。
今度から日が空く場合はあらかじめ書きます。失礼しました。
まずはちょっと思ったことから書いてく。

まず俺はこのスレにおいて、傲慢ではなかったか、
謙虚さが足りなかったのではないかと考えるようになった。

例えば、>>184さんや>>144さん、>>138さん、>>118さんなどに、自分の考えを押し付けてしまったのではないかと思った。

確かに、NPD と交際している人は、別れる方が痛みは少ないと思う。
傷つく時は、本当に年単位で続く打撃を受け、長く再起不能になったり、病んだりする人もいるから。
自分も最近は、NPD と関わっていて、ちょっときつかったりした。
そういう体験の中で思ったことは、
被害者と呼ばれる人達は、そういうものを味わいながらも、「傷つくことを重々承知した上で、真剣に道を模索しているのではないか」ということ。
その作業はすごく心が痛むし、それでも離れず頑張ったり、離れても自分の行動を鑑みることって、すごく強くないとできないことだと思う。
そういった形で必死にもがいている人に発した自分の言葉には、軽率な部分があったのではないか、不用意に傷つけてしまったのではないかと考えるようになった。
そうして、自分のレスを後悔した。


お絵かきランド
フリック回転寿司
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