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  • 2015/02/02(月) 09:26:25.33
直近のツィッター二つを読めば、

一つ目、ここで「騙された」と切り捨てれば傷は浅いという忠告について書き、
そうすれば失うものは少なかっただろうと書いている。だが、そうすれば、男として
一番大切なものを失っただろうとか、亡き父親に「卑怯者」と怒られたとか。
つまり、この作品に対する責任を未亡人に押し付けるのは男としてどうかという事でしょ。
その一方、失うものが少なかっただろうというのは、この騒動で暴かれているあらゆる
嘘については気づいている事になる。そして、未亡人とその周囲に騙されたと言っているようなもの。

で、二つ目の殉愛に嘘は書いていないし、法廷でもいう。そのために作家が廃業に
なっても構わないと。つまり、負けたり、批難される可能性が高いと踏んでいるみたい。

この二つからして、嘘は書いていないは、未亡人とその周辺に取材した事をそのまま書いたものだ。
だから自分は嘘はついていないし、著者の責任として未亡人に押し付けて逃げる事はしないと。

何か、相当、追いつめられてんのね。この逆境でも、自分も騙されていたにしても、作家生命を捨てる
覚悟で女を守り抜くって、何処まで幼稚なんだろう。

奥さんや娘さん、息子さんはこの男をどう思ってるんだろうか。


『未亡人』に騙されている事に気づいていると読めるし、

ここまで見た

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