講談社文芸文庫について語ろう [sc](★0)
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- 2016/01/27(水) 23:50:17.88
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“自動記述をするという「行為自体」がありえないもの”
で、そのような行為を
”おこなっているブルトン自体がシュール”
そうすると、原理的にできもしないことをやろうとすることが「シュール」の定義となる。
であるならばたとえば国木田独歩の「春の鳥」に出て来る空を飛ぼうとして崖から墜落死した
知恵遅れの少年も「シュルレアリスム」の範疇に入るわけね。
というかダリがアートパフォーマンスとして行ったこのような不可能性への挑戦とは?
そもそも作品が「シュール」から除外されるのなら
原理的に実現不可能と思われる無謀な行為はすべて「シュール」になるのでは?
で、古井もこのような無謀なアートパフォーマーなわけね。
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