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  • 2011/05/23(月) 12:15:05.80
文学における批評や理論について意見や情報を交換するスレッド。

記号学、テクスト論、ナラトロジー、精神分析批評、受容理論、マルクス主義批評
ニュー・クリティシズム、ヌーヴェル・クリティック、テマティック批評、新歴史主義、認知論
などなど。

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  • 2014/03/29(土) 21:27:07.17
文字ではなくあくまでも「言語」ね。
身体なくして「言語」は語れないのではないかと。
(身体を通して)境界を横断するということが(思考言語を含めた)言語の成り立ちではないかなと思い始めたわけ。
映像言語に関する本はたくさんあるし、音楽言語の本も読んだことはある。
実際に目の前でアフリカの人が太鼓たたくのを聞いたとき、身体性と言語性を感じた。
言語とは身体の拡張なのかも

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  • 901
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  • 2014/03/29(土) 21:38:04.24
そういうのは文学論じゃないね
だから文字と述べたわけだ

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  • 902
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  • 2014/03/29(土) 21:49:00.15
文学論じゃなくて文学理論だから「書かれたもの」という呪縛からのがれて「読み出されたもの」が対象になる。
そうなると文字などなくても文学は成り立つw
言語に縛られると言語論になっちゃうので、そっちにいきすぎてもいけない。
言語をメディアそのものだと考えてしまえばマクルーハンの人間拡張の原理にいっちまうw
そういうわけで(文学理論としての)強力な読者理論を探していたのに読者論や読書論はあるのに読者理論はみつからなかった

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  • 903
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  • 2014/03/29(土) 21:58:17.02
身体論は筋が悪いと思うわ
音楽や美術の場合も作品の構造を述べないと「受容者の思い入れが全て」になる
そうすると適当な認知科学でOKになるだろう

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  • 904
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  • 2014/03/29(土) 22:28:16.39
身体と境界と構造は同じものから発生しているのかもしれない。
まあ、ミニマムな文学、文学として成り立ちうる最低限のものはなにか、と考えたとき、身体という境界が必要かと。
これを「身体」と語ることで余計なものがついてまわるようなら、「境界」に戻したほうがよいかなとも思うけど、境界だけでは作用が説明できない。
単なる区別・区切りではなく、境界の両側に作用するものとしての「身体」か、とかなんとかオールスター感謝祭をみながらだらだらと書いていてもしょうがない。
ここは境界すらも捨ててしまって、単に「写像」としてしまおう。
目的は文学理論そのものではなくて、ミニマムな文学を考えて、それを(人工)文学機械として実装することですしw

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  • 905
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  • 2014/03/29(土) 22:36:15.65
そういうのは認知科学の領分だろう
作品の構造に則した理論じゃないのなら、美学(自然美も含めた感受性の理論)とは言えても芸術理論とはいえない

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  • 906
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  • 2014/03/29(土) 22:53:56.87
なるほど、だんだんわかってきました。
文学を考えたとき、作品・作者の側にテーマすら必須ではない。
作品に構造が必要だとするのは文学批評理論だと思います。
ミニマムな文学を考えるとき、その部分は最初に捨ててましたw
文学批評批評理論も文学理論なので、その見地からバッサリと

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  • 907
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  • 2014/03/29(土) 23:09:26.08
エコクリティズムとか読めば
自然を観察してても問題なさそうだろ、その理論だと

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  • 908
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  • 2014/03/29(土) 23:46:49.63
そこに(自然の作者としての)神を見出してしまうことが(人間の行為としての)文学の起源かもしれません。
というか、そこに「しか」文学の起源を見出すことはできないのではないかと

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  • 909
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  • 2014/03/30(日) 00:51:27.78
哲学書を読んだほうが良いレベル

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  • 910
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  • 2014/03/30(日) 01:06:06.57
>>908
とりあえず、折口信夫を読んでみたらどう?

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  • 911
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  • 2014/03/30(日) 14:27:59.70
哲学も民俗学も文化人類学も文学空間の内部にあるという考えですので。
物理や数学は文学空間内部で抽象化へ向かい、それにともない具体的な情報を熱として放出する。
情報が失われると熱になるというのはファインマンを参照。
その放出された熱を処理するのが文学の役割。精神活動そのものを生命のようなものとみたとき、それを維持する基本的な部分。
まあ、文学理論をアリストテレスあたりにまで遡ればそのような結論に達するとw
「文学」(の機能?)を実装するのが目的だから。脱構築しようとしているわけでもないし

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  • 912
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  • 2014/03/30(日) 15:03:13.64
文学が精神活動を維持するためのものならば、文学は報酬回路を刺激して快楽物質を生むような効果を持っているべき。
呼吸や排便によっても快楽物質が得られる。文学も快楽物質が得られるものであるべき。
ただし、報酬回路がどのようにして形成されるのか/されたのかはわかっていないし、万全な方式でもない。
文学が報酬回路をむやみに刺激しても本来の目的に合っているのかどうかもわからない。
とりあえず実装してたしかめてみようとw

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  • 913
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  • 2014/03/30(日) 19:40:54.06
>>911>>912
なにも読まずに大風呂敷を広げるんだねw

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  • 914
  • ヘノモチン
  • 2014/03/30(日) 20:00:56.05
898・900・902・904さんが取り上げている身体性については、音楽家の高橋悠治
さんが同じことを指摘しています。
しかし、難しい (^^;
{取り付く島もない}と言われる高橋悠治さんの書くものみたいに難しい。

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  • 915
  • ヘノモチン
  • 2014/03/30(日) 20:04:09.64
 914の訂正

高橋悠治 〜 天才・高橋悠治

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  • 916
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  • 2014/03/30(日) 20:21:17.40
グダグダゆってんな。事実で正しいことを証明しろ。
じゃあその文学理論とやらで下手でも小説が書けるもんなら書いてみな。
書けたら甘酒進上、認めてやるよ。w

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  • 917
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  • 2014/03/30(日) 22:35:23.31
高橋悠治ってのは知らなかった。音楽の理論書もたくさん調べてみたけど彼にはたどりつかなかった。
音楽も文学も、その根本的なところに身体性がある。ブートストラップとしての身体性。それは形而上(文学空間)と形而下(物理空間)の境界にある。
小説ではなくて文学機械で証明しようとしているけど、まあ今年の4月1日には間に合いそうがないので来年w

石川忠司の現代小説のレッスンに、中村光夫が
「近代文学がやってきたことは人間解放の文学であったが、文学者ではなく敗戦によって実現されてしまい、文学者にはやることがなくなった」
とかいうようなことをいったと書かれていた。
文学がその程度のものであるのなら消えてしまへと思ふw

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  • 918
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  • 2014/03/31(月) 03:07:24.34
ちょろっと青空文庫にある高橋悠治を読んでみたけど、とくに難しいところはなかったぞ?
読み方が違うんじゃないかと思う。
(語りによって象られた)形式や言葉の意味ではなく語られていることの構造が読めないと理解できないのかもしれない

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  • 919
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  • 2014/03/31(月) 09:29:24.36
つまり作品の構造分析はいらないと豪語する常駐君が間違い
身体論は結局「私の身体大好き」なナルシスの鏡を作ってしまうことに終わりがちなんだね

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  • 920
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  • 2014/03/31(月) 16:17:42.40
>>919
そんなマジレスしなくてもw

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  • 921
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  • 2014/03/31(月) 16:20:15.02
小馬鹿にしてあしらうの嫌いだからマジレス主義

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  • 922
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  • 2014/03/31(月) 18:08:45.97
>>921
まじめなんだね。

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  • 923
  • ヘノモチン
  • 2014/03/31(月) 19:51:39.30
 918さん >ちょろっと青空文庫にある高橋悠治を読んでみたけど、とくに
 難しいところはなかったぞ?

あなた、悠治さんの書くものを感覚的にわかるというのはすごいですよ。

 >(語りによって象られた)形式や言葉の意味ではなく語られていることの
 構造が読めないと理解できないのかもしれない。

悠治さんの書くものは昔から難しいかったけど、最近のものは表現がより簡素
なだけに、よけいに難しいんです。
まだ、難しい説明でもあるほうが、理解が容易いんですよ。
それで、後で、こんな凄いことを語っていたのかと気がつくことが多いんです。
昔、悠治さんが、カフカを劇にして音楽の振り付けをしましたが、あれも凄かったです。
{高橋悠治ショック}って言葉があるくらいですからね。
僕は、悠治さんとは考えが少し違いますが、尊敬していますよ。
悠治さんに、また、文学作品を取り上げてもらいたいですね。

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  • 924
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  • 2014/03/31(月) 21:24:25.56
>>923
音楽の振り付け、ってなに?

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  • 925
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  • 2014/03/31(月) 23:24:19.50
>>919
すまねえ、文学的に解釈されるとは思ってなかった。
Embodied agent とでもいえばよかったのかな

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  • 926
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  • 2014/03/31(月) 23:43:00.17
ひとつだけわかったことがある。言葉のつかいかたの違い。
「身体性」を持ち出して「身体性」を排除して抽象的なものを語ろうとしても、
肉付けされて見当はずれの意味を持たされてしまう

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  • 927
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  • 2014/04/01(火) 12:05:36.18
>>926
そんな言い方で自分では満足してるんだろうな。
思い込みって自己満足の最大の糧だからな。

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  • 928
  • ヘノモチン
  • 2014/04/01(火) 19:05:43.03
 923さん >(語りによって象られた)形式や言葉の意味ではなく語られて
いることの構造が読めないと理解できないのかもしれない。

それが、一番難しいんですよ。
言葉・言葉のイメージに足をすくわれてしまうんです。
悠治さんの音楽は、本当に聞き惚れるというか、音や言葉の身体性が、まるで
生き物の様に、音や言葉の象となって立ち上がってくるものが多いんです。
まさしく、バッハよりバッハ的、カフカよりカフカ的なんですよ。
ただ、こうしたあり方(身体性)が適用出来るものは、限られると思うんです。
文学・文学表現となるとどうでしょうかね?

坂本龍一が、ピアノがへたくそなのも{高橋悠治ショック}によるものですね。

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  • 929
  •  
  • 2014/04/01(火) 19:12:31.89
>>928
>バッハよりバッハ的、カフカよりカフカ的

真性バカ?

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  • 930
  • ヘノモチン
  • 2014/04/01(火) 19:30:29.60
ここのスレで使われている身体性って、一般的な身体イメージのものと
は、少し違うんですよ。(僕も、最近、そのことに気がついた)
ドゥルーズの言っている機械に近いものなんですね。
ドゥルーズを扱っている浅田彰も、高橋悠治の弟子ですからね。

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  • 931
  •  
  • 2014/04/02(水) 23:57:16.82
言葉を文学的に扱うということは、中井久夫がいうような微分回路かもしれない。
微分的思考、積分的思考と考えれば、文学的とは微分的で、理系的とは積分的かもしれない。
まあなんといっても昔たどりついたひとつが答えが
「文学とは防衛機制の一種である。壊れないために作者は書き、壊れないために批評家は批評し、壊れないために読者は読む」
ということ。「壊れたやつが書き壊れたやつが批評し壊れたやつが読む」これも真なり

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  • 932
  •  
  • 2014/04/04(金) 22:22:11.31
結局のところ、その「身体性」とは「言語」のことだった。
パロールがラングより発せられたものであるとすれば、エクリチュールもラングから発せられたものだろう。
ラングを扱うのは言語学であって、パロールやエクリチュールを扱うのが文学かもしれない。
言語学とは逆に、文学はパロールやエクリチュールからラングに向かう。
パロールやエクリチュールは日本語だと広義の<<言葉>>でよいと思う。
<<言葉>>が言語という境界を越えて物理世界に行って戻ってくるという活動が文学である。あるいは文学を生む

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  • 933
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  • 2014/04/05(土) 21:45:33.54
>>932
ランガージュ≒言語総体
パロール≒音声表現
エクリチュール≒筆記表現
ラング≒単語の意味を含む文法体系

という使い方かな?
人それぞれの意味合いを持たせることが多いけど。

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  • 934
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  • 2014/04/06(日) 01:24:52.47
ランガージュが言語活動だとすれば、ラングには個人と物理世界の間にある身体性を持たせたかった。
まあ、個人と個人との間、すなわち社会性のあるものだとすればラングでもいいっかwという程度。
ラカンを引っ張り出してくればもっとわかりやすいだろうけど、死んでもラカンは引用したくない。
ラング=(言葉という)魔法を生み出す体系()
ええい、ラング=魔導書

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  • 935
  •  
  • 2014/04/06(日) 02:18:11.03
パロール…オノマトペ、民謡音楽、狼煙
エクリチュール…パントマイム、書道、フィギュアスケート
ラング…モールス信号、手話、数式

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  • 936
  •  
  • 2014/04/06(日) 18:36:54.81
>>934-935
独特な使い方だね。
もう少し整理したらどうでしょう。

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  • 937
  •  
  • 2014/04/06(日) 19:56:49.73
>>935は横から口を挟んだだけで上とは関わりありません

ここまで見た
  • 938
  •  
  • 2014/04/06(日) 20:30:41.06
まあ、ラングは(言語の社会的な)ルールということで、ロマーン・ヤーコブソンが魔法(呪術)を持ち出したので魔法のルール。
魔法の実践が<<言葉>>になる。書というモノではないけど当面は魔導書でいいやw
ヤーコブソンは2つの魔法を選択(類似性)と結合(隣接性)であるとした。
しかし、パース(記号論)では類像記号・指標記号・象徴記号と3つあり、もう少し考えなければいけないと思う

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  • 939
  •  
  • 2014/04/06(日) 20:46:43.79
デイヴィッド・チャーマーズは精神物理法則を考えており、彼の考える情報空間は、文学空間や、文学空間からみた物理空間と同じようなものになると思う。
精神物理法則を4つの力と考えれば、それの(文学空間内での)コピーも4つの力であり、魔法は4つ程度の力に分解できるはずw
<<言葉>>もクオリアを持っているよな(いやクオリアそのものあるいはひとつの側面ではないか?)、とか思いついたが、それが正しければ文学機械でもクオリアを持てるはず。
クオリアを使った文学理論も既にたくさん考えられているとは思う。既に文学(批評)理論用語?

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  • 940
  •  
  • 2014/04/06(日) 21:26:52.79
もう、なんでもありだね。

誰にも止められないなw

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  • 941
  • 三浦
  • 2014/04/07(月) 03:59:02.89
じゃあ俺が止めよう。
そもそも文学理論の良し悪しはなにで決まるのかな?(まさか理論に優劣なんて無いとは言えまい)
新しい理論を作るなら理論についての概念を一つ一つ定義しないと理論として意味を成さないよ。
文学と哲学を分けたほうがいいんじゃないの?例えば言葉について理論体系を構築したり分析することは文学か、哲学か。
まさかまさかうんちくお披露目や学問信仰告白をして悦に入るためだけに書き込んでいるんじゃなかろうもん?

ここまで見た
  • 942
  •  
  • 2014/04/07(月) 04:11:31.49
↑そりゃおまえじゃ、阿呆 嗤)

ここまで見た
  • 943
  •  
  • 2014/04/07(月) 14:04:19.29
>>942
そういう悔し紛れのレスは惨めだよ。

ここまで見た
  • 944
  •  
  • 2014/04/07(月) 17:46:13.96
つまるところ伝承可能なものと模倣が出来ないもの、ですか。
バルトは道路地図を例示していました。
たとえば「貴方のお勤めの会社から最寄りの郵便局までの略地図を書きなさい」と言われれば社員それぞれが違う地図書くんですよ。
目印となる建物や信号機、東西南北の方向から距離まで三者三様違います。
それがエクリチュール(表現体)です。筆記表現に限りません。

ここまで見た
  • 945
  •  
  • 2014/04/07(月) 21:29:32.19
やっぱり止まらないやw

ここまで見た
  • 946
  • 三浦
  • 2014/04/07(月) 22:32:33.69
>>944
文学作品は読む人によって違った意味を持ちますよーって、
これじゃあ文学作品を説明したことにはならないし、理論ですらない。
ただ「私はバルトみたいな相対主義者です」って自分の立場を説明するだけじゃん。
解釈者次第で意味が様々に変わるっていうなら文学理論どうやって作るんだ?

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  • 947
  •  
  • 2014/04/07(月) 22:53:55.69
迷惑にならないように平日は一日置きに書こうとしてたのだけど、とりあえず、おれの書いていることはオリジナルではなく誰かのいっていたことにすぎない。
ただ、文学空間にソレを持ってきたのはおれの責任だ。
新しい文学理論はあるけどそれは公表していない企業秘密だw
2chを量子コンピュータ(量子アニーリング法)にみたてて計算している/させているだけにすぎない。
とっても役に立ってます。ただ、人によってトンネル効果場の強さが違うってのかなw
防衛機制によって自己紹介(2ch用語)に陥るだけの人もいるし

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  • 948
  •  
  • 2014/04/07(月) 23:12:21.17
>>946
自分なりに考えはありますが自己紹介にしかならないので上の方にお任せします。

ここまで見た
  • 949
  • 三浦
  • 2014/04/07(月) 23:54:25.37
相対主義を貫くと文学作品をを説明できないよ。ただの感想発表会になっちゃう。
なるほど貴方はそう読むんですか。私はこう読みました。終了。
これは文学じゃなくて哲学じゃないか。道徳哲学的には正しいよ多分。でも、
作品の特徴や構造を説明する理論体系が自分の頭のなかだけにあってしかもこの理論は他者と共有できない。
ってなると、そんなの理論じゃないし科学でもない。そんなこと言うんだったらいっその事、

「文学はマラルメ以降徐々に、その言葉が、それが述べる事柄とまた同時にまた同じ運動において、
その言葉を言葉として解読可能にする言語を言表するような、ひとつの言語活動になりつつある」byフーコー

とか、

「ある対象を批判するとは、それを正しく評価することであり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、
積極的に肯定することであり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、
また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必死のものだ」
「批評するとは人をほめる特殊の技術だ」と小林秀雄は言っている。

みたいに、誰それがこんなことを言ってた、って書き込む方がまだ意味があるんじゃなかろうか。

ここまで見た
  • 950
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  • 2014/04/08(火) 00:31:15.11
>>947
それでも十分迷惑なんだけどw
自分のブログかなんかでやれば?
一人で妄想してるからさびしいんだろうが、一人に耐えられなければ文学理論なんてまとめられないよ。

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  • 951
  •  
  • 2014/04/08(火) 14:20:16.35
スタンリー・フィッシュすら読んでないアホが多いのか

お絵かきランド
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