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  • 2010/09/05(日) 20:59:56
前スレ

江戸幕府が近代日本をダメにした
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1281770369/l50

今回は科学的な見解を頼む

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  • 2010/09/11(土) 00:22:51
秀吉は信長の遺児吉法師の後見人として天下取りに出たし、
平家も幼帝を京から釣れだして巻き返そうとした。
神輿というのはそういう時の為にいるものだ。
それと明治になって天皇を京都からつれだし東京にすえた
あれも薩長の遺志だろう。幼帝がボク東京にいくなんて考えもしないだろう。
当時の天皇は文字通りの神輿にすぎなかった。
いつだったかな?明治天皇も後世で大帝と美化されたが、日露あたりの
時に意見しようとすると元勲に恫喝されたとかそういう話あったろ。


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  • 2010/09/11(土) 00:41:26
まあ、そんな薩長の思惑なんてみんな知ってたから
萩の乱だの神風連の乱だの日本中で大反乱が起きたんだが
極めつけは西南戦争

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  • 2010/09/11(土) 00:55:52
不満分子を次々と粛清したのは薩長に限ったことじゃないからな
そういう時代だったのよ

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  • 2010/09/11(土) 01:57:14
幕府より薩長の方が万倍マシ

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  • 2010/09/11(土) 02:01:49
>>121
むしろ昭和初期のほうがアメリカ文化の輸入具合は激しかったらしい。

愛国と米国
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51970877.html


戦前のエリートは軍人も含めてみんな欧州かぶれですが、一般大衆はアメリカ大好きで、米国大衆文化の浸透度は戦後よりも戦前のほうが遥かに大きかったりします。
戦後になって急に手のひらを返してアメリカかぶれになったみたいに云う人がいますがまったくの誤解で、欧州から乗り換えたエリートはともかく一般大衆は元に戻っただけです。
敵性語排撃なんて叫んでも戦時中も普通に英語は使われてましたし。
英語を無くすと日常会話が成り立たないほど浸透してたんです。
戦前のアメリカ大好きだった一般大衆は、こんなに愛してるのになんでいじめるんだという思いがあるからあれだけ一挙に強烈な反米になったわけですな。



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  • 2010/09/11(土) 02:45:57
>>94
目的はたんなる腹いせだったんだから
充分達成してるんじゃないか

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  • 2010/09/12(日) 01:18:45
結論として
江戸幕府は馬鹿だった
でよいか

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  • 2010/09/12(日) 05:51:49
日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像されている。
ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。
専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない。

(中略)

自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。
奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。
勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級の国民もほぼ満足している。

(中略)

日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。
また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、
それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう。

ファン・オーフルメール・フィッセル「日本風俗備考・1」より

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  • 2010/09/12(日) 06:03:30
「万民は完全に一致協和し、皆その神々を敬い、法律を尊守し、長上の意思に従い、
同輩には礼儀と友誼を尽くしている。
この人々は、習俗、道徳、技芸、立ち振る舞いの点でどの国の人々にも勝り、
国内交易は繁盛し、肥沃な田畑に恵まれ、頑強な肉体と豪胆な気性を持ち、
生活必需品は有り余るほどに豊富であり、国内には不断の平和が続き、
かくして世界でも稀に見るほどの幸福な国民である。
もし日本国民の一人が彼の現在の境遇と昔の自由な時代とを比較してみた場合、
あるいは祖国の歴史の太古の昔を顧みた場合、
彼は、一人の君主の至高の意思によって統御され、
海外の全世界との交通を一切断ち切られて完全な閉鎖状態に置かれている現在ほどに、
国民の幸福がより良く実現している時代を遂に見いだすことはできないであろう」

ケンペル「日本誌」

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  • 149
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  • 2010/09/12(日) 06:09:33
ラザフォード・オールコック「大君の都」

日本人は、おそらく世界中でもっとも器用な大工であり、指物師であり、桶屋である。
かれらの桶・風呂・籠はすべて完全な細工の見本である。

物質文明に関しては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。
機械産業に関する応用科学の知識が貧弱であることをのぞくと、
ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってもよかろう。

すべての職人的技術においては、日本人は問題なしに非常な優秀さに達している。
磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、
それぞれの分野において我々ヨーロッパが模倣したり、
肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる。

漆器については、なにもいう必要はない。
この製品の創始者はおそらく日本人であり、
アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。
……日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、
できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういった場合の驚くべき天才は、
日本人のもっとも称賛すべき点であろう。

すなわち、かれらの文明は高度の物質文明であり、
すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。
ほとんど無限に得られる安価な労働力と原料が、
蒸気の力や機械をおぎなう多くの利点を与えているように思われる。


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  • 150
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  • 2010/09/12(日) 09:42:51
>>133
昭和になると薩長以外の人間が権力の座についてたけどね

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  • 2010/09/12(日) 09:54:19
>>150
そう、だから日本はおかしくなった。

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  • 2010/09/12(日) 10:23:02
日露の勝利の上に胡坐をかいた薩長閥が育て上げた筋金入りの軍国主義者だろ?
つまり今までの江戸叩きの理論でいくとそんな奴らに不満を持たせた明治政府のやり口が悪い

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  • 153
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  • 2010/09/12(日) 14:46:25
鎖国した馬鹿どもにくらべ織田信長はなんと先見性があり気宇壮大だったことだろう

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  • 154
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  • 2010/09/12(日) 16:03:32
日露戦争に勝ったと思ってる低能がまだいるのかw

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  • 155
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  • 2010/09/12(日) 17:54:26
明治の学校制度開始まで当時の庶民の帰属意識は「日本人、○○村出身の☆☆権兵衛」っていうよりも「○○村の権兵衛」止まりのレベルだったんだろ?
領主が改易・転封で変わっても年貢を納める事には基本変わらない訳だし。
極端に税率が跳ね上がったら一揆起こすかもしれんが
町人達もほとんどが「戦と政は武士の仕事。俺ら町人には関係ないね。」ってスタンスでいたんだろうし。

だから西洋人には>>147-149のように驚きと感心を持ってしまう

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  • 2010/09/12(日) 19:18:24
>>155

つ奇兵隊

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  • 157
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  • 2010/09/12(日) 19:20:23
そんな優秀な町人達がもっと早く多くの海外情報を知っていればと思うと残念だ

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  • 158
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  • 2010/09/12(日) 19:23:16
でも奇兵隊は全国レベルじゃないでしょ
長州藩限定じゃないの?

まだ国民国家の意識が幕府・薩長土肥共に浸透しきってなかっただろうし

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  • 159
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  • 2010/09/12(日) 20:00:36
奇兵隊が攻めて来た時に多くの武士は戦わずに逃げました
その理由はあんな百姓どもに首をとられるのは恥だからです
長州藩も藩が降伏か開戦かで分裂しまくってなきゃ、百姓共を兵隊として使おうなんて思わなかっただろうな

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  • 2010/09/12(日) 20:45:48
>>154

当時の国民は勝ったと思ってたんだよ
それに負けたかと言えば勝った方だろう

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  • 2010/09/12(日) 21:55:02
>>157
ろくに日本で勉強もしてなかったジョン万があれだけ技術や知識を習得して帰って来た事を考えると
寺子屋に通ってた人達が数人でも欧米に学びに行ってたら凄い事になってたかもね

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  • 162
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  • 2010/09/12(日) 23:10:00
江川英達なんかも粗食で重労働に耐えている民百姓の方が兵隊に向いている、って
考えていたみたいだね。
装備の欧米化に伴い、その考え自体は結構あったようだが、身分制度の壁は厚かっ
たって事だろうね。

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  • 163
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  • 2010/09/12(日) 23:18:15
そもそもが江戸時代の武士は戦闘要員ではなく政治家、いわゆるホワイトカラーだからね
武士道って言葉も本来は猛々しい武士の生き方ではなく
支配階級としての自覚を持って勉強して民の為に良い政治をしようという道

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  • 164
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  • 2010/09/13(月) 01:28:47
武士道とは社畜の心得を説いているものだからな
御家に迷惑をかけた者は死んでわびるべし
究極の事なかれ主義

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  • 165
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  • 2010/09/14(火) 08:48:21
その認識が間違いだってすぐ上で言ってるのに・・・

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  • 166
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  • 2010/09/14(火) 14:23:30
>>155
町や村の自治は現在の方がよほど無関心
国政に対しても怪しいもんだ

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  • 167
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  • 2010/09/14(火) 19:39:02
あれだけウジャウジャいたサムライとやらは幕末の動乱で何をやっていたのかね
百姓あがりの土方や近藤が根性見せてたときに

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  • 168
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  • 2010/09/14(火) 20:27:46
たいていのサムライさんは右往左往してるだけ
旗本八万旗ともいわれた御家人もほとんどは戦わずに降伏
一部根性ある人間は上野で一戦やらかしたけど

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  • 169
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  • 2010/09/14(火) 20:30:28
江戸前期(吉宗以前まで)、江戸中期、後期(化政〜天保)、黒船以降の幕末期
それぞれの武士階級は総人口の何%だったんだろ?

化政だか天保年間以降だと経済的困窮から家名を売り渡しするのもいたみたいだけど

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  • 170
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  • 2010/09/14(火) 21:57:02
やっぱり1割がいいとこじゃないかなぁ
その家名を売った先が金持ち町人でみるみる腐敗していったとさw

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  • 171
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  • 2010/09/15(水) 00:04:37
慶安の変時の武士階級は総人口の7%
つまり約二百万人程度
ただしこの人数は武士の妻、子弟、名字帯刀を許された者、御隠居まで含んでるから1/4程度に考えておいた方がいいかも

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  • 172
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  • 2010/09/15(水) 00:13:54
ついでに明治9年時の士族の数は189万4784人
総人口の5,5%
総人口は約3500万人くらいか

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  • 173
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  • 2010/09/15(水) 01:54:47
板子一枚下は地獄とうたわれた可哀想な船乗りのためにも船の改良発展を行うべきだったな

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  • 2010/09/15(水) 18:46:54
>>168
刀で銃や大砲に立ち向かえっていきなり言われても右往左往するだけだよな
普通の人間ならそんな訓練してねーよ、で終わり

困難に立ち向かうのはいつも一部の根性ある人間

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  • 175
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  • 2010/09/15(水) 21:34:59
今は八割がた武士の子孫を名乗ってるそうだ、甚だしいのは織田信長の子孫を自称してるとか

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  • 2010/09/16(木) 09:39:00
ほら、人類はみなブラザーだから
ひょっとしたら君もイワン雷帝やラーマ五世の血縁かもしれないだろ?

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  • 177
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  • 2010/09/16(木) 09:40:36
だろうね、サラリーマンなんかは絶対自分は武士の出だと思ってるだろ
基幹労働力ってのは農民なんだよ

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  • 178
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  • 2010/09/16(木) 10:13:51
>>167
それいったら源氏や平家のご先祖様は天皇ですから、本質的に錦の御旗出されたらごめんなさいするしかない訳。

土方や近藤だって家系図の端っこあたりで今基準の「サムライの子孫」名乗る位には親戚がいたりするw
武田や北条の頃まで遡ればね。。。

日本の「農民」ってのも結構あやしいもので、良く考えてみれば戦国の足軽はバイトで雇った兵隊で本業が農民なんてのがごろごろいる訳ですよ。
それが束にすればちゃんと兵力として使えるし下手すると本職の侍がぬっ殺される。じゃあ侍の定義ってなんだろと。。。

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  • 179
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  • 2010/09/16(木) 10:16:56
ああ、家計図は口からでまかせ。
そんなもの私は見た事無いですw

でも織田信長の子孫が(実在してて)サムライで通るなら兵農分離以前でもOKらしいから、八割九割が侍でもおかしくはないわな。

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  • 180
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  • 2010/09/16(木) 13:19:19
年貢を納める:百姓
家禄を得る:武家

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  • 181
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  • 2010/09/16(木) 13:28:31
>>179
おいおい。
氷の上で踊ってる人はともかく、信長傍系の子孫は実在してるぞ…。

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  • 182
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  • 2010/09/16(木) 18:34:31
>>180
それじゃあ武家の定義=穀潰しですがなw

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  • 183
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  • 2010/09/16(木) 19:25:08
平時の軍とはそういうものであろう

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  • 184
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  • 2010/09/16(木) 21:45:36
考えてみれば我が国では封建制といえど「御恩と奉公」だわな。
いざというときに家臣を守ってくれるからこそ「いざ鎌倉」というときに家臣が守りに来る。
守ってくれない、頼りない幕府では誰もいうこときかないから、朱子学などを持ち出して、
「何が何でも主君の命令に逆らうな」ということにしたら、幕府の主君である朝廷を持ち出されてあぼーん。
そして朝廷もアメリカ様に負け、いまや「国民自身が主君」の民主主義国家に。

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  • 185
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  • 2010/09/16(木) 23:57:42
>>183
まあ、自衛隊もね

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  • 186
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  • 2010/09/17(金) 00:22:29
>>184
むしろ戦争がないもんだから出世のチャンスがない上に
調子に乗って参勤交代などの奉公さえも不満になって外様が反乱だろ

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  • 187
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  • 2010/09/18(土) 20:43:12
>>171

二百万!
ハハハハ圧倒的じゃないか我が軍は

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  • 188
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  • 2010/09/18(土) 20:46:57
お隣りの満州八旗みたいに貴族化して役に立たないんじゃないか。

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  • 189
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  • 2010/09/18(土) 20:48:32
インドの武士階級みたいに何千万人居ても分裂して欧州列強に良いように利用されるだけだろ。

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  • 190
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  • 2010/09/19(日) 11:24:27
勝海舟は薩長が江戸に攻めてきたとき
旗本御家人は当てにならないと早々に見切りをつけてたな
町人に薩長が来たら暴れ回るように声をかけて回ってた
気の早い日本橋の魚河岸連中は、話を聞くとすぐに鮪包丁を研ぎだしたらしい

お絵かきランド
フリック回転寿司
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