江戸幕府が近代日本をダメにしたpart2 [sc](★0)
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- 2010/09/05(日) 20:59:56
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前スレ
江戸幕府が近代日本をダメにした
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1281770369/l50
今回は科学的な見解を頼む
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- 112
- 2010/09/09(木) 19:07:59
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だから攘夷にこだわった孝明天皇は薩摩に○されたろ。
操りやすい幼帝にかえて威信達成 予定通りだな大久保! おお西郷!
とそういうことだろ・・・・・。
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- 113
- 2010/09/09(木) 21:36:52
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つまり、大室寅之祐万歳と
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- 114
- 2010/09/10(金) 09:55:55
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>>110
下関戦争、薩英戦争を仕掛けて大敗を喫した
一番外国をナメてかかってたのは薩長
私が間違ってました幕府が正しいとなると思うけど
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- 115
- 2010/09/10(金) 14:33:35
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>>114
薩長「私が間違ってました! イギリスが正しい。武器売ってちょ」
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- 116
- 2010/09/10(金) 16:36:22
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琉球はずっと開国してたんだよね?位置的にも南蛮船が来やすいのに、
どうして南蛮と交易しなかったんだろ?鉄砲も日本からの伝来だし。
ちなみに、現在では信じ難いことですが、琉球の大交易時代、
中国へのもっとも重要な輸出品は馬でした。当時、琉球は馬の産地で、
一度に数十頭の馬が中国むけに輸出されてました。
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- 117
- 2010/09/10(金) 17:45:50
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>>111
結局、一番鎖国にこだわったのは朝廷というオチ
朝廷の欧米人に対する認識って赤鬼だから
そんな魑魅魍魎が日本に来たら食われるとか真剣に信じてたんだよな
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- 118
- 2010/09/10(金) 17:48:20
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ちなみに咸臨丸で欧米に行った幕府の人間は欧米人はなんと醜いのだ!ってなこと日記に書いてる
今のように白人をやたらありがたる日本からは信じられないが
当時の日本人にとっては白人は醜かったんだよね
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- 119
- 2010/09/10(金) 17:59:20
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このような白人に対する事実誤認が太平洋戦争の鬼畜米英という言葉に表れたような気がする
白人を鬼として打ち払う敵と認識したのがすべての不幸の始まり
むしろ白人と積極的に交じり合っていたらどうだったろうか?
フィリピンのように混血が増えて、英語が公用語になっていたのだろうか?
っていうか、はっきり言って現在の日本の状況はフィリピンとなにが違うというのか
義務教育で英語を教え、米軍基地は国内に駐留、アメリカに対する憧憬がやたら強い
遅かれ早かれこうなるんだったら早い段階でアメリカを受け入れるべきだった
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- 120
- 2010/09/10(金) 18:24:50
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>>119
森有礼乙
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- 121
- 2010/09/10(金) 19:25:44
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アメリカに対する憧憬って実際のところ大したもんじゃないからな
バリバリアメリカに移民したり留学したりしてるのは日本以外のアジアの方が大石
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- 122
- 2010/09/10(金) 19:26:35
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>>119
アメリカに移住したら?
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- 123
- 2010/09/10(金) 21:52:02
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>>114
外国からナメられたのが幕府
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- 124
- 2010/09/10(金) 22:01:06
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>>118
今も醜いよ
造形が荒いデブばかりだから現実は
モデルやスターを除けばね
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- 125
- 2010/09/10(金) 22:09:56
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>>123
新政府も十分なめられてたじゃん
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- 126
- 2010/09/10(金) 22:14:26
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あれ?アメリカにいった福沢諭吉がリンカーンの子孫ってどうしてますか?ってきいたら
さあよく知らね?っていうのを聴いて福沢諭吉がアメリカは素晴らしい国だ。日本だと
子孫が鮮人の威光で高位高官があたりまえだというのにメリケン最高!日本はアジアのままでは
駄目だ!カスとかそういうこといってなかったけ
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- 127
- 2010/09/10(金) 22:14:58
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現在の政府なんか最早アメリカの財布でしかない
今も昔も見下されっぱなし
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- 128
- 2010/09/10(金) 22:16:12
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>>123
ぷぷぷ 幕府も薩長も欧米の武器商人からテッドストック化した中古武器を高値でかわされて
トコトン舐められているというのに初なやつw
日本人チョロすぎw
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- 129
- 2010/09/10(金) 22:18:01
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>>127
失敬な中韓どころか、途上国も返す気ないのに円借款で銭くれーといってくるよ。
世界中がジャパンは自動ATMと舐めているよ 外征能力ないから借款踏み倒しても
全然おkwwwwwwとそういう民度の国々に大人気!
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- 130
- 2010/09/10(金) 22:22:07
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>>126
アメリカで工場とか機械をみせられても
「つまらん、そんなもんはもう知ってる」だったようだが
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- 131
- 2010/09/10(金) 22:28:28
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>>97
禿同
なんせ日本の拡張主義は清や露や独の衰退に乗じてるわけだから
早く拡張すれば先んじれたとはならないのさ
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- 133
- 2010/09/10(金) 22:42:43
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>>126
残念なことに明治政府は薩長閥で構成されてるんだよねw
結局やってることは元豊臣方による縄張り争い
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- 134
- 2010/09/10(金) 22:54:29
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>>128
>日本人チョロすぎw
薩長に売った武器商人は破産したらしいけど
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- 135
- 2010/09/10(金) 23:03:18
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やっぱり信長による朝廷破壊→中央集権化か、遡って平正門による東日本新皇国建国ぐらいやらないと
ダメなのかな…
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- 136
- 2010/09/10(金) 23:04:54
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×→正
〇→将
だったゴメン
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- 137
- 2010/09/10(金) 23:53:56
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江戸幕府もたいがいだが、自分たちを権威づけるために天皇をもちだした薩長もアレすぎる
皇国思想なんていう黴臭いイデオロギーを近代に持ち込むな
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- 138
- 2010/09/11(土) 00:00:54
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一藩にすぎない薩長が将軍という武士最高の権威に立ち向かおうとしたら、
さらなる権威で天皇かつぎ出して官軍という権威を自分たちにつけて
朝敵というレッテルつけるしかないだろう。
幕府が馬鹿だったのは平家のように天皇のガラ抑えて江戸に迎えなかったこと。
孝明の時だったら余裕だったはず。倒幕に乗り気でなかったし、和宮を家茂に
降下させたし明らかに攘夷派かつ公武合体派。
神輿があまりにもうざいから人形には適さないだから天皇を○して幼帝を
据え、実質自分たちが官軍でございと後は言わなくても分かるな?
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- 139
- 2010/09/11(土) 00:13:47
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官軍と称して、不満分子を次々と粛清した薩長
恐れ多くも帝のご命令であるぞ!ちげーよおまえらの命令だよ
考えてみればムチャクチャだよなこれ
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- 140
- 2010/09/11(土) 00:22:51
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秀吉は信長の遺児吉法師の後見人として天下取りに出たし、
平家も幼帝を京から釣れだして巻き返そうとした。
神輿というのはそういう時の為にいるものだ。
それと明治になって天皇を京都からつれだし東京にすえた
あれも薩長の遺志だろう。幼帝がボク東京にいくなんて考えもしないだろう。
当時の天皇は文字通りの神輿にすぎなかった。
いつだったかな?明治天皇も後世で大帝と美化されたが、日露あたりの
時に意見しようとすると元勲に恫喝されたとかそういう話あったろ。
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- 141
- 2010/09/11(土) 00:41:26
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まあ、そんな薩長の思惑なんてみんな知ってたから
萩の乱だの神風連の乱だの日本中で大反乱が起きたんだが
極めつけは西南戦争
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- 142
- 2010/09/11(土) 00:55:52
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不満分子を次々と粛清したのは薩長に限ったことじゃないからな
そういう時代だったのよ
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- 143
- 2010/09/11(土) 01:57:14
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幕府より薩長の方が万倍マシ
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- 144
- 2010/09/11(土) 02:01:49
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>>121
むしろ昭和初期のほうがアメリカ文化の輸入具合は激しかったらしい。
愛国と米国
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51970877.html
戦前のエリートは軍人も含めてみんな欧州かぶれですが、一般大衆はアメリカ大好きで、米国大衆文化の浸透度は戦後よりも戦前のほうが遥かに大きかったりします。
戦後になって急に手のひらを返してアメリカかぶれになったみたいに云う人がいますがまったくの誤解で、欧州から乗り換えたエリートはともかく一般大衆は元に戻っただけです。
敵性語排撃なんて叫んでも戦時中も普通に英語は使われてましたし。
英語を無くすと日常会話が成り立たないほど浸透してたんです。
戦前のアメリカ大好きだった一般大衆は、こんなに愛してるのになんでいじめるんだという思いがあるからあれだけ一挙に強烈な反米になったわけですな。
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- 2010/09/11(土) 02:45:57
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>>94
目的はたんなる腹いせだったんだから
充分達成してるんじゃないか
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- 2010/09/12(日) 01:18:45
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結論として
江戸幕府は馬鹿だった
でよいか
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- 2010/09/12(日) 05:51:49
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日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像されている。
ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。
専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない。
(中略)
自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。
奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。
勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級の国民もほぼ満足している。
(中略)
日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。
また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、
それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう。
ファン・オーフルメール・フィッセル「日本風俗備考・1」より
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- 148
- 2010/09/12(日) 06:03:30
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「万民は完全に一致協和し、皆その神々を敬い、法律を尊守し、長上の意思に従い、
同輩には礼儀と友誼を尽くしている。
この人々は、習俗、道徳、技芸、立ち振る舞いの点でどの国の人々にも勝り、
国内交易は繁盛し、肥沃な田畑に恵まれ、頑強な肉体と豪胆な気性を持ち、
生活必需品は有り余るほどに豊富であり、国内には不断の平和が続き、
かくして世界でも稀に見るほどの幸福な国民である。
もし日本国民の一人が彼の現在の境遇と昔の自由な時代とを比較してみた場合、
あるいは祖国の歴史の太古の昔を顧みた場合、
彼は、一人の君主の至高の意思によって統御され、
海外の全世界との交通を一切断ち切られて完全な閉鎖状態に置かれている現在ほどに、
国民の幸福がより良く実現している時代を遂に見いだすことはできないであろう」
ケンペル「日本誌」
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- 2010/09/12(日) 06:09:33
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ラザフォード・オールコック「大君の都」
日本人は、おそらく世界中でもっとも器用な大工であり、指物師であり、桶屋である。
かれらの桶・風呂・籠はすべて完全な細工の見本である。
物質文明に関しては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。
機械産業に関する応用科学の知識が貧弱であることをのぞくと、
ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってもよかろう。
すべての職人的技術においては、日本人は問題なしに非常な優秀さに達している。
磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、
それぞれの分野において我々ヨーロッパが模倣したり、
肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる。
漆器については、なにもいう必要はない。
この製品の創始者はおそらく日本人であり、
アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。
……日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、
できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういった場合の驚くべき天才は、
日本人のもっとも称賛すべき点であろう。
すなわち、かれらの文明は高度の物質文明であり、
すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。
ほとんど無限に得られる安価な労働力と原料が、
蒸気の力や機械をおぎなう多くの利点を与えているように思われる。
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- 2010/09/12(日) 09:42:51
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>>133
昭和になると薩長以外の人間が権力の座についてたけどね
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- 151
- 2010/09/12(日) 09:54:19
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>>150
そう、だから日本はおかしくなった。
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- 152
- 2010/09/12(日) 10:23:02
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日露の勝利の上に胡坐をかいた薩長閥が育て上げた筋金入りの軍国主義者だろ?
つまり今までの江戸叩きの理論でいくとそんな奴らに不満を持たせた明治政府のやり口が悪い
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- 2010/09/12(日) 14:46:25
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鎖国した馬鹿どもにくらべ織田信長はなんと先見性があり気宇壮大だったことだろう
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- 2010/09/12(日) 16:03:32
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日露戦争に勝ったと思ってる低能がまだいるのかw
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- 155
- 2010/09/12(日) 17:54:26
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明治の学校制度開始まで当時の庶民の帰属意識は「日本人、○○村出身の☆☆権兵衛」っていうよりも「○○村の権兵衛」止まりのレベルだったんだろ?
領主が改易・転封で変わっても年貢を納める事には基本変わらない訳だし。
極端に税率が跳ね上がったら一揆起こすかもしれんが
町人達もほとんどが「戦と政は武士の仕事。俺ら町人には関係ないね。」ってスタンスでいたんだろうし。
だから西洋人には>>147-149のように驚きと感心を持ってしまう
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- 2010/09/12(日) 19:18:24
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>>155
つ奇兵隊
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- 157
- 2010/09/12(日) 19:20:23
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そんな優秀な町人達がもっと早く多くの海外情報を知っていればと思うと残念だ
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- 2010/09/12(日) 19:23:16
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でも奇兵隊は全国レベルじゃないでしょ
長州藩限定じゃないの?
まだ国民国家の意識が幕府・薩長土肥共に浸透しきってなかっただろうし
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- 2010/09/12(日) 20:00:36
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奇兵隊が攻めて来た時に多くの武士は戦わずに逃げました
その理由はあんな百姓どもに首をとられるのは恥だからです
長州藩も藩が降伏か開戦かで分裂しまくってなきゃ、百姓共を兵隊として使おうなんて思わなかっただろうな
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- 160
- 2010/09/12(日) 20:45:48
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>>154
当時の国民は勝ったと思ってたんだよ
それに負けたかと言えば勝った方だろう
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- 161
- 2010/09/12(日) 21:55:02
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>>157
ろくに日本で勉強もしてなかったジョン万があれだけ技術や知識を習得して帰って来た事を考えると
寺子屋に通ってた人達が数人でも欧米に学びに行ってたら凄い事になってたかもね
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- 162
- 2010/09/12(日) 23:10:00
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江川英達なんかも粗食で重労働に耐えている民百姓の方が兵隊に向いている、って
考えていたみたいだね。
装備の欧米化に伴い、その考え自体は結構あったようだが、身分制度の壁は厚かっ
たって事だろうね。
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