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  • 2021/04/25(日) 03:17:28
池上電気鉄道は池上本門寺への参拝客を見込み、元々は大森〜池上〜目黒で計画された路線。
ところが、渋沢栄一による田園調布周辺の宅地開発に伴う鉄道事業路線に目黒を取られ、
蒲田より30年近く前から駅があり栄えていた大森周辺での用地買収に失敗という経緯から、
支線として申請していた池上〜蒲田を開業。目黒を五反田に切り替え大森は諦めた。
池上から五反田へのルートは、当初呑川沿いを通す予定が地主の反対に遭い、大きく西に迂回する現在のルートに変更された。
それによって田園調布周辺に人を運ぶ為に作られた鉄道事業、目黒蒲田電鉄に接近並行する路線になってしまい、客の取り合いになった。
目黒蒲田電鉄とは違い宅地開発を伴わない池上電気鉄道は赤字が続き、五反田から山手線を飛び越えて都心への進出を計画。
ところが現在も残る高い場所にある五反田駅を作った後に計画は失敗。
一発逆転を考え、雪が谷大塚から遠く離れた国分寺までの支線を計画し、新奥沢まで開業するも、
東横線、大井町線と勢力を拡大していた目黒蒲田電鉄に行く手を阻まれ、かつテリトリーを侵す計画に怒りを買い、先に進めず失敗。
池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に買収された。
その後、目黒蒲田電鉄は東急と名前を変えさらに拡大。京王、小田急、京急までも買収を進めて傘下にするも、戦後バラバラに。
東急の創業路線である目蒲線は、目黒線と多摩川線に分かれ、目黒線は池上電気鉄道が果たせなかった都心への進出に成功。
多摩川線は蒲蒲線による羽田への重要なルートとして注目を浴びる中、我らの池上線は90年飼い殺しのローカル路線。
ここ最近、怨念の呪縛が解けたのか戸越銀座や旗の台や池上で駅の改装新築が始まった。

結論。
我らが池上線はご主人様である東急に拾われた身である事を自覚する事。
東横線や目黒線の様な兄弟とは異なる存在である事を理解し、贅沢は言わない事。
実の親である池上電気鉄道の偉業を後世に伝え、かつての敵でありながら廃線にせず育ててくれたご主人様東急に感謝をする事。

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