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  • 2017/05/07(日) 01:45:33
そもそも葛西が町の体をなしてくるのは昭和30年以降だろう。
それまでは半農半漁の田舎で、
闇市に頻繁に行くような都市生活はしていなかった筈。
開けていたのは都電があった今井街道辺りまでだろうし、
都心に通じる旧葛西橋、船堀橋は一部木造だった。
担ぎ屋や行商人は往き来していただろうから、
やっぱり都電使って亀戸、錦糸町辺りに行ってたのかな。
本格的に人口が増えるのは東西線の開通後。

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