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  • 2015/10/27(火) 10:10:26
荻窪駅東側で旧青梅街道と甲武鉄道とが斜めに交差するようになったのが明治22年。
つまりその時に踏切が作られた。地図を見れば天沼陸橋東詰から北口駅前交番迄が
旧街道の名残りだと判るはず。線路と道路が直交するようにしたので道路側か鍵の手に。
これが後々交通の隘路となって、今言う南北分断以前に東西分断の元凶になってた。
途中を省いて… 中央線が複々線になる時に踏切を廃止して、チャリや歩行者の為に
地下連絡通路を作った。これが昭和41年だった、と思う。
踏切を歩いて渡った記憶が辛うじて有る年寄りの思い出話w

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