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  • 2015/03/11(水) 05:20:16
>>824
銀座線というのは、もともと浅草から新橋までが東京地下鉄(今の東京メトロとは別)、新橋から渋谷が東京高速という別々の会社で、経営者も別々だった。

東京地下鉄の経営者である早川徳二は、浅草からの地下鉄を新橋まで開業させた後、五反田を経由して池上まで延ばす構想を持っていて、実際五反田経由馬込までの経路は国に開業できるよう認可をもらっていた。

一方東京高速の経営者は東急グループの創業者である五島慶太で、それまでも企業乗っ取りでグループを拡大しており、東京地下鉄も乗っ取られる恐れがあった。

東京地下鉄は東京高速に乗っ取られないために、馬込までの計画に加えて京浜急行とも乗り入れることにしたんだけど、五島慶太はそれらの計画をつぶすために京浜急行自体を乗っ取り、東京地下鉄も乗っ取ろうとした。そのやり方があんまり強引だったので、五島は強盗慶太と言われたりした。

結局、東京地下鉄と東京高速は国の調停で営団地下鉄として統合され今の銀座線になったんだけど、早川が国から認可を受けた新橋から馬込方面そして京急線方面との乗り入れ計画は一旦宙ぶらりんになってしまう。

その後、東京都が地下鉄を開業するときにその計画が復活して、さらに西馬込付近の地主の要望で西馬込まで延ばすことで今の浅草線になった。

そういう経緯があり、さらに東急の営業エリアに食い込むように路線が伸びていることから、東急グループとしては浅草線は忌々しい路線で、それ以上南には伸びてほしくない、と思われているわけ。

ここまで見た

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