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  • 2013/05/28(火) 20:23:48
『新編武蔵風土記稿』で、1810年(文化7年)から1828年(文政11年)の作成である。 そこには、
「池袋村は地 高くして 東北の方のみ水田あり。その辺り 地 窪にして 地形袋の如くなれば、地名起こりしならん」

『遊歴雑記』 1829年(文政12年)で、
「当村を池袋と号けし事は、往古 夥しき(おびただしき)池ありしによってなり。中古より段々埋まりしかど、今もなお三百余坪もあらんや。此の池の西の果は池袋と雑司谷村との境ひにありて、常に湧き出し流る。此の池 今は雑司谷村の内に属す」

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