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  • 2012/11/29(木) 21:47:38
練馬大根の農家だったからお答えしよう。

練馬大根は大根の病気で一気に大根農家が消えた。
それでこの辺の農家は三鷹にあった多摩成果からブロッコリーとキャベツもってきてをやり始めた。
ブロッコリーの日本定着の元は三鷹といわれているそうだ。
そして、30年くらい前に長野の嬬恋のキャベツが全滅したとき、大泉を含め東京近郊のキャベツ農家は
ものすごい儲かったらしい。(1回市場に卸にいくだけで帰りには車を買って帰ってこれるレベル。)
それで味をしめたのか分からんが、軍の買取とかも無くなったし、大根農家は消えた。

今でも家に製法が書いてある本がおいてあるわ、昔は三鷹まで手押し車で行ってたと親父が言ってたなぁ
三鷹で売って、吉祥寺で飲んで帰ってくるらしいぜ

ちなみに大泉にはたくわん工場が今でもあるぜ、あそこの前通るとくさいんだよなぁ

ここまで見た

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