水戸の昔、明治、大正、昭和 [machi](★0)
-
- 115
- 2009/11/26(木) 19:06:17
-
>>111
そうでした。確かに大人になってから行ったときには「日の丸食堂」で今川焼きはやっていませんでした。
子供の頃、特に本当に小さい頃はあの並びに今で言う小さなスーパーのような食料品店があって、まだ運転免許を持っていなかった母親と歩いて買い物に行っていました。店名は忘れてしまいましたが。
やはりあの並びで「たぬきや」というお菓子屋さんと「入船」?という小料理屋さんは同級生のお宅でした。
そこからもう少し日赤方向に歩いて反対側(左側)にはやはり同級生のお宅で旅館をやっていましたっけ。
「珍満」は幼稚園くらいの頃、親がタンメンしか注文してくれない。子供としてはラーメンを食べたいのに山盛りの野菜だけでお腹がいっぱいになってしまいました。
「珍満」の反対側と言いますか、横断歩道を西友方面に渡ったあたりに小さな書店があって立ち読みしたり、駅ビル「観光デパート」の床屋さんに水飲み鳥の置物があってその動きが子供心に印象に強く残っています。
あと駅から千波大橋方向に歩いていくと国鉄系のスーパーがあって、我が家では「駅の購買部」と呼んで時々買い物に行っていました。ここもいつの間にかなくなっていましたね。
このページを共有する
おすすめワード