鈴鹿市を語ろうvol.89 [machi](★0)
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- 2013/12/12(木) 03:20:02
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ていうか、国府のあった場所が「国府」という地名に置き換わり始めるのは、
国府自体が喪失していった中世以降の出来事でしょ、一般的に考えて。
考古学的には広瀬の国府が官庁施設として明らかに中途半端だから、
完成前にどこかへ引越したっていう解釈になってるみたいよ。
地名的に考えて最終的には国府町のあたりに落ち着いたっぽいけど、
国府町から何も出てこないから、はてさて、ってことらしい。
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