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  • 2020/06/03(水) 00:45:36
歴史を遡ると、明治維新で困窮した旧士族らに仙台藩が払い下げで与えた山=当時は越路山の呼称
それが国の横やりで一旦取り上げられ、更に困窮した旧士族(元所有者)が所有権で国と争いグダグタに・・
それを良しとしなかった豪族の八木家が訴訟丸ごと山を買い取り、
更に当時全国上位の病死率だった仙台市の状況を憂い、購入した越路山を開発し、
特に不治の病とされていた結核撲滅を念頭に、空気の綺麗な当地で長く過ごせるように、
山上に本格野球場やスポーツのできる施設を公園として開発し、必要な道具を無償で貸し出すなど運営し、
同時に向山からの登山道路や別ルートとしての八木山橋(初代)も開通
すべて八木家が私財を投じた開発
道路を含め完成した公園を一旦は県に無償譲渡 →維持費は八木家が負担し続けていた事もあり県から八木家へ戻す
→仙台市に無償譲渡・・・という流れ有り

それらと同時に八木家は宅地造成を大正時代から細々と続け、昭和30年代の高度成長期には本格化し現在に至る

越路山が後に八木山と呼ばれるようになったのは「紅久」屋号の八木氏がこの山に関わった「志・想い」を周囲が受け止めた結果
そしてある時期には元寺小路の寺院集団移転先として八木山が有力候補に挙がるも、
開発〜寄付をしてきた八木家の想いを知る人達からの反対論により回避された歴史もあります

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