★★★★箱庭シティー[福島市]を語りましょうPart182★★★★ [machi](★0)
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- 2019/03/04(月) 16:30:20
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>>581
七ヶ宿町稲子字十郎右衛門屋敷の辺りだな。
江戸時代初期、そこから少し山に入った所に、沼平金山という小規模な金山があって、仙台藩領沼田村と天領(幕府直轄領)茂庭村の間で境界線争いが有った。
で、その金山の税金を仙台藩に納めていた証明書と、当時の住民の屋敷跡や墓を論拠に、仙台藩領と決まったんだそうだ。
この辺の経緯は、宮城県立図書館に収蔵されてる古文書「沼田御境論覚」に詳しい。
以来、仙台藩は、治山と境界警備の為に足軽数名とその家族を定住させて集落にしたのだけど、いかんせん山奥で食うにも困る。
茂庭や飯坂や高畠に、炭や塩(当時の山奥では貴重品)を運んで、どうにか暮らしていたらしい。
時は移って明治11年。廃藩置県の時、地理的にも経済的にも茂庭や飯坂と結び付きが強いのだから、と、あの辺は一度福島県に編入されかけた。
「その方が便利だろう」って気遣いだったのだけど、地元の住民は大激怒。
「俺らは殿様直々に頼まれて住み着いた、仙台藩直参の境界警備隊だぞ! 馬鹿にすんな!!」
というのがその言い分。
それであの周辺だけ、陸の孤島みたいに宮城県なんだとさ。
今の感覚で言うと茂庭だって、仙台藩重臣茂庭(鬼庭)家発祥の地なんだから、どっちだって良さそうな物だけど、当時はやっぱり違ったんだろうね。
もし、茂庭村に、あるいは福島県に編入されてたら、あの辺の歴史はどう変わったか、考えてみても面白い。
長文乱文失礼した。
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