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  • 2018/07/17(火) 23:33:32
この当時の地下鉄東西線計画は、当時進められていた仙石線地下化工事と関連付けられ、
・【地下鉄東西線の東起点】仙石線の終点(計画)=青葉通り・日立ファミリーセンター付近、
・【地下鉄東西線の西起点】西公園終点
つまり青葉通りの地下に沿う1km強という短距離限定形

地下鉄終点となる西公園には大規模ターミナルを整備し、
その先は乗り換えで「モノレール」が本気で議論されていたのが当時。
モノレール案が後に頓挫した背景は、
法制上の制約=「モノレールは道路を外れたルートには作れない」絡み。

元々「青葉山に新たな幹線道路を(特に南北縦貫)」…という悲願の青写真は既存。
その道路計画を具体化推進&前倒し加速させたいという当時の市長さんらの思いがあり、
モノレール計画を絡めることで難儀だった道路開発へGO!も一気に進展(できるかも
…そこの旨みがモノレール案採用に於ける原動力の一つだったのですが、
そうなると必然的に「道路をトンネル化せず全面露出化が条件」ということに…

具体的なルートを・・という議論になった時「青葉山の自然破壊になる道路は作らせない派」も多く、
道路が先行(またはほぼ同期に近い時間差)しないと作れないモノレール案は、
結果として大幅な先延ばしになる、または最悪でいずれ行詰るという予感まであった訳です。

このモノレール案は、西公園から青葉山経由で八木山・・というところまでは、
この度開業する地下鉄東西線に近いルート、
その先で大きく異なるのが八木山の先へと更に延伸したルートを2案模索中でした。
・A案、ひより台−羽黒台−日本平−茂庭−茂庭台
・B案、ひより台−太白−茂庭浄水場−仙台南IC−茂庭−茂庭台

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