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  • 499
  •  
  • 2013/11/27(水) 00:00:22
>>497
1 競馬場がなくなった2003年ごろは平成の合併ブームの最中であって山形市は周辺の市町と合併して中核市を目指してた。合併すれば上山の借金も解決する算段のはずがその年に山形市の前市長が死亡。合併の話はチャラ。競馬場も閉鎖した後。上山には借金だけ残されたというわけ。でも上山抜きで天童とだけで合併しようという話も進んでいた。
2 山形市はもとから広域組合というものを作って周辺の自治体のゴミ処理も行っていた。今のゴミ処理場は耐久年数を超えているので建て替えの話になった。そこで活断層の心配もなく人里離れた上山に候補が上がった。ゴミ処理場の設置と共に周辺の開発も進める予定だった。
ここで上山名物となった「とにかく反対運動合戦」。これが特に山形市民の反感を買うことになった。人にゴミ処理をさせておきながら、自分たちは一切負担したくないと魂胆丸見えだったから。
3 商店街の「とにかく反対運動」
競馬場以後、ヨークが来るまでの10年あまり新規出店がゼロであった。この間に人口流出がかなり進んだこと。閉店が相次いだこと

ここまで見た

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