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  • 2012/01/28(土) 11:27:29
北海道十勝地方在住の者です。陸前高田に知人がいます。

震災の11日には知人とは全く連絡がつきませんでした。陸前高田の様子もこの時点では全くの不明でした。
12日の朝になって陸前高田が壊滅状態と知りました。知人の安否が全く不明なので、陸前高田に行って見ることにしました。

水と食料と衣料と毛布などを車に積んで午前中に十勝を出発しました。
苫小牧東港が津波で浸水したので苫小牧東港は利用できないのですが、臨時で小樽から出航するとの情報があったので新日本海フェリーに電話をしたけれど話し中で全く繋がりません。
仕方が無いので函館から青森に渡って行くことにして函館へ向かいました。

函館についてガソリンを入れようとスタンドに行くと、20リットルまでしか入れられないと告げられました。
これはちょっとまずいと思い、ホームセンターでガソリン携行缶を購入しました。ガソリン携行缶は売り切れ寸前でした。
とりあえずガソリン携行缶にもガソリンを入れて、フェリーターミナルへ向かいました。

フェリーは津波警報が出ている間は出航しないとのことでした。
夜の12時頃になって津波警報が注意報に変わり、青森へ向けて出航しました。
早朝のまだ暗いうちに青森へ着いて青森市郊外のコンビニ寄ってみると、食料品等がかなり品薄になっていて通常の状態でないことが感じ取れました。

4号線で盛岡方面に向けて走っていて明るくなってくると、スタンドで車の行列ができています。ただならぬ雰囲気です。
どこのスタンドも行列ができていました。盛岡市の到着してガソリンを入れようとスタンドの行列に並びました。
3時間並んでガソリンを入れました。だけど10リットルまでの給油制限。ガソリンを入れ終わったら昼過ぎでした。
盛岡市周辺の信号機の多くは点灯していませんでした。

ラジオでは被災地域へは通行制限をしていると放送されていたので、陸前高田へ向かうの躊躇し盛岡付近の道の駅で車中泊。
道の駅は停電していました。トイレの水も断水してました。
翌14日早朝の真っ暗な時間に、道の駅の自販機の明かりがいきなり点きました。電気が回復したようです。

被災地域への通行制限は相変わらず続いているようでしたが、とりあえず陸前高田へ向かうことにしました。
花巻あたりから海の方へ向かいます。
東和で検問っぽいのが遠くに見えたので、検問を迂回するルートをナビで探して進みました。難なく検問をパス。

途中の小さなスタンドで行列に並んでガソリンを補給し大船渡経由で三陸道を通って広田半島に行きました。
広田半島に入って広田町方面に向かう途中に津波警報とかで通行止め。消防団の方々が交通整理をしていました。
通行止めの間、小高いその場所から見えた景色は見たこともないような瓦礫の景色。
待つ間、開通を待つ自衛隊の若い人と雑談。その人は半分私用のような形で広田町の実家へ行くということでした。

津波警報が解除され、広田町方面へ向かいます。瓦礫の中の応急的に片付けられてなんとか通行できるようになった道を進みます。
なんとか知人宅の付近まで行きましたが、電柱が倒れて道を塞ぎ、そこから進めません。
そのへんにいた人に知人のことを聞くと、その人は偶然にも知人の従兄弟でした。そして、先ほど会った自衛隊の若い人は、その人の息子のようです。
その人に連れられて山道を歩いて知人宅へ到着。家は無事で、そこには被害にあった親戚の方が10人近く居ました。水は井戸水を利用していました。食料も何とか足りているようでした。石油ファンヒーターしかなかったので暖房に困っていました。反射式石油ストーブを持って来なかったことを少し後悔しました。
少し知人とお話をして広田町を出発。

15日朝に秋田からフェリー乗ろうと思ったら、その日は夜に秋田発だったのでフェリーターミナルで夜まで待って乗船。16日早朝に苫小牧東港到着。午前中に十勝に到着しました。

ここまで見た

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