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  • 2012/01/25(水) 19:13:06
@北上市 長くなるけどごめんなさい。あの日のことについて他人に断片的には話したことがあるけど、まとめたことはないから…。
自分の整理をさせるためにも書かせてください。

奥州市の職場の会議室で会議をしていた。
その時たまたま目にした広報誌に、海外でも津波はTUNAMIと表記するという記事があり「へぇ〜」と思っているところに揺れがやってきた。

長い揺れでロックをかけてあるはずの机が、かかっていないかのように動いた。部活をしている生徒のことが気になり、室外に出ようとしたが、
揺れがひどくて動くことができなかった。揺れが少しおさまったころ、会議室の外にでると壁にひびが入ったり、天井の資材がポロポロと床に
落ちていた。そして生徒の一人が過呼吸を起こしながら階段を下りてきた。ビニール袋を取りに事務室に飛び込むと、書類が散乱して足の
踏み場もない状態だった。目的のものを手に入れて過呼吸の生徒の手当て?にあたる。校舎にいた生徒達が大勢階段を下りてきたので
外に誘導し、自分たちも外に脱出した。(後で聞いた話だが、この生徒は部活中なんとなく嫌な感じがしていたらしく、移動しようとエレベーター
に乗っていたところエレベーターが止まり、携帯からは緊急地震速報の音がしてエレベーターには地震?だったか緊急?だったかのランプが
点灯したため、まずいのではと思ってエレベーターを降りた直後に地震がきてパニックになったらしい)

駐車場に集合し、人数確認をして全員避難することができたことがわかり、保護者と連絡を取らせながら帰宅させることに。私は過呼吸になった
生徒を車で家に送り届けることになった。いきなり吹雪になって「こんな時に雪まで」と思った。自分の荷物を取りに校舎に戻った時に、
壁にたくさんヒビが入っているのが目に入り、涙が出そうになった。職員室も足の踏み場がないほどものが散乱したり、書棚が倒れたりしていた。
もしあの時間にここにいたら…と今でも思うとぞっとする。会議室という机しかない部屋だったからこそ、誰もけがをしなくて済んだなぁ。

信号は消え、道路は大混雑。みんな出来る限りゆずりあって通行していた。いつもなら30分で着く距離を一時間かけて移動した。
車内で奥州FMを聞きながら運転していたが、緊急時のため、奥州FMは7分?ごとに信号を切り替えながら放送していた。
生徒を無事送り届けた帰り道、四号線のひどい渋滞にはまってしまった。その時にラジオをIBCに切り替えた。
津波が到達した後で、神山アナウンサーの悲鳴のような中継を忘れることができない(神山アナウンサーはたまたま釜石にいたらしい)。

職場に向かって来た道を戻っていると、生徒が一人歩いているのを発見した。車を停めて話を聞くと「連絡したが迎えに来れる状況ではない」とのこと。
そこから歩いても一時間はかかりそうなところだったので、送っていくことにした。途中、ブロック塀が崩れている家が目に入る。
その生徒を送り届けて職場へ。まだ生徒が帰れないでいたらどうしようと駐車場に行ってみると誰もいない。
しかし、校舎の事務室には誰かいるのが見えたので顔を出してみると、事務職員が残って処理をしていた。「生徒は全て学校からは帰りました。
様子を見て月曜日に出勤してください」と言われたので、実家に寄ってから帰ることにした。

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  • 2012/01/25(水) 19:33:05
@北上市
実家に向かったのは17時頃だったと思う。今更ながら母に安否確認のメールを送ると「無事だけど、もう少ししないと職場から家に戻れない。
一人で家にいるおばあちゃんが心配だ」ということだったので、急いで実家に戻る。
道路が陥没したりしているので迂回しながら実家に戻る途中、目の前を母の車も走っていた。

同時に家に着き、母は牛舎に向かい私は祖母のところへ!!
「大丈夫だった?!」とドアを開けると「おら怖かった〜」と言いながら近所のおばあちゃんとお茶を飲んでる祖母を発見(笑)
やっぱり、戦争時代を生き抜いている人は違うなと改めて思いました。
停電で薄暗い中、家の中の被害状況を点検。グラスが二つ割れていたのでそれを処理し、無事を確認したし仏壇も拝んだし帰ることに。
(その頃、父は千葉に旅行中でバスの中で地震に遭遇し、二・三日かけて帰ってきたらしい)
実家に泊まることも考えたが、やはり自分のアパートの様子が心配になり、戻ることにした。
母から「食料だ!持ってけ」とバナナやおにぎりをもらって実家を出発。

北上に向かう途中、火災の消火活動をおこなっているところがあった。
信号は消えているし、あたりは暗いし、本当に怖かった。
展勝地からいつもなら見える北上の灯りがなくて、悲しくて涙があふれた。

アパートに着くと花瓶が一つ割れていた。その程度であまり被害はなかった。
懐中電灯がなく、借りてくれば良かったと後悔しながら携帯の灯りを頼りにアロマローソクを探し出して火をつけた。
何度も余震がきて、一人の夜が怖かった。実家にいればよかったと思った。
母からもらった食料を食べ、妹や友達にメールして安否確認をする。
ラジオもないし、停電もすぐ直りそうもないと思ったので「寝るしかない」と思い、早々に眠りについた。
眠るものの寒さと余震で何度か目が覚めた。その度に外に出て車で暖をとりながらラジオを聞いた。

灯りがないため、星がきれいに見える。ラジオからは津波の悲惨な状況が流れてきて、
あまりの甚大な被害に悪寒が止まらなかった。同じように車で暖をとりながらカーナビでテレビを見ている人がいた。
その時ワンセグでテレビを見るということに気付いてなかったなぁ。

ここまで見た
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  • 2012/01/25(水) 20:10:47
@北上市
「とにかく早く明るくなれ!早く夜が明けて欲しい」と思いながら眠りについた。
時々2ちゃんも見たよ。閲覧だけだったけど、誰かと繋がってる気がしてすごく心強かったよ。
朝の4時くらいに目が覚め、そとも少しずつ明るくなってきていたので早い朝食をとることにした。
幸いなことに水とガスは使えたので、「まずは温かい料理を作って気持ちを強くしよう!」と
冷蔵庫を開けてみると解凍したエビと生クリームを発見!
「地震に負けてられるか!」とエビのクリームパスタを作成。高カロリーの食事をして元気が出てきた。

食事をして元気もでたし、明るくなったので食料や備品のチェック。
家にいても何もすることがないので、また実家に行くことに。
明るくなってから運転してみると、改めてその被害の大きさに驚いた。
紳士服の店の大きなガラスが粉々に割れていたり、道路が陥没していたり…。
「ちょっとスーパーに寄って食料調達しようかな」と思って立ち寄ってみたら、
朝7時だというのにすごい行列だった。携帯の予備電池を手に入れようとドコモショップにも行ったが
(奇跡的に店員がいた)補助充電しかないと言われ、その意味がわからなかったけど

実家に帰る途中で、嫁にいった妹の家に行ってみると、妹は仕事にいったらしく不在で旦那もいない。
せっかく来たのにな〜なんて独り言を言いながら車に乗ると、妹の旦那が坂を上ってきた。
近所の見回りに行ってきたらしい。私が実家に行く旨を伝えると、一緒に行きたいということだったので
車に乗せて一緒に行くことにした。

実家に戻ると、一見いつもどおりの生活をしているように見えた。たぶん薪ストーブがあるからだと思う。
ご飯を炊くのもガス釜なので、食生活に不自由はしていなかった。農家だから自給自足だしね。
ラジオも3個以上あるし、懐中電灯も5個か6個ある。自分用に電灯付きラジオをゲットした。
母が妹の旦那に「墓の雪が地震のせいでえらいことになっているので、雪よけに行こう」と言い出し、
「こんな時に墓の雪よけしなくても!」という言葉も聞かず、妹の旦那のを連れて寺に出発した。

残された私はこのサバイバル生活を生き抜くための食料やグッズを実家で探しながら祖母の相手をし、
昼食を作った。雪よけから帰ってきた二人と合わせて4人で昼食を食べ、北上に帰った。
「一人じゃないって素敵なことなんだな」と感じた瞬間だった。

帰り道、107号線で赤十字のバス何台かとすれ違った。
その度に車の中で「来てくれてありがとう!がんばれ!がんばれ!」と泣き叫んでた。
妹は仕事帰りに電柱に登っている東北電力の人に「頑張ってください!!」と声をかけて
「はい!(電気がくるまで)待っててください!」と言われたらしい。
他にもたくさんの他県からの消防車や救急車とすれ違った。本当にありがたかった。

北上に戻るとまだ停電が続いていて、「今日もまた寒くて暗い夜か」と思いながら手に入れたラジオを
聞きながら靴下をはいて布団の中で丸くなっていると電気がついた。
テレビをつけると、津波の映像が飛び込んできて、予想以上の悲惨さに言葉がでなかった。
そこからはガソリン難民になったり、食料を手に入れるためにスーパーに並ぶ2週間を過ごしたなぁ。
そして募金活動をしたんだけど、その時外で活動している私たちにおばあさんが貴重な牛乳を差し入れて
くれたり、沿岸から来ましたと言って募金をしてくれた老夫婦にその牛乳をあげたりした。
皮肉だけれど、本当に絆というものを感じたり考えたりした体験になった。

長々とスレ汚しごめんなさい。貴重な場所をありがとうございました。

フリック回転寿司
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