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  • 2012/01/24(火) 07:56:25
原町で仕事中地震にあい、子供たちを迎えに行き実家についたのが17時前。
地震が起こるたび実家から飛び出していたら、17時すぎに知人に会った。
「原発の非常用ディーゼルが津波で流され、電源喪失になった。
消防が行ったが水が入らない。電源車の手配はしたが、
道路の状態もわからず5時過ぎで本庁の動きが鈍い。
すぐに子供を連れて逃げろ。そしてこれを出来るだけ人に伝えてくれ」
頭が真っ白になった。
テレビで安全に停止したと流れてると両親にはキチ扱いされたが、
旦那に別れを告げ、毛布だけもって子供と着の身着のまま川俣に逃げた。

飯舘のセブン付近で夜8時時点で外気マイナス6度。
毛布一枚では凍死しそうになったので川俣に移動。
川俣も夜中マイナス5度まで下がり震えていた。

ポーンした後は旦那も会津で合流した。旦那は4月から通常勤務。
自分も新潟から南相馬の仕事場に週3〜4日通ってる。
12月は日帰り可能だったけど、今は雪がひどくて無理。
仕方ないので新潟に静岡の義母よんで子供の世話してもらってる。
通勤時間片道200キロ2.5〜3時間 実労5時間…
朝5時に家を出てなんとか会社にgo。そのうち過労で事故って死ぬかも。

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