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  • 2012/01/29(日) 23:53:33
地理的に被害は少なかった青森県上北方面です。

運動施設に勤務。当時はトレーニングルームに3人男性。
温水プールにご年配のご婦人3人と初老の男性2人。

いきなりゆれて、すぐに治まるのかな?考えてる途中から
販売物を入れていたショーケースが尋常じゃない音を立て始めた。
「これはやばい!」と思って急いでプールに行き、大きな声で
「地震が来ています。大きいのであわてずにプールから上がって下さい〜〜!!」
と言っても、入水しているお客様は「???」という顔で私の言っている言葉を
理解していない。

経験してみないと判りにくいのですが、プールを歩いていたり、泳いでいると
地面からの揺れは判らないです。もともと揺れている様な状態で運動している
からです。
「大したことないさ〜」と笑顔のお客様、1秒後と大きくなる揺れ、焦る私。

「とにかく出てください〜〜!!」と言っているとプール施設全体がギシギシと
異音を出し始める。揺れはMAX、私は非常口に走り扉を開け、やっと非常事態に
気がついてプールから上がるおばちゃんたちを誘導。

外は春には未だ早い東北の3月。わずかに雪が残る駐車場に
水着のまま避難する事になりました。
外に出て一番年配のおばさんに抱きつかれながら、大地が大きく揺れる中、
外のピーンと張り詰めた空気を痛いほど頬に感じていました。

大地の怒りって言うのはおかしいのですが、人の力の及ばない
大自然のエネルギーに畏怖を感じた人はこの中にいませんか?

ただ抱きしめあうことしか出来ない駐車場の私達の足元には非常口の
扉の向こうのプールから大揺れによってカクハンされた水が
いつまでもいつまでもいつまでも流れ続けていました。

余震の治まらない中、皆さんを着替えさせ、無事帰宅を確認して一安心。。
職員は通常9時までの勤務でしたが、停電のため5時で営業停止となり自宅待機。

自宅はたいした落下物も無く、ガスはプロパン、ストーブも反射式が3台あり、
食料も蓄えが相当数ありました。
ただガソリンだけは買えず、3月いっぱい自転車や徒歩で通いました。
プール用の重油も被災地優先で買えず、4月までジムだけの営業。
職員も交代で勤務。今でも避難のシュミレーションを毎日脳内でする癖がついた。

こんな感じでした。内海(陸奥湾)側でしたので津波の被害は無かったですが、
テレビを2日見れなかったので初動での映像は全く見れませんでした。
12日、まさか来ないと思っていた朝刊の新聞見開きの津波写真に絶句した事が
昨日の事のように思い出せます。

長くてすいませんでした。
皆さんのご健康を心から祈ります。

ここまで見た

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