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  • 2011/03/20(日) 21:35:00
199X年。
それまで勤めていた東京の会社を辞め、俺は故郷の北海道へ戻ることとなった。
こういう時でもなければ二度とできないだろうと、俺は貯金を全部下ろして日本一周旅行。
まず東京から西へ向かい、沖縄以外の全都道府県を旅した。

後半は東京以北。岩手県とといえば当時は冷麺が有名だったな。旨かった。
食後はリアス式海岸を見学に行った。
それまで社会の授業では習ったことはあるが、実際に生で見たのはあれが最初で最後。
気仙沼からR45を太平洋沿いに北上し、陸前高田、大船渡、釜石、宮古と車を走らせた。

いやー、今でもよく覚えているけどまさに絶景。
海岸線が複雑に入り組み、湾の奥の平野部には例外なく集落があった。
ここが天然の良港とされるのも分かる。

整備された国道を高速で過ぎ去るのは面白くない。
と俺は進路を気ままに取り、海沿いの極小さな集落をゆっくりと通過してみた。
乗用車同士がすれ違うのも困難な狭い通りに、軒がぎっしりと連なっていた。
何という地名か俺には知る由も無いが、こんな小さな集落でも人々の生きるエネルギー、
経済活動の営みといった正の気を何となくだけど感じることはできた。

カーブをゆっくり抜けると、道路上で二人の姉妹が遊んでいた。
そして俺の車に気づくや否や、両手を広げて通行止めのポーズをする。
あの時俺は真っ赤なスカイラインGT-RのDQN改造車に乗っていた所為もあるだろう。
「とまれー!ここはあたしのおうちの前です!あやしい人は通しません!」
『ごめんねー。オジサンこの先行きたいんだけど、通してくれないかなあ?』
「じゃあほこうしゃに気をつけてゆーっくりあんぜんうんてんで行ってくださいね!」
『わかりましたー。』

とやんちゃな浜の姉妹の検問を通過した。
漁港に着いたのは15:00頃だったろうか、海の男たちは既に仕事が終わったと見られ、
何人かが赤ら顔で談笑している様子が見られた。
事前の予想通り、ここはやはり小さくともちゃんと自立している地域なのだ。
俺は風景画を何枚か撮ろうとカメラを用意したのだが、ちょうどフイルムが切れてしまった。
さらにこの集落、漁港に辿り着いたら行き止まりで、幹線道路に出るためには来た道を戻らなければならない。
ダブルでアチャーと思いながら車をUターンさせた。

そしたらやはりあの検問があって、俺はまた姉妹に捕まってしまった。
「ちゃんとあんぜんうんてんしましたか?」
『はーい。言われた通り、オジサンはゆっくり走りましたよー』
「おじさんはおりこうさんですね。通ってよし」
『ありがとう。バイバーイ』

この不思議体験は今でもはっきりと覚えている。
現在は二十歳頃になっただろうか。この姉妹が元気でやっていることを切に願う。
KYな長文スマン。

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