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  • 2014/08/17(日) 17:07:57
フジテレビ系で平日の9時50分からやってる「ノンストップ!」でよーく話題になるが、自分の血筋じゃない嫁の事を家族扱いしないのはどこにでもあるよ。
あなたのトコが特段異常ってな訳じゃない。

まあ、「そーゆー家に嫁いでしまったんだ…orz」位に諦めるしかないさ。


貴女に子供さんがいるかどうかはあれだが、自分が姑の立場になった時に自分がそういう立ち居振る舞いをしないようにしてあげな。

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  • 2014/09/16(火) 19:15:33
ちょっと気持ちが良くなくて寝ていたら、突然誰かが体をゆっさゆっさ揺らしてきたので誰だ!!
と起きたら地震だった。周期の長くて大きな揺れがずっと続いた。
揺れが収まってからテレビをつけようとしたら停電で見えなかった。
いつも枕もとで聞いていたラジオが唯一の情報源だった。
第三級ハム持ってても開局してないから役に立たない。

夜どこも電気の無い真っ暗闇をたぶん初めて経験した。夜8時45分頃電気が回復してテレビをつけて
津波の映像見てしばらくしてその大きさに気が付いた。
最初は畑の畝の間をひたひたと流れているように見えていたのが実はビニールハウスを飲み込んでいたのだと気が付いたからだ。
ボランティアとして駆けつけたかったけど、地元の市の社福は釘を踏み抜かないよう鉄板入りの安全靴を履かなければ行ってはいけないというので行けなかった。

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  • 2014/10/25(土) 03:15:24
@郡山
保育所で働いていました。
子供達は午睡中だったのですぐにふとんをあたまのほうまでかぶせて
起きて大泣きする子供には必死に笑顔で手遊びなどしてなだめつつ
先生たちみんなで子供達におおいかぶさって
揺れが収まるのを待ちました。
いっこうに揺れが収まらず保育所が倒れるかと思いました。
外へ避難させた方がいいんじゃないかな〜と思いつつ窓の外に目をやると
いきなりの猛吹雪。すごく恐ろしくなりました。
すぐに止んだけど、あれなんだったんでしょうか?
大きな揺れが収まった時点で子供達を所内の安全な場所に避難させて
順次お迎え待ち。
迎えの父母たちが来るたび子供といっしょに泣きそうになった。
本当にみんな無事でよかった〜と。
子供達が全員帰ったところで職員も家路へ
シーンと静まり返った暗い町中をとぼとぼ歩いて帰りました。
携帯も繋がらなかったので家が壊れてないことを祈りつつ。。
家に着くと父と母が元気に出てきてくれたのですごくほっとしました。

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  • 2014/11/08(土) 18:50:24
>>505
そんなモン誰も興味ねーってんだよ馬鹿が

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  • 2014/12/05(金) 17:51:17
@石巻
当時は母親の経営するデイサービスで勤務してたよ。
利用者は10名で職員が俺含めて5名。

「ズゴーン!」って地面が割れるような音とともに激しい揺れ

利用者の安全確保して外を出たらサイレンと煙が上がってた。
母親はスゴい対応が早くて水がでるうちにって風呂場に水を貯めて
色々と対応してた。

自分はというと片親で婆さんに育てられてきた婆ちゃん大好き人間で
母親に会社の事は任せて車で5分くらいの実家へ行った。
大好きな婆ちゃんは無事で津波もこず、足の不自由な隣のおばあちゃんが
閉じ込められてたので助けて、カーラジオを付けて情報収集。

・仙台の海岸に何百体と遺体が上がった
・仙台港で津波の予測高さ10m

とか言うてるの聞いて、
近所の人とまさかーーーなんて言いながら話をしてた。
家、婆ちゃんは無事だったので会社に戻る。
婆さんは近所の脚悪い婆さんもいるので自宅にいることになった。

会社について間もなくして、「外から津波が来たぞぞおおおおお」
って声がして、会社から実家の方を見ると津波が
「しまった」と思って、止める母親の静止を振り切って
急いで水に濡れまいと雨合羽をきて車を会社に置き、津波がきてる実家の方へ
(雨合羽を着た事、実家に帰ろうとした事が災難になります)
文才なくてごめん

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  • 2014/12/05(金) 18:09:20
で雨合羽・長靴装着して実家へ
実家にいくまでにすでに津波はきてて
最初は膝くらいまでだった。

大通りとなる道路は流れの早い川みたいになってて、
大の大人が普通に転ぶような勢い
そこを横断し津波に逆らうように実家へ

水の冷たさは冷静さを取り戻すまで感じなかった。

石巻は合板などが盛んで、伐採した丸太が流れ、
車は浮いてガンガン家にぶつかったりした。
この辺りで雨合羽をきていることに後悔。
とくにズボンはビニール製で中に水が入ると水が抜けず
動きづらかった。

たまたま津波に逆らって帰ってると、
前方にボンネットの上にのって流されてる仲の悪かった友人がいた。
(車は浮いてるけど足はつく)

友人は家に子供がおり帰らないといけないということで、
友人の家と実家も近く一緒に津波を逆走するように前に。
というか道路の塀にくっつくように前に進んで行った。

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  • 801
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  • 2014/12/05(金) 18:17:32
家まで普通だったらあと5分もかからないというところで
貨物専用線路があり、来た途中の大通りの川なんて屁でもないくらい
すんごい勢いの川になってた。
少し前に踏み込んでみたら、線路の金属で滑りそうになり、
さらには塀をつたうようなこともできない。
ドラム缶や丸太が流れてくる

友人は体格もよく前に進み、自分は実家目前で諦める事にした。

この線路にいる時だけど、線路を横断すす脇に黄色い塀みたいなのがあって
そこに立って動けないでいるお爺さんがいた。

二人で「そこにいたら死ぬよ、おりなよ」っていったけど降りようとはせず
かといってこの時点で自分の身動きはなかなか取りずらく、
というか下手したら死んでしまうレベルだったため
僕は引き返し、友人はその物凄い勢いの線路という川を横断した。
おじいさんは翌日遺体でその近くで引っかかっているのを発見された。

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  • 2014/12/05(金) 18:28:04
ここで友人と別れて行動するんだけど、
引き返す道を見ると、もう水がすごくて、
雪も降ってて、体力も切れてて、

「あー終わった。ここまでだ。母親の静止振り切らなければよかった。」
「母さんの温かい飯喰いたかった」

とか本当に思った。自分は助からないって思った。
なんとか根性で雨合羽ずり落ち重くて動きずらい中、前進んで体力切れ
つい先日までのみんな平和で普通に暮らしていただけなのに
やりきれなくて津波の中でいい大人が半べそかきながら
なんでこんなっていったの覚えてる。

最終的には体力切れて、津波の水かさまして流されました。
「たすけてくださーーい」って叫びながら

2階からみてる人もいた。実際自分がおじいさんにしたように
自分を助けたらその人の命も危ないし、
仕方ないと思いつつ流されながら叫んで
最後は知らない老夫婦にひっぱりあげられて助けてもらった。

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  • 2014/12/05(金) 18:40:46
その人の家の2階に避難し
服は旦那さんのを貸してもらい、
炊飯器にあった冷ご飯とひじきをお裾分けしてもらい
ろうそく一本で暖とっていたら寝てた。

翌日水が引いてから会社に戻った。
母親、職員には助からないって思ってたらしい。

その数週間後に気づいたんだけど、県外にいる妹が親と当日連絡をとっており、
行方不明者リストに入ってた。

幸い血縁関係には不幸はなかった。
1週間後には実家に帰り、婆さんの無事も確認できた。

ただ従業員や利用者さんに不幸があった。
幼稚園に迎えに行き孫と血縁関係の人がなくなった。

利用者のスゴい明るかったおばあさんは
長年住んでいた家が流され、何も力になれないと思ったらしく
自ら命をたった。

震災前はスゴい元気だったのに
新婚の妊婦の孫がなくなったのがショックで
精神的に弱ったおばあちゃんもなくなった。

周囲はそんな感じだった。

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誤字多いのごめんなさいです

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  • 2014/12/23(火) 15:43:15
ずっと読んでたが、
意味がよくわかんないんだな、
はっ、それで、なにが、どうなった。

メチャクチャな文章で?

もう少し落ち着いて書いたら…
わけわかんないって、話が飛び飛び、またもどったり
日本語になっていません。

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  • 806
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  • 2014/12/28(日) 16:08:45
俺も石巻だが、799さんは自分にしか読めない文章みたいだよ
文字数が多い割りに状況がつかめない

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  • 2015/01/21(水) 15:45:02
@東京
あの日は埼玉で仕事してて地震に遭遇しました…
余りも揺れが長かったので、これはヤバイっ、母親1人残してる家に即電話しても繋がりません。
もしかしたら家ペシャンコになってるかもと思いつつ、
自転車での帰り道、大型スーパーは軒並閉店、幹線道路は大渋滞でした。

帰宅して母親の無事を確認してTV着けたら…
悲惨な光景に一晩中眠れなかったです。

翌日から、スーパーやコンビニの棚がスッカラカンになってました…

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  • 2015/01/23(金) 10:47:38
2011年
○年以内に宮城県沖地震が来る確率90%以上。
ってニュースで言われていた。

昔あった宮城県沖地震の時、俺は中学生だった。
校舎の壁にバスケットボールのゴールが取り付けれていて
そこで練習してた。当時木製の校舎だったんだけど、もちろん窓枠も木製で
その窓枠がガタガタと音を立てて、地面も少し揺れた。
でも、大した事はなかった。震度にすれば2か3程度かな?って思った。
それからしばらくして、さっきとは比べ物にならない位の大きな揺れが襲ってきた。
とっさに近くにあった渡り廊下の柱にしがみついた。
立っている足元を見ると地面に亀裂が入っていた。
校庭が波打っているのがはっきりと見えた。
すぐに下校するように指示があって帰宅したが
当時は防災無線なんてないから何の情報もなく歩いて下校した。
津波があったはずだが、それほど高い津波ではなかったからよかったけど
その通学路は東日本大震災で多くの死者をだしている。
その後、かなり長い期間余震が続き、そのたびテレビで地震情報がながれた。
当時の震源の深さ、50kmから60km。
しょっちゅう見てたから5〜60kmの震源っていうのが頭に入っていた。
2011年、三陸沖を震源とする地震が頻発していた。
その時の震源の深さが10kmとか20kmで浅い震源だったので
予想されていた地震とはすぐには結び付かないと思っていた。
そんな中、3月9日、もうすぐ正午という時間、大きな揺れがきた。
最大震度5弱。当時会社の近くのホームセンターで買い物をしていた俺は
確信した。「大きな地震が来る!!」
昔の宮城県沖地震を思い出した。大きな地震の前に比較的大きめの地震が来る。
そう思った。

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  • 2015/01/23(金) 10:53:11
上の続きです。
書くの忘れてた
@いしのまき(2)

すぐ会社に戻り、机の本棚にうず高く積まれていた本や書類を
下に下ろして同僚に大きな地震が来るかもしれないから気を付けるようにって言った。
同僚は真に受けなかった。もちろんそうだろうな。
何の化学的根拠もない経験と勘だけで言ってるから。
でも、自信はあった。
し帰宅後、テレビ台と食器棚が一体になった家具の扉が開かないように
養生テープで固定した。
家族からも異様に見えたかもれない。
かなり古い家だったから、以前から少しづつ押し入れの中とか見えない所に
L金具なんかで柱を補強してたんだけど、余ってた金具全部使って補強した。

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  • 814
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  • 2015/01/23(金) 11:21:53
@いしのまき(3)
必ず(とは言ってないけど)来ると言われていた大地震。
用意だけはしていました。
昔の宮城県沖地震の経験から、停電になる事
食料の調達が出来なくなる事。
電気が無ければ今時のコードレス電話は使えない機種が多い。
自分の家の電話機は電気が無ければ着信音が鳴っても受け取る事が
出来ないのを確認したから、昔の黒電話を取っておいたので停電時用に
しました。
ネットオークションで故障してる発電機買って修理して電気の確保。
でも、2サイクルエンジンで騒音と振動がかなり酷いんで
別に4サイクルの発電機も買って、ガソリン携行缶も。準備万端。
パンの缶詰やチョコレート菓子とかも。子供たちが飲むジュースも
ペットボトルで購入しきれないようにしていました。
考えられる物は全て準備したつもりでした。

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  • 2015/01/23(金) 11:51:17
@いしのまき(4)
3月9日、その後弱い地震はあったものの
大きな揺れは無く、翌10日も大きな地震は来ませんでした。
今回は来ないのかな?と、思って翌11日テレビのアンテナ工事をするために
半島部のある漁村へいきました。
昔、会社のお客さんだった人からBSのアンテナ家に付けてくれって
頼まれていました
仕事としてやると結構な金額になってしまうので
暇なときに実費だけでやりますよって話をしてありました。
会社に内緒でやるんで誰にも行先を告げず
13時に会社を出発。13時30分頃現地に到着。
梯子を立て掛けて2階の壁に取り付け。
14時46分、梯子の一番上で揺さぶられました。
滑ったのか?とも思いましたがすぐに地震であることがわかりました。
とっさににすぐ近くにあった雨樋にしがみつき、揺れが収まるのを
待ちました。
しかし、なかなか収まらない揺れ。
少し揺れが弱くなった時、地上に降りましたが
後ろは切り立った崖、前と左右住宅に囲まれ
その家々の壁がグニャグニャと波打っていました。
このままでは家が倒壊して下敷きになる、そう思いましたが
歩ける状態でもなく、収まらない揺れにただ恐怖に耐えて立っていました。
海岸まで10mほどの場所。このまま沈没するのか?!
本気でそう思いました。

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  • 2015/01/23(金) 14:21:14
@いしのまき(5)
揺れが少し収まった時、
お客さんに「津波が来るからすぐに逃げてください!」って呼びかけて
道具を片付けて海岸に置いていた車に急ぎました。
遠くに見える山々が花粉で黄色くかすんでいました。
海の様子は普段通りで、震源は直近ではないと思いました。
車に乗り込みラジオをつけると大津波警報を伝えていました。
中学生の娘は当日学校が卒業式で既に帰宅しているはず。
小学生の息子は学校で不安に怯えているのではないか?
そう思い、自宅へと急ぎました。道路は空いていていましたが
所々ひび割れや隆起があっていつも通りのスピードは出せず
何とか走れる状態。
通行止めや渋滞が無ければいいが・・・。
と思いながら走っていると前を走っている車に追いつき
徐々にスピードダウン。とうとうストップしてしまいました。
前方から警察官が来て「この先で倒木があって通れません」と言われ
足止めされました。

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  • 2015/01/23(金) 14:35:43
@いしのまき(6)
とうとうここまでか・・・。
息子と娘が心配なので何とか迂回できないか。
停まっている場所から少し戻れば2つのう回路があります。
一つは海岸沿いを走るルート。もう一つは入り江を走るルート。
入り江のルートは道幅が狭く片側が山の斜面、反対側は崖になっているので
落石があったらその先には進めない。
海岸沿いは津波の危険がある。この時、地震発生からすでに20分位経過。
もう来てもおかしくない時間。
どうする、どうする自問自答していたときさっきの警察官が来て
チェーンソーを持っている人がいたので倒木を切ってもらっているとの事。
10分位で通れるようになり、街中へ。
壁が剥がれ落ちている建物などがあったものの
交通量は少なく渋滞もなく順調に走っていたら、小学校まであと1km位で
前方に渋滞を発見。ここで時間をかけるわけにはいかないので
遠回りの抜け道を走り、息子を載せて帰宅。

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  • 2015/01/24(土) 20:59:27
当日は仕事休みで家に居て
次の日3/12は仕事に行ったわ

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  • 2015/01/28(水) 12:29:26
何の仕事か。民間それとも公務かな

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  • 2015/01/28(水) 20:32:13
震災後1年間、ヤマト運輸が行っていた「宅急便1個につき10円を被災地に寄付」による総額は、純利益の4割にあたる約142億円にも達した。
それだけでも素晴らしいが、またその使途の厳密さはどうだ

国の復興予算使途のデタラメさと雲泥の差。

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  • 媛子(愛媛県民では ありません 広島県民です)
  • 2015/03/12(木) 06:50:21
東日本大震災の当日 私は パソコンでネットに夢中でした。
その時 画面に『地震があった』と出たので 『地震か』と
軽い気持ちで いました。まさか 津波で大変なことに
なっているとは 思いませんでした。津波のことを知ったのは
しばらく時間がたってからでした。

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  • 2015/03/23(月) 22:58:58
今日みたいな3月のよこなぐりな雪を見ると、震災当日思いだす。日中は暖かかったのに、急に吹雪いてきて不安だった気持ち思い出す。

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  • 2016/02/11(木) 18:23:14
4年11ヶ月

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  • 2016/03/14(月) 06:27:11
何年経っても終わらない

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  • ハナレイムーン ◆
  • 2016/03/30(水) 11:03:04
語ってください。

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  • 2016/03/30(水) 11:09:43
引越し〜移住したので何も言うことはありません。

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  • 2016/04/16(土) 11:16:11
今回は内陸部の地震で津波がないからと思って見てたがそうではなかったな。

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  • 835
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  • 2016/04/16(土) 22:16:25
ガソリン事情が落ち着くなり
暴走族が夜中に避難所の近くで爆音鳴らすようになった
あいつら屑すぎる

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  • 836
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  • 2016/04/17(日) 01:37:44
>>835
そんな事があったのか。
ウチは仙台市太白区だが、主に県南の沿岸部に暴走族が集中してたのか、半年くらいは爆音聞かなかったよ。

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  • 837
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  • 2016/04/18(月) 02:02:06
あのNHKで流されてる『花は咲く』の歌が好きになれない。なんかうすら寒さを感じて好きになれない。

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  • 838
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  • 2016/04/18(月) 11:42:40
いい歌じゃない
心がねじ曲がってんだね

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  • 2016/04/18(月) 20:39:31
ピンポイントで気に障る人にとっては厳し目の詩がつけられているかもなとは思うね。
個人的にはいい詩だと思うけど
「何を残したか?」と問われて、どうそれに応えるかとか色々ありそう。
子孫を残すという単純な意味だとして
一生懸命愛情込めて大切に育てたそれを震災で亡くした人もいるだろうし。

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  • 2016/04/18(月) 22:45:14
ま、要するに受け取り方の問題よ。
ポジティブに受け取れない人がいるのはしゃーないし、それを責める筋合いも無い。
なので、ポジティブに受け取って頑張ろうって人を責めたりしない事だけを願うくらいかな。

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  • 2016/04/19(火) 02:40:39
いい歌だとは思う。
でも好きになれない。

歌詞が切なすぎて空寒くなる。

心がネジ曲がっているのかもしれないけど…

あの曲を聞くたび 自分の家族と連絡の取れなかった半月間を思い出してしまって好きになれない。
あの曲で勇気づけられて頑張る人を否定はしない。

でも 自分としてはきっと好きになれないままなんだと思う。

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  • 2016/04/19(火) 10:09:48
>>841
それでいいと思うよ。
感じ方は人それぞれ、だからその人にとっては、それが正解。

でも、決めつけなくていいとも思う。
10代の時に聴いた歌を20代、20代の時なら30代
自分が年を取ったあとであらためて聴くと、聴こえ方が変わったりする。

もちろん、変わらなくてもいいし、必ず変わる必要もない。
そういう楽しみ方が出来るのが歌の良さだよ。

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  • 2016/04/21(木) 11:48:22
学校の図書室で震度7来て死ぬかと思った

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  • 2016/04/23(土) 22:32:27
@石巻市南中里1

自宅のマンションにいました。
つわりで具合が悪かったのでこたつに横になってて、
長男(当時2歳)は40型のテレビ(固定無し)の前。
テレビで緊急地震がなってすぐにテレビの前にいって
右腕に長男抱いて、左手でテレビを抑えたけど2度目の強い揺れで
抑えきれず落ちてきた。

すぐ停電。お隣に聞いたら住中は避難者でいっぱいときき、
マンション上階だということもあり、そのまま留まる。
旦那が帰ってきて、日も落ちてきた頃、日和山の向こう側に
煙をみる。
当時はラジオも懐中電灯もなく、地震火災と思っていた(後に津波で
門脇小学校などが燃えていたとわかる)
唯一あった石油ストーブで暖をとりつつ、割れなかった土鍋を上に乗せて
米を炊いた。
つわり真っ只中で、簡単に作れるような物や冷凍食品を買い溜めしていたのが
幸いだった。

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  • 2016/04/23(土) 22:43:15
@石巻市南中里2

夕方にじわじわあがってきた海水。夜8時には満潮でマンションの
一階はダメになった。

夜、水没したあちこちの車からピーピーと警報がなってた。
時々、助けてくれーとか聞こえた。

翌朝3.12
日和山の向こうからまだ煙が見えた。
水は引かない。
3.13も水は引かず、一体孤立。時々ボートや自衛隊のヘリがくる。
旦那が水に浸かり周りの様子を見に行く。
水押の土手には車が通行し、水もないとわかり、
翌日3.14の朝に実家(東松島市)に避難すると決め準備する。

3.14
うちにあった浮き輪兼ボートみたいなのに長男と乗り、旦那が水を
歩いて引いて脱出。

お絵かきランド
フリックラーニング
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