【3.11あの日】〜東日本大震災〜体験記録Vol.1【絆の足跡】 [machi](★0)
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- 2012/01/22(日) 19:10:25
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東日本大震災の被災体験を語り繋ごうという、まちBBS東北板のプロジェクトです。
ご自身が体験した大震災を語ってください。
また、書き込む前に「これは墓場まで持っていくものか?」と自問自答し、
その後、深呼吸してから書き込みましょう。
写真添付可、置場としてもどうぞ↓
【MAHALO】 〜東日本大震災〜体験記録@東北別館 【ALOHA】
http://tohoku.webspace.ne.jp/bbs/tohoku_topic_pr_51.html
【書き込み上の注意点】
1、このスレは個人や団体を糾弾したり、恨み事を書くスレッドではありません。
淡々と体験談を語りましょう。
2、体験は十人十色。
3、文章の上手い下手、事の重さ軽さは気にしない。
4、それとなく、体験した地名をハンドルにするか、または1行目に書き込みをお願いします。
(@石巻とか)
5、文章が長めとなるときは、分割して書き込みしてください。
テスト行為などGL違反はくれぐれもしない様に。
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- 2012/01/22(日) 19:11:27
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語ってください。
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- 2012/01/22(日) 19:26:33
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まあ、淡々と語るよ。
平成23年3月13日。
震災後2日目、おら、確定申告に遅ればせながらいった。
遅れても可、だったけど、、これはしなければと、、。
その帰り、車窓から空を見上げれば、飛行機雲を長く引いて北から南へ一機の旅客機が青空をバックに飛んでいたんだよねー。
あぁ、空の便は、、普通になんだなーと思っていたら・・・・。
急に西の方へ急に進路を変えたんだわ。
今まで見たこともない角度でね・・・・・。
後から、ラジオで知ったよ。
原発が水素爆発したんだ・・・・。
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- 2012/01/22(日) 19:56:55
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福島県相馬郡飯舘村。
言わずもがな計画的避難区域です。
この村におらがケン族として崇敬している神社さんがある。
昨年秋、お札を、、と行ってみた。
計画的避難区域は立ち入りは自由にできるから・・。
道筋、意外と多くの村人と出会う。
まだまだ、負けん、、という気持ちが伺えました。
神社さんに到着。
神主さんとそのお母さん(お婆さん)のお二人で立派にご奉仕されていました。
しかし、ご家族は福島市内に避難しているそうで、夕方にはお二人も福島へ・・。
帰り、田植えができなかった田んぼを見る。
ちゃんと草刈りしてあり、、人の手が入っているんだよね。
今年の春には、、なんだろうけど・・、その道は厳しい。
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- 2012/01/22(日) 19:59:37
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まあ、おらの震災体験なんて、こんなに小さく軽いものだ。
こんな感じでいいですから、語ってみてください。
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- ゆきんこ
- 2012/01/22(日) 20:31:16
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仙台市若林区で震災に遭いました。霞の目自衛隊近く。
書こうと思って、色々と考えたら涙が出てきて書けそうもないです。
まだ時期じゃないのか、時期を逸してしまったか。
津波被害無しです。家も家族も無事でした。友達を亡くしました。
仕事絡みで、たくさんのご遺体とご遺族に会いました。
地震直後、空の上にあり得ないくらい多くの、色んな種類の水鳥が鳴きながら飛んでいきました。
とてもきれいでした。
と思うと同時に、水辺の方面に尋常ではない何かがあったのか?と、感じたことのない恐怖を覚えました。
地震だけだったら、そんなに遠くに逃げる必要が無いんじゃないか?と。
そこから先はまた後で整理して書きたいです。
今はまず、他県の人たちの支援応援に感謝をしたいです。
何かの機会にここに目を通してくれたら幸いです。
色んなことと場所で、助けて頂きました。
ありがとうございます。
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- ゆきんこ
- 2012/01/22(日) 20:32:33
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俺は誕生日だったよ
詳細は省くが、停電の中ロウソクの灯りの下で食べたケーキの味は忘れない
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- ゆきんこ
- 2012/01/22(日) 20:53:54
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岩手県奥州市在住
被害らしい被害は停電くらいのものだけど翌日の夜には復旧してた
でも普段はお互い無関心でまるで他人同士みたいな家族だが
あの時だけは皆に気をかけていてやっぱり家族なんだなと思った
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- ゆきんこ
- 2012/01/22(日) 21:04:32
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3月11日午後2時半過ぎ
東北道下り線、福島飯坂インターチェンジ手前を走っていたらいきなり携帯電話が喚きだした。
あわてて携帯の画面を見ると緊急地震速報の表示『ホントかよ?』と半信半疑でラジオを付けたら
アナウンサーが『走行中の車はすぐに停止して路側帯に車を止めろ!』と叫んでいた。
急いでハザードを点灯して路側帯に車を停めた。
車を止めると同時に大きな揺れが始まり営業車内で滅茶苦茶に揺さぶられ、50m程度先に
停車していたトレーラー(大型トラック?)も転倒しかねないほど揺さぶられていた。
地震後高速道路はすぐに閉鎖され、私は信号が消えて渋滞しているR4を仙台へ北上。
深夜近く余震の続く仙台の自宅にたどり着いたが室内が滅茶苦茶で、家族が一足先へ避難していた
近所の小学校へ着替え後に移動。
遥か彼方に見える仙台港石油タンク火災を見ながら呆然としていたのを覚えている。
あまりにも非現実的な事が連続して起こった為か3月〜4月頃の記憶が薄いような気がする。
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