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  • 892
  •  
  • 2015/06/14(日) 10:12:56
>>887
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05b/chap04/content/docu072.html
久志市の成立

 一九四五年九月の「地方行政緊急措置要項」の発表で、他市町村の難民や地元の住民が収容された辺野古、豊原、久志、真平もあわせて大浦崎市が成立した。九月二十日の市会議員選挙で二〇人の議員が選出され、二十五日の市長選挙で本部町出身の仲里松吉が大浦崎市長に選出された。大浦崎市はその直後の九月末には久志市に名称変更され、引き続き仲里松吉が久志市長となった。
 大浦崎市成立前の人口は「大浦崎二万二四七〇、久志八〇九六」(二七四頁参照)とあり、合計すると三万五六六人になる。十月には人口二万九〇二七人(三一一頁参照)へと減少し、翌年一月には八一〇七人(三一四頁参照)へとさらに減少している。人口の減少は十月に那覇市牧志、壺屋、具志川村金武湾への住民の移動があり、十一月には本部町、今帰仁村、名護町の住民の移動、さらに中南部の住民の移動があったためである。人口の減少した久志市は一九四六年一月に瀬嵩市と合併して、久志市の市役所事務所は瀬嵩市久志出張所となった。

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