琉球が中国に帰属してたらパート2 [machi](★0)
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- 2009/04/22(水) 17:56:26
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2009年4月21日(火)〜4月26日(日)
http://www.city.naha.okinawa.jp/gallery/sche/index.htm
那覇市民ギャラリー那覇市久茂地1-1-1 (パレットくもじ6階)
沙飛 写真展〈写真〉 第二展示室
後援:朝日新聞社、日支文化交流協会、支日友好協会、支那撮影家協会、
八路軍(はちろぐん)
現在の支那人民解放軍の前身のひとつ。支那工農紅軍を改変した軍隊組織。
西安事件を受けて支那国民党と支那共産党の第二次国共合作が実現するや、
1937年8月25日に支那工農紅軍と西北紅軍はともに解散し、
新たに支那国民革命軍第八路軍と改組され、一般に八路軍と呼ばれることになる。
八路軍の従軍カメラマン沙飛(さひ)の写真展
『悲劇の従軍写真家・沙飛の日中戦争』(主催:沙飛写真展実行委員会)
日本軍側の写真は少なくないが、この写真展は「日本初公開」の貴重な写真である。
1937年に日支戦争(支那事変)が勃発すると、八路軍の存在は日本軍将兵にとって脅威となった。
八路軍はゲリラ戦で日本軍の後方をしばしば脅かし、きわめて小規模な戦闘では日本軍に勝利することもあった。
八路軍が日本軍側に心理的動揺を与えたことは否定できない。
ただし、
戦後多くの日本人に刷り込まれた
「日本軍は点と線しか確保できなかった」
「八路軍によって日本軍が敗れ去った」
という話は、支那共産党を無条件に礼賛していたいわゆる
売国奴の左派文化人の過大な宣伝によるものである。
日本軍部隊は占領地域を自由に移動できたし、
八路軍がこれを妨害することは全く不可能であった。
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