沖縄県民は、 いつまで「補助金あさり」を続けるのか! [machi](★0)
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- 150
- 2011/12/30(金) 01:58:39
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しかも 本まで 出されて
メアの情報戦略に もろにやられて だから日本は隣国にも なめられるんだよ
押す
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- 151
- ウン子 ペーチン ◆
- 2011/12/30(金) 02:16:49
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深読みしてみると宮崎と沖縄って農作物競合する、ゴーヤーにマンゴー、
メ◯の奥さん宮崎出身、
そんなこんなの影響もあって沖縄叩いてないのか、勘ぐりたくなる訳さ。(憤
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- 152
- 2011/12/30(金) 02:35:11
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ゴーヤーと普天間きちは 同レベルやんば?
まて ねる
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- 153
- 2011/12/30(金) 07:52:01
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あれってヤマト運輸だったのかぁ
tp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1686811.html
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- 154
- 2011/12/30(金) 07:54:55
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市民団体って、どのような人達の集まりなんですか?
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- 155
- 2011/12/30(金) 07:58:46
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>>139
本当に基地撤去したら良いだろ。マジで地主と本土企業(利権にありつく奴)ぐらいで一般県民には意味がない
加害者のくせに被害者面は一人前だな倭人
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- 156
- 2011/12/30(金) 08:02:25
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>>137
撤去したら良いよ
倭人が中国人に虐殺されようが知らんし
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- 157
- 2011/12/30(金) 10:17:31
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沖縄の最大の功績はユスリタカリで政府を窮乏させ本格的再軍備を不可能にして、日本国民に永い平和を提供したことである。もっと逆さにしても鼻血も出ないほどに絞れば思いやり予算も出せなくなって普天間問題が解決する。辺野古移設がほぼダメになった今、一括交付金を一円たりとも負けてはならない。ガッポリゆすってキッパリ断る。あともう少しの一絞り。平和はユスリタカリから。
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- 158
- 添削
- 2011/12/30(金) 10:26:08
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>>157
> 沖縄の・・中で潜伏する特亜工作員の・・最大の功績は・・
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- 159
- 2011/12/30(金) 10:45:52
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本土の最大の功績はユスリタカリで政府を窮乏させ本格的再軍備を不可能にして、
沖縄県民に永い危険を強要したことである。もっと逆さにしても鼻血も出ないほどに
絞れば県外移設の声も出せなくなって普天間問題が解決する。辺野古移設がほぼ
ダメになった今、一括交付金を一円たりともあげてはならない。じっくりゆすって
キッパリ断る。あともう少しの一絞り。平和はユスリタカリから。
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- 160
- 2011/12/30(金) 12:01:22
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沖縄がコスタリカ とか おもった
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- 161
- 2011/12/30(金) 12:07:11
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>>160
軍隊は無いけど、軍隊並みの装備の警察があるコスタリカの事か?w
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- 162
- 2011/12/30(金) 13:47:40
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ゆすりたかり言われても気にしなくていいよ、
その前に薩摩から琉球はきつい税を取られたんだから、
もしその税が取られてなかったら今の状況にはなってない。
琉球王国の宝も返してもらってないし、
いいたいやつには言わしとけばいい。
どうせそれしかリピートできないんだから。
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- 163
- 2011/12/30(金) 14:09:39
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薩摩が琉球に課した税率は
内地の農民と同じ率だったようだ。
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- 164
- 2011/12/30(金) 14:46:09
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それは違う
今更薩摩をせめる気はないけど
普通、税は財産や利益にかかるものだけど、
薩摩は人頭税と言う税をとっていて
その『人頭税』とは一人のあたまいくら、という税で
財産もなく、
何の利益もあげていない者でも一定の税を払わなければならなかった
八重山や石垣では自殺する者が絶えなかった
飢饉の時にはソテツという毒のあるとてもまずい植物のアクを念入りに抜いて食べてたらしい。
まずすぎてそれには税は課せられなかったみたい
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- 165
- 2011/12/30(金) 14:59:16
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>>164
琉球王府では?
間違っていたらごめん
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- 166
- 2011/12/30(金) 15:20:03
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人頭税をかけていたのは琉球王府。
その税率は本土の農民とほとんど同じだった。
と思う。
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- 167
- 2011/12/30(金) 15:27:48
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>>164
>>まずすぎてそれには税は課せられなかったみたい
毒が有ると言うのは分かるがマズイと言う記載は見当たらないが?
現在でも手間暇かけて毒抜きして食糧(味噌に加工)にする位だから不味くは無いだろう?
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- 168
- ウン子 ペーチン ◆
- 2011/12/30(金) 15:42:01
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粟国のソテツ味噌香り抜群
今も作っているかは知らんけど、
ソテツのヒラヤーチー私は大好き。
タピオカデンプンとソテツデンプン味ほぼ同じ。
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- 169
- 2011/12/30(金) 16:19:04
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>>166
薩摩に出さないといけなかったからな
倭人のゴミっぷりは異常
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- 170
- 2011/12/30(金) 19:34:15
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雑談スレを除き、題材(テーマ)に対して話をすぐに脱線させる。 他地域のまちBBSみたいなちゃんとした進行具合になるのは極めて稀。
突き詰めた討論ができない。
方言スレを除き、まちBBSはおろか、2ちゃんでも簡単に方言を用いる。
話の正否は関係無く、とにかく揚げ足をとる。一般の会話で例えると、「〜の寿司(ry『「寿司」ではない。【 鮨 】だ、馬鹿野郎!!』。 「〜のスモールライトの『【クリアランスランプ】だ、素人!!!』・・・みたいな感じで。
どう相手に理解してもらうか・・・でなく、相手を力ずくで制圧するか、言い負かすか、みたいな話しかた。
逆に、相手側が話に乗らなくなっただけで言い負かしたと、鬼の首をとったように叫ぶ
できちゃった結婚、飲酒運転、QDN成人式の連中を正当化するようなカキコ(説明不要)
戦争があった事実に対して、未来をどのように良くしていこうかみたいな方向でなく、いつまでも反戦反戦反戦・・・・みたいに叫ぶネガティブさ
知性より腕っぷしな感じのカキコ、あるいは正当化
これだけじゃないけど、素人目からしてもそのような状況から、ゴシップサイトの2ちゃんで馬鹿にされる
>>169
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- 171
- 2011/12/30(金) 20:32:38
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宮古の人頭税が過酷なものだった理由は、
琉球の役人が自分の懐に入れる分を、
薩摩の武力を背景に
勝手に課していたからです。
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- 172
- 2011/12/30(金) 21:18:54
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>>171で答えが出たな。
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- 173
- 2011/12/30(金) 21:22:29
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まともなナイチャーは知っているよ
薩摩の酷さを
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- 174
- 2011/12/30(金) 22:27:56
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>>171
役人が税を収める時の升目をインチキして大きくしていたからで、武力はちらつかせてないでしょ
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- 175
- 2011/12/30(金) 22:29:35
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>>174
雑談スレを除き、題材(テーマ)に対して話をすぐに脱線させる。 他地域のまちBBSみたいなちゃんとした進行具合になるのは極めて稀。
突き詰めた討論ができない。
方言スレを除き、まちBBSはおろか、2ちゃんでも簡単に方言を用いる。
話の正否は関係無く、とにかく揚げ足をとる。一般の会話で例えると、「〜の寿司(ry『「寿司」ではない。【 鮨 】だ、馬鹿野郎!!』。 「〜のスモールライトの『【クリアランスランプ】だ、素人!!!』・・・みたいな感じで。
どう相手に理解してもらうか・・・でなく、相手を力ずくで制圧するか、言い負かすか、みたいな話しかた。
逆に、相手側が話に乗らなくなっただけで言い負かしたと、鬼の首をとったように叫ぶ
できちゃった結婚、飲酒運転、QDN成人式の連中を正当化するようなカキコ(説明不要)
戦争があった事実に対して、未来をどのように良くしていこうかみたいな方向でなく、いつまでも反戦反戦反戦・・・・みたいに叫ぶネガティブさ
知性より腕っぷしな感じのカキコ、あるいは正当化
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- 176
- 2011/12/30(金) 22:52:19
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>>171
酷くなったのは薩摩以降だから完全に薩摩のせいだろ
捏造捏造言ってるせいで本島の比じゃないぐらいに嫌われてるよな
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- 177
- 2011/12/30(金) 23:10:48
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宮古、八重山に人頭税を導入したのは王府であって薩摩ではないよ
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- 178
- 2011/12/31(土) 00:25:33
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日本人の税金を1兆円以上投入して、グアムに基地を作り、日本の国防になんのメリットがあるのだ。
天井知らずのずさんな計画を凍結した、米本国の議決は天の啓示である。
日本国民は今一度立ち止まり考える時だ。
南西海域及び、朝鮮情勢が緊迫する現在、双方に縦深性をもつ日本本土こそが、海兵隊ハブ基地が存在すべき場所なのだ。
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- 179
- 2011/12/31(土) 00:31:52
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1879年(明治12年)に琉球処分(琉球王国の明治政府への強制的組み込み)が行われた。
それまで名目上は琉球王国という独立国だった沖縄は、この琉球処分により日本の一地方である「沖縄県」となった。
国王が平民となり、士族も身分を剥奪され、中央政府からやってきた知事が沖縄を統治した。
県庁の職員に沖縄の者はほとんどいなく、彼等は沖縄人を見下していたと言われる。
沖縄人には参政権さえなかった。
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- 180
- 2011/12/31(土) 00:50:20
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あほか。
そのころは内地の農民だって参政権なかったわ。
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- 181
- 2011/12/31(土) 00:54:39
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沖縄に暮らしたこともない中央政府の官僚が、
日本でのやり方そのままに琉球を統治しようとしたから、
様々な反発があったであろうことは想像にかたくない。
天皇を崇拝せず
、自分達が大和民族であるという意識も皆無である
沖縄人を官僚達は差別し、
あくまでも高圧的に統治しようとした。
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- 182
- 2011/12/31(土) 00:56:10
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琉球国王は華族になったんじゃなかったっけ?
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- 183
- 2011/12/31(土) 01:13:18
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>>177
それだけ薩摩への重税払いが酷くかったって話だ
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- 184
- 2011/12/31(土) 01:16:34
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琉球王国って薩摩進行以降の方が、
統治は安定してなくないか?
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- 185
- 2011/12/31(土) 01:18:51
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明治頃までは沖縄人には自分達が「大和民族」であるという意識はまだあまりなかったらしいが、
大正あたりから少しずつ様子が変わり始める。
日琉同祖論というのが流行り始め、
沖縄人も日本人も同じ祖先を持つ兄弟なのだ、という風潮になってくる。
琉球王の祖先は平家に敗れて落ち延びた源義経の叔父さんであるという伝説が作られたのもこの頃
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- 186
- 2011/12/31(土) 01:27:00
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その背景には徹底した皇国教育と日本への同化政策があった。
小学校では「方言札」というものが作られ、方言を喋った者は罰を与えられた。
帝国主義が日本を覆うと共に、
沖縄の者も天皇を崇拝するようになった。
左翼系の歴史観では沖縄は嫌々戦争に巻き込まれた可哀想な犠牲者のように語られるが、
事実は全くの逆である。
沖縄は天皇を愛し、日本のために一途に戦った。
本土の者の沖縄への差別は根強いものがあった。
沖縄人は「おまえらは日本人ではない。」と言われるのを最もくやしがった。
沖縄人にとって、天皇への愛が膨らむということはまたコンプレックスも肥大するということであった。
日本を誇れば誇るほど、自らの出自を忌々しく思ったのである。
昔からの日本人でないがゆえに、最も大和民族に憧れ、真の大和民族たろうとしたのは沖縄人であった。
現代に生きる沖縄人は皆自分達が沖縄人であることを誇ろうと必死に独自の文化の発掘にいそしんでいるが、戦前には全く逆のことが行われた。
日本との共通項ばかりを追い求め、
沖縄独自の文化を恥じ、
隠蔽しようとした。
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- 187
- 2011/12/31(土) 01:30:14
-
オレは沖縄を孤児に例えたい。
中国という最初の、信じていた親に裏切られた沖縄という南洋の孤児は、
その次の日本という親にいじめられながらもいつしか心を開き、
新しい親の愛を得ようと必死に頑張っていた。
もう裏切られるのはまっぴらだった。
そして太平洋戦争が勃発するのである。
沖縄は証明しようとした。
他のどの息子とも同じようにやれることを。
親を喜ばせようと。
認められようと。
ここからである。
沖縄の片思いの旅が始まるのは。
同じ日本人として、バカにされず、対等に仲間として扱ってもらうために、
沖縄は課せられた仕事を一途に一途にはたそうと努力する。
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- 188
- 2011/12/31(土) 01:34:14
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1945年(昭和29年)4月、約18万の米軍戦闘部隊が沖縄に上陸。
沖縄進攻の米軍の総兵力は54万人。
対する日本軍沖縄守備隊約10万人。
その内訳は正規部隊7万、地元徴集軍属、防衛隊等3万。
3ヶ月にわたり激しい戦闘が行われる。
日米両軍の戦力にかなりの優劣があるのに、
この小さな島で3ヶ月以上の激しい戦闘が展開された理由は、
日本軍にとっては本土決戦を一日でも長く引きのばす時間稼ぎであったとも言われている。
沖縄戦での戦死者は日本軍が約9万人。
米軍約1万2千人。
沖縄住民約10万人。
当時の沖縄の人口は約45万人ほどであったから、
軍属や防衛隊を含めると住民の死者は4人〜3人に1人の割合である。
戦闘が終結するまでに日本軍・米軍・沖縄住民合わせて1日当たり2千人余りが死んだことになる。
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- 189
- 2011/12/31(土) 01:37:00
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その頃沖縄に生きた者で、死体を見ずにすんだ者は一人もいない。
目の前で肉親が死に、友人が死ぬ。
そのほとんどは爆撃によるものだったが、
仲間だと思っていた日本兵に殺された沖縄人もいたと言う。
1945年(昭和20年)4月9日、日本軍から一通の命令書が出されている。
「爾今軍人軍属ヲ問ワズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。
沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」
当時、標準語を喋れる者が極めて少なかった沖縄で、
無実の住民が数多くスパイ容疑により拷問を加えられ、
殺されたと言われている。
日本兵が徴用と称して民間人の食料を奪い、
民間人の家族が自分達のために掘った壕から彼等を追い出して自分達のために利用したという証言も多い。
米兵に見つかるのを恐れ、
同じ壕に非難していた沖縄住民の幼児を殺したり、
降伏しようとする民間人を背中から撃ったという話もある。
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- 190
- 2011/12/31(土) 01:41:41
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沖縄の戦争経験者のほとんどすべてが日本兵への不信を口にする。
皆が言う。
米軍の捕虜となった時、どんな扱いを受けるか恐れていたが、
捕虜収容所には暖かい毛布もあれば、薬もあり、今まで食べたこともないような美味しい食べ物もあったと。
米兵はとても優しかったと。
日本兵に比べれば、米兵が神か仏のように見えたと。
日本兵は住民を虫けらのように扱ったと。
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- 191
- 2011/12/31(土) 01:43:41
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1945年6月6日。
自決の直前に海軍少将大田実から海軍次官宛てに、あの有名な電報が送られる。
発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ
所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ
是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
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- 192
- 2011/12/31(土) 01:44:53
-
現代語訳にするとこうだ。
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要させられたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
沖縄県民はこのように立派に戦い抜いた。
県民に対し、後世、陛下より特別のご配慮をしていただくことを願う。
(以上、Wikipediaより引用
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- 193
- 2011/12/31(土) 02:46:05
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大晦日に負け犬の遠吠えwww
来年もユスリタカリよろしくねと云う事。
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- 194
- 2011/12/31(土) 02:59:15
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>>193
来年もマフィアばりの押し付けをするのか倭人は
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- 195
- 2011/12/31(土) 04:01:51
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知らねーよ。補助金貰ってる一部の人達に聞け。
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- 196
- 2011/12/31(土) 06:59:40
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日本の敗戦からサンフランシスコ講和条約までの話は、
これまた別の詳しい本に尋ねてもらうとして、
終戦から1972年まで続いたアメリカによる沖縄の統治については誰もが知っているだろう。
しかし天皇が沖縄のアメリカによる占領を望むコメントを残したことについて知る人は少ない。
1978年、ヴァージニア州のマッカーサー記念館で
コートニー・ホイットニー将軍の残したメモの機密が解除された。
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- 197
- 2011/12/31(土) 07:00:44
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主題 琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン
拝啓
天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付のマッカーサー元帥あての自明の覚書のコピーを同封する光栄を有します。
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国が下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
敬具
合衆国対日政治顧問 代表部顧問
W・J・シーボルト
東京 1947年9月22日
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- 198
- 2011/12/31(土) 07:05:49
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「県民に対し、後世、陛下より特別のご配慮をしていただくことを願」われた天皇はそのわずか数年後に「疑いもなく私利に大きくもとづいている希望」から「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう」進言したのだ。
この文書が明るみに出たのは祖国復帰運動が終わり、沖縄が日本になってまだ間もない頃だった。
昭和天皇は生きていたが、このことについては何のコメントもしなかった。
まあ当たり前のことだが。
まだ戦争の記憶も色濃い70年代から80年代初頭、この文書が沖縄県民に与えた影響は非常に大きかった。
以降、沖縄は非常に左翼的な思潮が主流を占めるようになった。
沖縄の反天皇の意識は、「捨て石にされた」という恨みから来るものだ。
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- 199
- 2011/12/31(土) 07:10:14
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天皇陛下のためにあれだけ尽くし、
努力し、辛酸を舐めたのに、天皇陛下は沖縄県民を捨てたのだ、
というショックは近年まで続いた。
沖縄は左翼系の市民団体のパラダイスのようになり、
日本の左翼的な思想家の論理の重要な立脚点となった。
しかし近年、あれはおそらく平成天皇の沖縄来島くらいからなのだと思うが、県民の意識は少しずつ変わってきているように感じる。
平成天皇は皇太子の頃から沖縄のことを度々口にしていた。
平成天皇は来島した時に、
沖縄が戦争で味わった歴史について哀痛の念を感じているというふうなことをコメントする。
それを聞いてあっさりと涙を流した沖縄の老人もいた。
実際に戦争を生き抜いた世代にとって、あれはとても大きな意味を持っていたようだ。
彼等の思いはあのたった一言ですべて報われたのだろうか。
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- 200
- 2011/12/31(土) 07:38:19
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>>199
畏れ多くも今上天皇陛下に、何たる不敬か!!!!!!!
貴様のやうな、日本臣民を装つた特定亞細亞の手先は即刻自分の國に帰國せよ!!!!!!
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