【沢田ひろふみ】遮那王義経 [sc](★0)
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- 190
- 2015/03/14(土) 01:21:25.93
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引っ張った割には最後に勢いがない。
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- 191
- 2015/03/14(土) 10:31:12.86
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露骨に畳まれたら読者も引くよね
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- 192
- 2015/03/15(日) 19:02:21.93
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なんなんこれ?
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- 193
- 2015/03/15(日) 22:15:37.28
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ここから漂太が北海道経由で大陸に渡って草原の覇者になるんだろ
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- 194
- 2015/03/16(月) 11:03:07.91
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あっさりとか急にって言ってる人がいるが、義経の最後なんてこんなもんじゃない?
このあとモンゴルに渡る展開があるなら別だが。
続編として、草原王でもやってもらうかい?
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- 195
- 2015/03/16(月) 12:19:52.21
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>>194
延々異民族を殺戮していく話だから
少年誌としてはできないよね
平家みたいにあんたらが全面的に悪いからっていうわけにはいかないし
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- 196
- 2015/03/16(月) 22:41:03.11
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この子の名はフビライとするーーーー!!
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- 197
- 2015/03/17(火) 02:56:23.19
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藤原泰衡がこの先どう変わっていくのか乞うご期待とか言ってたのに結局泰衡はいい人のまま死んだのか
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- 198
- 2015/03/17(火) 12:07:19.63
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清基秀泰で覚えたっけなあ、奥州藤原氏。
漂太どうするのかな、この後
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- 199
- 2015/03/17(火) 22:24:57.27
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昔はりんが牛さまと、漂太が別の静とくっつくと思ってたな
かすみさんとくっついてほしかったけど
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- 200
- 2015/03/19(木) 08:42:00.05
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>>196
唐突でワロタ
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- 201
- 2015/03/21(土) 02:09:42.72
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弁慶の立ち往生をここまでショボく描くのは才能だな
ていうか立ったまま死んだのが肝なのに倒れさせたやつ初めて見たわ
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- 202
- 2015/03/21(土) 09:44:02.66
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松平健の看板に比べりゃマシだろw
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- 203
- 2015/03/22(日) 13:05:10.74
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>>196
ベルセルクの人?
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- 204
- 2015/03/23(月) 20:56:39.20
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>>201
単行本派なんだけど弁慶倒れたとかマジか
ショックだw
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- 205
- 2015/03/24(火) 00:25:07.01
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次は外国物とか読みたい
日本物はもう食傷気味だからね…
水滸伝とかどうかね?
人が死にまくりの殺しまくりで立身出世する話だけど、
そこを上手く不殺テイストを織り交ぜれば良いものが出来るかもしれない
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- 206
- 2015/03/24(火) 00:31:08.99
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いや真田幸村と決まってるし…
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- 207
- 2015/03/24(火) 13:44:17.98
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>>206
ニュースソースは?
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- 208
- 2015/03/24(火) 13:45:21.65
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>>205
少年誌だから子供でも知ってる有名人で無いとダメ
特に時代劇って言うだけで子供にはハードル高いし
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- 209
- 2015/03/24(火) 22:21:40.88
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10年前に義経主人公の大河をやった時に便乗効果とかはあった?
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- 210
- 2015/03/25(水) 07:16:17.73
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>>207
今月号の最後尾に次回作真田幸村ってデカデカと書いてありますがな
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- 211
- 2015/03/25(水) 07:18:52.92
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>>207
今月号の最後尾に次回作真田幸村ってデカデカと書いてありますがな
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- 212
- 2015/03/25(水) 07:23:50.77
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>>208
月マガはオッサン枠あるしへーき
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- 213
- 2015/03/25(水) 14:21:07.67
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史実通り頼朝は落馬してその怪我が元で死ぬのかな
今まで粛清した武将や人間の亡霊でも見て
畠山重忠や那須与一も晩年は悲惨だったし
北条時政や梶原景時、範頼のその後も1ページ使って描くだろうね
しかし頼朝は大姫の入内の件で土御門通親と丹後局によって権力争いに利用されただけで
終わっちゃったね。懲りずに次女も入内させようとしたけど自分も死んで
次女も死んでしまい失敗。
あれだけ義経に朝廷や貴族に気をつけろと言って官位も自分の許可が無いと貰うな
と言うくらい警戒してたのに、この失態はありえないな
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- 214
- 2015/03/26(木) 00:50:51.56
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後鳥羽と幕府との関係は大切にしておきたかったのだろう
三幡が入内しようとする時、後鳥羽は退位していた
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- 215
- 2015/03/26(木) 07:06:47.70
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真田幸村やるんかい
まあこの作者にはこれくらいの方がいいかもな
マイナーな人物掘り下げて面白く描く力量はないだろうし
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- 216
- 2015/03/26(木) 12:34:45.78
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結局これ義経が影武者だった意味があるのか?
このまんま史実通りおしまいにするならこの漫画牛若死去までの話で十分だっただろうに。
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- 217
- 2015/03/26(木) 13:59:55.51
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真田十勇士書いた人って水滸伝に影響うけてるでしょ
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- 218
- 2015/03/27(金) 22:43:11.36
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>>213
キレた政子による暗殺ってことになるんじゃないか?
頼朝が嫌がったのは親類や部下が無断で官位を受けることであって
自分が皇室にパイプを持つことを嫌ってはいないんじゃないかな
他人の部下に官位や恩賞を与えて切り崩したり相互不信にさせたりするのは
権威者の使う常套手段だし
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- 219
- 2015/03/28(土) 07:58:46.55
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マジであんまり義経が偽だった意味がたいしてない漫画だったわ。
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- 220
- 2015/03/28(土) 09:40:08.41
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>>219
歴史詳しくないの?
幼少時とそれ以後の義経がなぜあれだけ変わったのか
それの一つの考え方でしょ
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- 221
- 2015/03/28(土) 11:29:48.77
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簡単な話、頼朝が弟:義経を討ったのは、自分が鎌倉で命令するだけの
最前線に立つわけも無く頭はまぁキレるけど腕はあんまり立たない武士で、
弟が戦で功績を挙げて行くことに嫉妬と脅威を感じたからでしょ?
頭はキレる設定の割には猜疑心の塊で器の小さい男だよな
だから人気無いんだよ
個人的には、暗君で知られる宗盛よりはマシだってレベル
遮那王義経を読む前から頼朝は嫌いな史実の人物だった
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- 222
- 2015/03/28(土) 13:04:03.21
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>>221
そんな当たり前のことをドヤ顔で説明されてもなー
小学校の時からそう思ってますけど?
馬鹿なの?
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- 223
- 2015/03/29(日) 00:02:00.05
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実際の義経はフリーダムな人だったんじゃない?
格式とか作法とかには捕らわれない
源平の合戦で義経が武功立てた戦もほとんど奇襲戦だし
当時の武将は敵の正面から堂々と名乗りを上げて戦うやりかただったから
奇襲には当然弱いよ
で、平家がいなくなったら一番幕府にとって脅威になるから粛清される
昔からよくあることです
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- 224
- 2015/03/29(日) 23:59:00.11
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>>222
だよね、むしろ最近は悪役扱いされてきた歴史上人物が再評価される流れもあって
頼朝なんかはドラマや漫画でも善悪抜きで比較的大物に描かれる場合が多かった
だからこのまま終われば久々に悪役で小人物のしょうもない頼朝だったな
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- 225
- 2015/03/30(月) 21:19:01.25
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同じシリーズの読み物でも頼朝の伝記のほうが難易度高いから、
逆に頼朝をただの悪者扱いする義経の本は子供心に薄っぺらく感じた
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- 226
- 2015/03/31(火) 21:50:08.11
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>>223
実際、義経は武士の教育を受けていないから武士から見たら異物だろうね
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- 228
- 2015/04/01(水) 09:11:14.53
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草燃えるをリアルタイムで見てたの?
凄いね
子供が見るドラマじゃないね
近年の見方は吾妻鏡を疑えって傾向があるから
静の子供はひっそり貞暁として育てましたーとか期待してた
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- 229
- 2015/04/01(水) 11:03:21.51
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頼朝は北条氏を正当化する為に必要以上にsageられているとは思うけど、
身内を片っ端から粛清し、自分は鎌倉から動かない口だけ大将なのは否めないしな
大姫の入内画策も娘に良縁を組ませたいと言うより、なんだかんだで自分が皇室と外戚に
なりたかったからでしょう?
他人には朝廷から勝手に官位を貰うな!と言っておいてダブスタなんだよw
この作品の頼朝も終盤の急なキャラ変更による小物悪役ぶりには萎えたわ
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- 230
- 2015/04/01(水) 12:24:24.76
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>>227
うん、俺も子供の頃学研かどっかの歴史漫画見て頼朝知ったが
命の恩人の家潰した屑としか思えない、義経も同様、平家叩か
れてたが清盛のが凄い人だろ
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- 231
- 2015/04/01(水) 23:41:13.31
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命の恩人は池禅尼であると明確な回答を頂いております
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- 232
- 2015/04/02(木) 00:55:48.64
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源平合戦もので一番悲惨で不名誉なのは、嫁に来たはずの政子に
初夜に逃げ出され、しかも後日その憎むべき間男頼朝の旗揚げの血祭りに
あげられたという俗説がいまだ定着したままの山木兼隆ではなかろうか。
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- 233
- 2015/04/02(木) 07:35:44.22
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>>227
漫画だから難しいんじゃない
メチエ本だが細川重男の頼朝の武士団とかギャグってて面白かった
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- 234
- 2015/04/02(木) 19:39:17.01
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>>229
ダブスタではないと思う
名誉会長が社長をすっとばして部下に直接指示を出したら社長は困るだろ
頼朝の反応はむしろ当たり前
ただ、自分を頼朝の部下だと思っていない親類にとっては理解不能だった
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- 235
- 2015/04/02(木) 21:28:57.37
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>>227
かわぐちかいじの源平もののやつ、気になったから4巻まで読んでみたが面白いね
冷静な頼朝と直情型な義経のW主人公って感じだな
ただ、頼朝の描写で左右されるのは平氏滅亡以降だからなぁ・・・
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- 236
- 2015/04/03(金) 07:26:37.41
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>>229
世間一般的なイメージは覆らないし、頼朝のやったことの中には弁明できないこともたくさんあるけど
一応「鎌倉幕府は東国の独立ではない」という見方をする学者さんたち(最近はこっちの学者さんが増えてる)の意見を挙げとくね。
>身内を片っ端から粛清し、
一応の理由
義経→後白河方法への過度の接近を接近を警戒
屋島への出撃は頼朝の指示ではなく、義経が単独で法皇に奏上して出撃
連れてったのも鎌倉御家人ではなく、主に御家人ではない西国武士
頼朝は後から追認
志田義広→ 野木宮合戦で頼朝と堂々と対立、義仲についてって最後まで頼朝とは対立者
行家→ 法皇の側近となって頼朝とは別勢力になり挙句の果てに自ら頼朝と対立
義仲→ ご存知の通り
安田義定 → 頼朝とは別個の勢力で挙兵した甲斐源氏のひとり
いつでも頼朝のライバルとなりうる存在
(信長における浅井長政みたいなもの)
一条忠頼 → 安田義定に同じ
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- 237
- 2015/04/03(金) 07:34:02.72
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>自分は鎌倉から動かない口だけ大将なのは否めないしな
動かなかったのではなく動けなかった
挙兵から4年くらいたった一の谷の頃にも
奥州藤原氏や佐竹氏の残党の動向が不安材料
奥州藤原氏は結局鎌倉に何もしなかったけど、当時の頼朝としれみりゃ本当に何もしないのかが不安
(鎌倉を出たら本当に何かしてたかもしれない)
佐竹氏は本当に常陸で対頼朝ゲリラ活動をしていたから
頼朝が動くと何もしない。
それともう一つ大事なのが
東国武士にとって一番大事なのは
「自分の土地を守ってくれること」
なんで、
対義仲や一の谷の頃は「自分の土地を守ること」につながるかどうか不安だった東国武士たちは
あまり出撃したくなかったらしい。
実際、義仲攻めは、平家都落ちに加わらなかった義仲に既得権を奪われた小松系(重盛の子や孫)の家人
一の谷攻めは、非御家人の院に仕える西国の武士が主力で
東国御家人は攻め手の主力ではなかったとの説もある。
一の谷の事は東国武士の多くは自分の領地に籠って頼朝も東北と常陸を気にしながら
彼らの面倒をみていたというのが本当のところかもしれない。
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- 238
- 2015/04/03(金) 07:37:50.27
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範頼の西国攻めの時は義仲攻めや一の谷の恩賞の果実を手にする御家人をみて
「褒美をもらえるから俺も」という気分で遠征に参加したものとみられる。
ところが、西国攻めにもたついている間に
義経が院に奏上して主力西国武士の軍団で華々しい勝利をかっさらってしまった
そんな状況の東国御家人は義経への反感を強める。
一方義経はより一層後白河法皇への接近を強め、反感をかった東国と距離を取るようになる。
これが頼朝との決裂の大きな原因とみられている。(主に「鎌倉幕府は東国独立ではない」とみる学者の意見)
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- 239
- 2015/04/03(金) 07:41:54.44
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>大姫の入内画策も娘に良縁を組ませたいと言うより、なんだかんだで自分が皇室と外戚に
なりたかったからでしょう?
実は頼朝の権威は東国においては十分なものではない。
源氏と東国武士の関係や頼朝が河内源氏の嫡流という考え方は
頼朝がねつ造して、それを後世に伝えた結果で
頼朝の家系が他源氏より優れていたわけでもなく、東国武士との関係も
利害の一致がなきゃ「はいサヨナラ」の時代。
頼朝はより高い権威を得ることを希求していた。
それと東国武士も、源平合戦の前から都に行ったり、都の有力者と縁をつないだりして
実は「都との縁」を結ぶことに汲々としていた。
都の文官も東国に下って自分の能力を発揮していたりした。
都と東国の関係は実は密接で対立するものはなく、相互補完関係にあった。
他人には朝廷から勝手に官位を貰うな!と言っておいてダブスタなんだよw
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- 240
- 2015/04/03(金) 07:46:32.11
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> 他人には朝廷から勝手に官位を貰うな!と言っておいてダブスタなんだよw
このネタの素は「吾妻鏡」の記載がもとなんだけど
最近のその記載の解釈は違う
「勝手に官位をもらうな」じゃなくて
「官位をもらうだけもらって官位に見合う仕事をしないでさっさと東国に戻ってくるから
朝廷からクレームが大量にきて困ってる。ちゃんと仕事してから戻ってこい。
領地に戻るんなら官位をやめてから戻れ」という意味だった
というのが「鎌倉幕府は東国独立ではない」という学者さんの見解。
頼朝自身、近衛大将と権大納言の官位を受けるが、都を離れる時きちんと辞めている。
それと義経の「検非違使尉」任官問題も
これが頼朝との対立の原因になったのではない、黙認もしくは歓迎していた
という意見が強まっている。
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- 241
- 2015/04/03(金) 07:49:26.97
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>>237
×頼朝が動くと何もしない
○頼朝が東国を離れると何をするのか予断成らない存在
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