今川義元が天下統一する大河ドラマ作れよ [sc](★0)
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- 78
- 2011/02/12(土) 19:48:48
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>>77
貴方も一緒に無駄知識を語りましょう!
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- 79
- 2011/02/12(土) 20:58:29
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>>51
室町幕府の発給文書なんかの書札礼から見ると、
斯波≒吉良>今川
という感じがするけどな。
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- 80
- 2011/02/12(土) 21:04:29
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今川は関東管領代志位刑部大輔にマイナイをおくり、駿河支配を認めて貰い
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- 81
- 2011/02/13(日) 04:22:23
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>>79
でも斯波は管領になっちまったからな。
あの時点で将軍にはなりえなくなったわけで自動的に吉良、今川以下でしょ。
家系的にはむしろ吉良、今川より上だと思うが。
ちょっと質は違うけど松平家に養子に出されて老中になってしまった松平定信とその子孫みたいなもんだよ。
家系的にはむしろ一番嫡流に近いのに、幕末は水戸家出身の慶喜の老中になってるからね。
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- 82
- 2011/02/13(日) 07:12:17
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室町期の吉良・今川に将軍継承権があったなんて、江戸以降に作られた俗説でしょ。
つうか、斯波が管領になったというなら、侍所頭人を出したことのある今川はどうなんだよw
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- 83
- 2011/02/13(日) 07:32:23
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あと室町時代の歴代当主の官途という点でも、今川は基本が上総介(要するにただの受領名)なんだよな。
これは、兵衛府・衛門府の督クラスが基本の鎌倉公方・斯波・吉良・畠山あたりとの比較では無論、細川の右京大夫、一色の左京大夫、能登畠山の修理大夫などと比べても、見劣りする感は否めない。
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- 84
- 2011/02/13(日) 07:44:45
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今川で頭人になったのは庶流のやつだけじゃん。
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- 85
- 2011/02/14(月) 10:55:21
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今川泰範って今川の嫡流だけど、侍所頭人をやっていたような気がする。
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- 86
- 2011/02/15(火) 01:40:16
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>>79
というか、室町幕府の発給文書(御教書・御内書・奉行人奉書)などでの足利一門の大名への書札礼は、斯波と吉良の2家に対してだけが特に厚礼になっている。
一方今川については、他の足利一門の大名と全く同じで、幕府側に今川を特別扱いするような感じは見て取れない。
これは斯波が管領になる義詮期以降も、今川が副将軍に任ぜられたとの俗説のある永享の乱以降も変わらないし、さらにいえば戦国に突入する16世紀になっても同様。
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- 88
- 2011/02/27(日) 15:30:01.06
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高氏と同じ官と(なぜか変換出来ない)上総介を代々貰ってることの意味が大きい。
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- 89
- 2011/02/27(日) 15:51:09.84
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そのうち桶狭間で義元が勝つ大河も出てきそう
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- 90
- 2011/02/27(日) 16:17:10.29
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>>88
尊氏って上総介になってたっけ?
足利宗家で上総介は、鎌倉初期の義兼だけで、鎌倉後半期には、上総介は吉良氏の官途になっていたはず。
鎌倉後半期には、上総介を世襲している吉良氏を足利上総家、尾張守を世襲している斯波氏を足利尾張家というし。
ただ室町に入ると、斯波・吉良両氏は、もっと高い官途を名乗るようになり、上総介は今川の官途、尾張守は畠山の当主が若年期に名乗る官途となるが。
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- 91
- 2011/02/27(日) 16:58:32.07
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御家人時代の足利高氏は治部大輔じゃなかった?
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- 92
- 2011/02/27(日) 19:44:54.30
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成田三喜夫の今川なら天下を統一できそう
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- 93
- 2011/02/28(月) 02:18:39.65
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>>86
斯波と吉良は足利を名乗るのを禁止されたあとも、基本的に幕府内で
「斯波」や「吉良」の苗字で呼ばれることがないんだよな。
幕府から彼らへの発給文書の宛先とかでも、苗字が書かれない。
なお室町期の斯波に関しては、兵衛府の唐名である「武衛」もしくは
京都での屋敷の所在地から「勘解小路殿」などと呼ばれることが一般的。
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- 95
- 2011/02/28(月) 02:41:15.20
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>>93
「勘解小路」じゃなくて「勘解由小路(かでのこうじ)」だな。
確か『花の乱』で、斯波の屋敷のことを「勘解由小路邸」といっている場面があった。
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- 96
- 2011/02/28(月) 08:34:18.84
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義政は、「治部の大夫義廉」と呼んでいたぞ
ちなみに勝元は、「斯波殿はいかが?」と聞いていた。
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- 97
- 2011/02/28(月) 10:08:46.04
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>>92
成田三喜夫なら桶狭間で織田兵を返り討ちだからなw
まあ実際の義元もかなりの剛勇だよな。
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- 98
- 2011/02/28(月) 10:21:39.12
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斬りかかって来た奴の膝叩っ斬って組み伏せて来た奴の指喰いちぎったんだっけ?
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- 99
- 2011/02/28(月) 10:41:56.01
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>>98
そうそう。
襲い掛かって来てる連中は槍だから、そいつらに太刀で立ち向かうのは既にかなり絶体絶命状態。
だけで最初の奴は膝を叩ききり、次の奴とは壮絶な死闘。
義元の首は首を揚げた奴の指を噛み締めてたとか。
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- 100
- 2011/02/28(月) 18:15:12.85
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成田三樹夫が今川義元をしていた頃、甲斐国では佐藤慶が武田信玄をやっていた。
北条氏康は出て来ないが、このメンバーの善得寺の三者会談見てみたいわ。
きっと迫力のヤクザの手打ち式みたいに違いない。
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- 101
- 2011/02/28(月) 18:22:13.51
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ちなみに室田日出男の氏康を希望
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- 102
- 2011/02/28(月) 18:31:24.33
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今川義元:成田三樹夫
武田信玄:佐藤慶
北条氏康:室田日出男
上杉謙信:菅原文太
わっるい顔ぶれだなあw
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- 103
- 2011/02/28(月) 18:32:48.43
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>>100
そういえば北条氏康って肖像画じゃ紳士みたいな顔してっけど、実際は顔は刀傷だらけだったんだろ?
まさに893w
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- 105
- 2011/03/01(火) 00:22:02.31
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>>96
あと治部大輔に関しては、斯波義廉が治部大輔になっているのは事実。
室町期の斯波の当主の官歴は、
治部大輔→(左兵衛佐または右兵衛佐)→左兵衛督または右兵衛督
という昇進ルートを取ることが多い。
因みにこれは、足利尊氏の昇進ルートによく似ており、尊氏は
鎌倉御家人時代に治部大輔、建武政権初期に左兵衛督となっている。
苗字で呼ばれることが滅多にない件と、歴代当主の官歴が足利尊氏のものと
似ている件は、いずれも斯波という家の特殊性を表すものだろう。
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- 106
- 2011/03/01(火) 00:46:05.38
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>>100-102
善得寺同盟の場面には雪斎も欠かせないが、成田三樹夫のときの雪斎役は
小林桂樹だっけ?
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- 107
- 2011/03/01(火) 00:50:37.53
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今川義元:成田三樹夫
北條氏康:室田日出男
織田信長:高橋幸治
千宗易:西村晃
武田信玄:佐藤慶
羽柴秀吉:緒形拳
徳川家康:天地茂
今川氏真:細川俊之
★今川重臣団★
関口親永:山村聰
太原雪斎:鈴木瑞穂
瀬名信輝:川合伸旺
朝比奈正貞:内田勝正
三浦義明:名和宏
葛山氏元:戸浦六宏
岡部正綱:和崎俊哉
岡部元信:田中浩
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- 108
- 2011/03/01(火) 05:23:28.57
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>>107
重厚なメンツだな
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- 109
- 2011/03/01(火) 05:30:41.79
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織田信長:千葉真一
濃姫:志穂美悦子
木下藤吉郎:真田弘之
これを加えると影の軍団シリーズ化w
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- 110
- 2011/03/01(火) 07:48:14.46
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成田三樹夫が今川義元をしていた頃、朝比奈泰能を亀石征一郎が、山県昌景を井上正文がやってた。
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- 111
- 2011/03/01(火) 15:01:08.90
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寿桂尼様がまだ出てないぞ。
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- 112
- 2011/03/01(火) 15:03:22.92
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あと、同時駿府に滞在していた公家衆の配役も決めないと。
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- 113
- 2011/03/01(火) 15:57:30.44
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>>111
主役寿桂尼、脚本田渕でww
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- 114
- 2011/03/01(火) 16:13:11.29
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113、冗談でもそういう言葉は聞きたくない
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- 115
- 2011/03/01(火) 17:11:22.01
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田渕は論外だが、田渕脚本じゃなきゃ、寿桂尼主役自体はアリだと思う。
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- 116
- 2011/03/01(火) 18:15:02.32
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田向脚本ってことでひとつ。田向さんなら、フィクションでも、これはありだというフィクション作ってくれる筈や
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- 117
- 2011/03/01(火) 19:55:41.08
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寿桂尼主役なら姫の戦国という上質な原作があるがな。
でも、今のNHKには制作して欲しくないな。
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- 118
- 2011/03/01(火) 20:00:50.94
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>>113
じゃあ、主役寿桂尼、脚本小松でww
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- 119
- 2011/03/01(火) 20:35:50.51
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>>117
「姫“たち”の戦国」より遥かに良作だよな。あの小説。
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- 120
- 2011/03/02(水) 00:45:41.41
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織田信長役は、ふかわりょうとかがいいかな?
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- 121
- 2011/03/06(日) 14:38:14.12
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今川氏真、蹴鞠の鬼。
ってゆう、2時間ものぐらいつくれんか
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- 122
- 2011/03/06(日) 14:47:25.33
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蹴鞠指導:QBK
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- 123
- 2011/03/06(日) 14:54:15.76
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桶狭間で討死⇒魂が家康に宿り信長に接近⇒光秀をそそのかし本能寺⇒秀吉との対決と融和
⇒天下(まろの天下じゃぁふはははははぁ)
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- 124
- 2011/03/06(日) 15:37:13.25
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氏真が信長の前で蹴鞠披露した話って戦国時代では別に珍しくもねーわな
親の仇に臣従どころか自分で親殺したり追放したりした奴だってゴロゴロいたんだし
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- 125
- 2011/03/06(日) 16:27:20.06
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池田輝政なんか父恒興の仇の婿だしな。
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- 126
- 2011/03/06(日) 19:52:33.64
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>>124
信長は氏真の事は一応武将として認めてたよ。
蹴鞠を見た時、義元左門を返そうとしたら氏真が「これは天下を統べる者こそ
持つのが相応しいので、貴殿が持つべきでしょう」と言って信長の機嫌を取ると同時に
暗に討ち死にした父の義元も当時は天下を統べるに相応しい人物だったことを強調して
この時の氏真の頭の回転の速さと今川の武門も守った行為に信長は感嘆して
氏真に領地と屋敷を提供しようとしたがそれを低調に断ったそうだ
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- 127
- 2011/03/07(月) 09:45:00.93
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成田三樹夫は、義元よりも、信長の方が似合うだろうにな。
あの厳しい表情は、信長向きだった。
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