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  • 2009/04/19(日) 20:24:06
歴史通りの話なんてつまんねーよ

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  • 2009/08/26(水) 15:42:41


室町将軍家>鎌倉公方家

これだけで、十分将軍になる人手が足りてたから、結果として将軍を
出さなかった・・・?

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  • 2009/09/13(日) 11:35:03
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三


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  • 2009/09/14(月) 00:32:30
ところで、主役の義元様は誰がやるの?

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  • 2009/09/14(月) 05:12:21
三谷幸喜

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  • 2009/09/14(月) 05:39:59
苫米地先生曰く、こういうのは「人間のIQを下げるのに最も効果的な方法」なのだそうです。
TVの中で誰かがいったセリフに対して、普通はそれを解釈しようとします。
でも、文字で強調したり、効果音を入れたりすることによって、考える必要なくなってしまいます。
そして想像力がなくなるのです。TVをただ見ているだけの人になってしまうのです。
それもまた一つの洗脳です。余計なことは考えるな!という誰かの意思がそうさせているのでしょうか?
想像力をなくしてしまったら、それはもう人間じゃありません!そんな世の中にならないために、
是非この本を読んでください。
http://roko3.cocolog-nifty.com/tuiteru/2008/03/post_7a11.html

常識に流されない人 脳の論理部位が活発…辻井・慶応大教授らが解明

常識や雰囲気に流されやすい人は、論理的に考える際に活発になる右脳の部位の働きが弱いことが、
慶応大の辻井岳雄准教授(認知神経科学)らの研究でわかった。米神経科学誌に発表する。
研究チームは、大学生ら48人を対象に、
「鯨は哺乳(ほにゅう)類。哺乳類は歩ける。よって鯨は歩ける」のように、常識ではありえないが、
三段論法では正解となる問題を50問出題。
同時に、右脳前部の「下前頭回(かぜんとうかい)」と呼ばれる論理的思考をつかさどる部位の働きを調べた。
その結果、三段論法の問題の正答率が高いほど下前頭回の働きが強い傾向があり、
100点だった人は、20点ほどの人に比べ、下前頭回が4倍近く活発に働いていた。
(2009年9月1日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/research/20090902-OYO8T00720.htm

明治維新は外資によって成し遂げられた/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090902/p1

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  • 2009/09/14(月) 08:08:39
雪斎禅師があと10年、いや5年生きていたら状況は変わっていただろうな

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  • 2009/09/14(月) 09:13:02
てか、沓掛城で酒呑んで戦勝報告を待ってれば勝てた。

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  • 2009/09/14(月) 09:56:41
今川義元というか、雪斎と寿恵尼という印象が・・

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  • 2009/09/19(土) 03:01:40
早く静岡県が舞台の大河作れよNHK

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  • 2009/09/20(日) 02:29:55
雪斎禅師ですら、信長には、勝てないだろ。

家康や秀吉すら従属してるわけで。

桶狭間の決戦で、今川に壊滅的打撃を与えたのだから。

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  • 2009/09/20(日) 14:20:54
過大評価の雪斎とかいうじいさんが生きていても、信長に一緒に討ち取られてるだろ
歴史の流れを止めることはそんじょそこらの愚物では無理だからな

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  • 2009/09/20(日) 17:45:48
だから、治部大輔様が移動せずに沓掛城に居れば勝ってたんだって。


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  • 2009/09/22(火) 21:47:18
センゴク外伝やってほしいな
キャスティングが大変だろうけどw

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  • 2010/02/01(月) 00:10:34
どうせパラレル設定の大河やるなら庵原之政とか思い切ったことやろうぜ

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  • 2010/02/08(月) 23:06:45
今川義元は窪塚洋介がいい 

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  • 2010/03/04(木) 15:34:42
>>65
武者震いがするのう!

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  • 2011/02/12(土) 16:57:59
良スレage

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  • 2011/02/12(土) 17:10:47
氏真がイメージ下げてるなw
滅びたのはしょうがないにしても仇の信長の面前で蹴鞠をしたのが致命傷だw
ほんとは氏親、義元と戦国大名の典型を輩出した家なんだけどね。

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  • 2011/02/12(土) 17:16:42
>>44
それでいくと、織田信長は陶晴賢か?

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  • 2011/02/12(土) 18:02:38
信長の野望でもやってろ

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  • 2011/02/12(土) 18:31:28
>>1
地元の大河誘致運動が盛り上がらなきゃ、大河化の目は無いよ。
そういう点では徳川家の事績の下に埋もれている今川は無理

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  • 2011/02/12(土) 19:05:30
>>36
吉良は三河守護ではない。
三河の守護は、義満〜義教の時期は基本的に一色だったが、1440年に
一色義貫が義教によって謀殺された一件によって、一色から
細川(阿波守護の家系)に交代した。
ただその後、細川の支配が確立しないうちに応仁の乱が発生したため、
三河は東軍方の細川と西軍に属した一色の残党との間で内乱状態となり、
守護勢力は早い段階で消滅している。

なお三河松平氏は、家康の5代前の松平親忠の母が当時の
三河守護一色満範の娘だといわれている。

>>38
松平清康が新田一族の世良田氏を称しているのは事実だし、「源清康」との
署名がある文書も残っていたりする。

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  • 2011/02/12(土) 19:15:03
>>53
国人領主から戦国大名になったところは守護勢力が根づいてない国が多いよね。
安芸の毛利なんかもそうだ。
守護がそれなりに根づいたところは守護が戦国大名化するか、守護代一族が戦国大名化するかが多い。

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  • 2011/02/12(土) 19:16:12
>>53×

>>73

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  • 2011/02/12(土) 19:33:11
>>74
安芸の場合は、鎌倉・南北朝期の安芸守護は基本的に武田の世襲なのだが、
その後、義満の時代に今川了俊→渋川満頼→山名の一族と頻繁に
交代したからね。
一応その後は、ずっと山名が守護のようだが、山名は隣国備後の守護も
兼帯しており、この地域における支配の拠点は備後にあったことに加え、
旧守護家である武田の勢力もかなり強く残っていたこともあって、守護の
支配は全然浸透していなかった感じ。

で、当然ながら応仁の乱の際は東西の勢力が入り乱れる感じになり、
国人一揆の盟主的立場の毛利氏や、奉公衆の身分を持ち元々守護から
独立的な勢力だった小早川氏が、その後急速に台頭することになる。

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  • 2011/02/12(土) 19:42:06
こんなとこで必死に無駄な知識をww

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  • 2011/02/12(土) 19:48:48
>>77
貴方も一緒に無駄知識を語りましょう!

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  • 2011/02/12(土) 20:58:29
>>51
室町幕府の発給文書なんかの書札礼から見ると、

斯波≒吉良>今川

という感じがするけどな。

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  • 2011/02/12(土) 21:04:29
今川は関東管領代志位刑部大輔にマイナイをおくり、駿河支配を認めて貰い

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  • 2011/02/13(日) 04:22:23
>>79
でも斯波は管領になっちまったからな。
あの時点で将軍にはなりえなくなったわけで自動的に吉良、今川以下でしょ。
家系的にはむしろ吉良、今川より上だと思うが。
ちょっと質は違うけど松平家に養子に出されて老中になってしまった松平定信とその子孫みたいなもんだよ。
家系的にはむしろ一番嫡流に近いのに、幕末は水戸家出身の慶喜の老中になってるからね。

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  • 82
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  • 2011/02/13(日) 07:12:17
室町期の吉良・今川に将軍継承権があったなんて、江戸以降に作られた俗説でしょ。

つうか、斯波が管領になったというなら、侍所頭人を出したことのある今川はどうなんだよw

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  • 83
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  • 2011/02/13(日) 07:32:23
あと室町時代の歴代当主の官途という点でも、今川は基本が上総介(要するにただの受領名)なんだよな。

これは、兵衛府・衛門府の督クラスが基本の鎌倉公方・斯波・吉良・畠山あたりとの比較では無論、細川の右京大夫、一色の左京大夫、能登畠山の修理大夫などと比べても、見劣りする感は否めない。

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  • 84
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  • 2011/02/13(日) 07:44:45
今川で頭人になったのは庶流のやつだけじゃん。

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  • 85
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  • 2011/02/14(月) 10:55:21
今川泰範って今川の嫡流だけど、侍所頭人をやっていたような気がする。

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  • 86
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  • 2011/02/15(火) 01:40:16
>>79
というか、室町幕府の発給文書(御教書・御内書・奉行人奉書)などでの足利一門の大名への書札礼は、斯波と吉良の2家に対してだけが特に厚礼になっている。
一方今川については、他の足利一門の大名と全く同じで、幕府側に今川を特別扱いするような感じは見て取れない。

これは斯波が管領になる義詮期以降も、今川が副将軍に任ぜられたとの俗説のある永享の乱以降も変わらないし、さらにいえば戦国に突入する16世紀になっても同様。

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  • 87
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  • 2011/02/18(金) 22:17:14
>>85
今川泰範は侍所頭人を間違いなくやっている。
よって>>84は間違い。

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  • 2011/02/27(日) 15:30:01.06
高氏と同じ官と(なぜか変換出来ない)上総介を代々貰ってることの意味が大きい。

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  • 89
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  • 2011/02/27(日) 15:51:09.84
そのうち桶狭間で義元が勝つ大河も出てきそう

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  • 2011/02/27(日) 16:17:10.29
>>88
尊氏って上総介になってたっけ?
足利宗家で上総介は、鎌倉初期の義兼だけで、鎌倉後半期には、上総介は吉良氏の官途になっていたはず。

鎌倉後半期には、上総介を世襲している吉良氏を足利上総家、尾張守を世襲している斯波氏を足利尾張家というし。

ただ室町に入ると、斯波・吉良両氏は、もっと高い官途を名乗るようになり、上総介は今川の官途、尾張守は畠山の当主が若年期に名乗る官途となるが。

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  • 91
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  • 2011/02/27(日) 16:58:32.07
御家人時代の足利高氏は治部大輔じゃなかった?

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  • 92
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  • 2011/02/27(日) 19:44:54.30
成田三喜夫の今川なら天下を統一できそう

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  • 93
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  • 2011/02/28(月) 02:18:39.65
>>86
斯波と吉良は足利を名乗るのを禁止されたあとも、基本的に幕府内で
「斯波」や「吉良」の苗字で呼ばれることがないんだよな。
幕府から彼らへの発給文書の宛先とかでも、苗字が書かれない。

なお室町期の斯波に関しては、兵衛府の唐名である「武衛」もしくは
京都での屋敷の所在地から「勘解小路殿」などと呼ばれることが一般的。

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  • 94
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  • 2011/02/28(月) 02:21:57.20
>>91
治部大輔で正解。

>>92
個人的にも、桶狭間で義元が死ななかったとしたらどうなったのかは、
興味あるところ。
仮に桶狭間の戦況は史実通りだったとしても、義元本人の戦死さえなければ
その後の歴史はかなり違ったものになったかも知れない。

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  • 95
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  • 2011/02/28(月) 02:41:15.20
>>93
「勘解小路」じゃなくて「勘解由小路(かでのこうじ)」だな。

確か『花の乱』で、斯波の屋敷のことを「勘解由小路邸」といっている場面があった。

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  • 96
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  • 2011/02/28(月) 08:34:18.84
義政は、「治部の大夫義廉」と呼んでいたぞ

ちなみに勝元は、「斯波殿はいかが?」と聞いていた。

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  • 97
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  • 2011/02/28(月) 10:08:46.04
>>92
成田三喜夫なら桶狭間で織田兵を返り討ちだからなw
まあ実際の義元もかなりの剛勇だよな。


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  • 98
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  • 2011/02/28(月) 10:21:39.12
斬りかかって来た奴の膝叩っ斬って組み伏せて来た奴の指喰いちぎったんだっけ?

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  • 2011/02/28(月) 10:41:56.01
>>98
そうそう。
襲い掛かって来てる連中は槍だから、そいつらに太刀で立ち向かうのは既にかなり絶体絶命状態。
だけで最初の奴は膝を叩ききり、次の奴とは壮絶な死闘。
義元の首は首を揚げた奴の指を噛み締めてたとか。

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  • 2011/02/28(月) 18:15:12.85
成田三樹夫が今川義元をしていた頃、甲斐国では佐藤慶が武田信玄をやっていた。
北条氏康は出て来ないが、このメンバーの善得寺の三者会談見てみたいわ。
きっと迫力のヤクザの手打ち式みたいに違いない。

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  • 2011/02/28(月) 18:22:13.51
ちなみに室田日出男の氏康を希望

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  • 2011/02/28(月) 18:31:24.33
今川義元:成田三樹夫
武田信玄:佐藤慶
北条氏康:室田日出男

上杉謙信:菅原文太

わっるい顔ぶれだなあw

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