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  • 2014/02/08(土) 14:37:46.07
うちは6人家族だった。
おじーちゃん、おばーちゃん、母、父、兄、オレ
家では零細ながらもなんとか食べていける食堂を経営していた。
ちゃんぽん、皿うどんメインの出前半分ぐらいの小さな食堂。
戦争から復員したおじーちゃんが中国で衛生兵をしていて
一度は医療機器の会社を興したが見事に倒産。
昭和25年からちゃんぽん、皿うどんの小さな小さな食堂を起こした。
当時は食べ物が少なかった時代、冬場は焼き芋やおでん夏はアイスも売っていたという。
出前専門店で大皿に5人前皿ウドンをつくり、リポビタンDの入れ物に
ソースをいれ、風呂敷に包んで片手に持ち、カブで出前していた。
昭和50年代、出前の料金が10円だったらしい。
家族みんなで協力して、給料はもらわず、逆に家に家賃光熱費として
毎月お金を貯金していた。
おばーちゃんが死ぬときに、自分の母親にその通帳出したんだけど
なんと2000万円入っていた。そのお金でビルのローンを繰り上げ
返済して今はテナントのお医者さんが毎月50万、駐車場が30万、
ボロアパートの家賃が80万入ってきている。
そのおかげで俺の会社の赤字が補填されているというわけだ。
こんな、家族の物語を始めたらおっさんだよなw

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