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  • 2015/10/22(木) 09:58:34.83
【WHITE ALBUM2】冬馬かずさスレ 砂糖58杯目

孤高。そして、孤独。

冬馬 かずさ (とうま かずさ)

Personal Data
(introductory chapter)
  峰城大付属3年E組。
  誕生日、5月28日。
  窓際の席で常に居眠りしている。遅刻・サボリの常習犯。
  雪菜と対極にいる時代錯誤の不良娘。
  裕福な家庭だが、親がほぼ不在。
  長く艶やかな黒髪、モデル顔負けのスタイル、切れ長の瞳。
  外見のイメージに反して、甘い物(プリン・ポートワインなど)好き。
  どちらかと言えば緒方理奈派。
(closing chapter)
  多分ピアニスト。きっとウィーン在住。その他の詳細不明。
  母であり、欧州を中心に世界中で活動するピアニスト冬馬曜子は、
  たびたび日本のメディアにもその活躍ぶりが紹介されているが、
  その不良娘にして実績のない若手ピアニストのことは、
  今現在でも日本ではまったく知られていない。
  彼女がふたたび日本の地を踏むことは、果たしてあり得るのか…

【WHITE ALBUM2】冬馬かずさスレ 砂糖57杯目 [転載禁止](c)bbspink.com
http://nasu.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1443884163/


※次スレは>>950頃に宣言してからスレ立てをして頂けますようお願い致します。



シナリオ担当・丸戸史明による冬馬かずさ評

「捨て犬に懐かれると、とんでもないことになるという見本。というわけであまりにも忠犬。
吠えても噛みついてもすねても常に尻尾は振ったまま。
さらにやっかいなのは、元捨て犬のくせにじつは血統書付きで毛並みが最高なこと。もふもふしてあげるとわかりにくく超喜びます。
でも放っておくと砂糖しか食べないので、厳しい管理が必要です。
というわけで彼女を幸せにできるのは、人生を犬に捧げたトップブリーダーだけです。みなさん頑張ってください」

ソース:【電撃PlayStation】『WHITE ALBUM2』シナリオ担当の丸戸史明氏自らヒロイン5人を紹介!
http://dengekionline.com/elem/000/000/573/573553/?%3f 
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
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  • 2015/11/02(月) 23:25:03.23
『冬馬かずさ、急死

 2月14日、ピアニストの冬馬かずさ(28)が現在活動拠点としているウィーンの病院で亡くなった。
 1月末に行われた野外コンサート期間中に演奏を行ったことで体調を崩し、その後の活動の強行で肺炎を引き起こし、入院時には既に手術や投薬治療も間に合わない程弱っていたという。
 彼女の所属する冬馬曜子オフィスでは、故人の葬儀をウィーンで行った後、遺骨を日本に送り、社長である故人の母冬馬曜子が引き取る流れになっているという。
 冬馬かずさがウィーンでの活動を始めたのは……』

「申し訳ありません!」

 北原春希がソファーにも腰掛けず、床に這いつくばるようにして深々と土下座を繰り返した。そんな春希を工藤美代子は向かいのソファーの後ろでただオロオロと見詰めているだけだった。

「あなたの責任じゃないわよ……春希君」

 そしてその向かいのソファーに座っていた女性、冬馬曜子――今の春希の義母――は、思い掛けない形での五年ぶりの再会の場で、それこそ母親の眼差しと声で春希を優しく包み込んだ。

「でも、でも俺、あいつを、かずさを……」
「だからそれは、あなたの責任じゃない。あの子の自己責任よ」
「それだって、全部俺が背負うものだったのに。あいつの全てを守るはずだったのに」
「……そのことで、あの子はあなたに恨み言をぶつけた?」

 ハッとしたかのように春希は顔を上げた。曜子の顔は娘を失った母親とは思えない程に穏やかだった。

『かずさ、しっかりしろ!』
『春希……情けない顔、するな』
『でもお前、このままじゃあ』
『何を勘違いしてるかは……知らないが、あたしは……幸せだったよ』
『過去形かよ!俺たちまだこれからじゃないのかよ!?』
『春希……ありがとうな』
『止めろ!そんな言葉、お前から聞きたくない!』
『……』
『……かずさ?』
『……あ、あ……』
『かずさぁ!』

「あなたが何もかも捨てて自分の側にいてくれたんだもの。あの子は幸せだったと思うわ、きっと」
「でも、俺はかずさを守れなかった。あいつを今以上に幸せにできなかった。
 あいつが本当に幸せになる道を、永遠に閉ざしてしまった……」

 向かい合ったソファーの間に置かれたテーブルの上、かずさの死が掲載された新聞が開かれている。既に日本でもこのことは公にされているのかと、春希の心は更なる重しに圧し掛かられた。

「でもありがとう。わたしはもうこんな身体だから、あなたがかずさの遺骨や遺品を持って来てくれて、正直感謝してる」
「……本当に、ごめんなさい」
「いいのよ。あの子だってきっと後悔はしていない。
 むしろ、あなたに辛い思いをさせてしまってごめんなさい」
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  • 2015/11/02(月) 23:46:48.09
>>309-310
かずさを嫁にするには相当ハイスペックな能力が求められるからな
春希さん次元が違う
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  • 2015/11/02(月) 23:54:22.93
人生を犬に捧げられるトップブリーダーでなければ
かずさの旦那になれないからな
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  • 2015/11/03(火) 00:14:04.44
身も蓋も無い事言えば1ピアニストの付け人なんかで人生終わっていいのかとも思う
そんなもんみよちゃんに任せておくナリよ
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  • 2015/11/03(火) 00:27:52.80
プロモーターも兼任してるし、
将来は事務所の社長も望めるんだから悪い人生では無いだろう
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  • 2015/11/03(火) 00:37:19.95
突き抜けた人間をサポートする仕事、そういう生き方も良いだろってかずさ相手についポロっと言っちゃったしな
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  • 2015/11/03(火) 01:17:24.49
こっちへ移動しようぜ

【WHITE ALBUM2】冬馬かずさスレ 避難所
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/game/59384/1446135555/
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  • 2015/11/03(火) 06:03:51.99
「あ、瀬ノ内さん。今日は…」
 板倉記者が口を開いたところを、すかさず千晶は自分のセリフを重ねてつぶす。
 千晶はいつもこの手でこの小うるさい雑誌記者をはぐらかしていた。舞台の間の取り方を逆用したワザである。
「ああ、冬馬さん。わたし。クラス別だったけど学年同じだったよ。でも覚えてないよね。瀬能千晶っていうんだけど」

 突然見知らぬ学友に話しかけられ、今度は冬馬が泡を食う。
「え、ええ?」
 かまわず千晶は続ける。
「ひょっとして、今の舞台見ていた? ごめんごめん、全然気付かなかった」
 そういう千晶の顔は悪戯を見つけられた少年のものだった。だが、その目はひそかにかずさの反応を注意深く見ている。
「あ、いや、今日は別件で…」
 その答えを聞き、千晶は軽い舌うちとともにぼやいた。
「やっぱりか…、ちぇ。春希も雪菜もチケット渡したのに見に来なかったし…」
 そのつぶやきは誰にも聞きとれないほど小さかった。しかし、ピアニストであるかずさの耳にははっきりと聞こえた。

「…春希たちの知り合い?」
 かずさの声のトーンが微妙に変わったのを千晶は聞き逃さない。
「うん、春希とは何度か寝たよ」
「…っ!」
「わたしはベッドで春希は床で」
「………」
 からかわれたことに気付いたかずさは凶悪な目つきで千晶を睨む。しかし千晶は気押されることなく、飄逸な口調をやめない。
「ごめんごめん、ゆるしてちょんまげぇ〜…って」
 かずさから、けして許すまじとばかりの怒りのオーラが立ち上る。

 千晶はその様子をひととおり観察し終わるや、カバンから何かを取り出し、両手を前で組んで言った。
「まぁ、おわびといっちゃあなんだけど…『かずさぁ、明日ヒマ?』」

 その言葉に、かずさは不意をうたれる。
 急になれなれしく名前で呼ばれたことに対してではない。
 その声色、口調、しぐさがまるで…かずさの不倶戴天の親友のまさにそれであったから。

「???っ…あ、ああ…」
 かずさは思わず肯定の返事を返してしまった。
「『よかったぁ。じゃ、絶対絶対来てよね。…来てくれないとちょっとだけ傷ついちゃうかもなぁ…』」

 そう言って、千晶はかずさの手に強引にチケットを2枚握らせる。
 その際の演技も完璧に『小木曽雪菜』のそれであった。
 かずさは混乱のあまり何も反抗できずにチケットを受け取る。

「『じゃあ、見終わったらまたこの場所で会おうね』」
「…あ、うん…」
 かずさは呆気にとられ、こくりとうなずくばかりであった。

 その後の事はかずさはよく覚えていない。
 たしか、瀬能千晶と名乗るあの新人女優は板倉記者にもチケットを渡して去っていった。
 板倉記者からはいろいろと質問されたが、何も答えられなかった。
 ただ、一緒に翌日の舞台を見に行く約束だけして別れた。

 自分と峰城大付の同学年ということだが、もちろん覚えはない。
 『春希』と『雪菜』を名前で呼ぶあの人物は何者? ただの大学とかの同窓生?
 あの時見せた演技は何? ただのモノマネ上手?

 いろいろ考えたけど埒があくはずもない。
 かずさは考えるのをやめた。明日、あの瀬能千晶という女に直接聞けばわかることだ。
 
 寝床に転がりながら眺めた、シーリングライトに透けるそのチケットには「5/13(木) シアターモーラス 劇団コーネックス二百三十度『届かない恋』」と印刷されていた。
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  • 2015/11/03(火) 06:04:59.81
・ブダペストのコンサート会場控え室

かずさ「テレビでもつけるか。(ぷち)あれ? 言葉がわからないな。そういや、今いる国はどこだったっけ?」
春希「ハンガリーだよ。なんで滞在中の国名を忘れるんだ?」
かずさ「春希についていってるだけだし、列車でいくつも国境またげば自分のいる国もわからなくなるさ」
春希「一つしか国境またいでないから。自分の住んでる国の隣国くらい覚えろ」
かずさ「ハンガリーってオーストリアの隣だったのか…」
春希「はぁ…。お客様がどこの国の人かぐらいわかっておいてほしかったな」
かずさ「関係ない。ハンガリー語で演奏する訳じゃない。ピアノは万国共通だ。それに、どうせ演奏して帰るだけなんだから、ハンガリーでもアメリカでも同じだ」
春希「……」
かずさ「なんだ? 旅行気分で来た方が良かったか?」
春希「いや。悪かったな。行きたい所にも連れて行ってやれず、窮屈な思いばかりさせて」
かずさ「何を今更…あたしは行きたい所なんてないから春希に言われるがままにどこにでも行くだけだ。
 春希こそ…」
春希「何だ?」
かずさ「春希こそ、日本に帰りたければ、ちょっとぐらい帰ってもいいんだぞ」
春希「なっ…!?」
かずさ「ちょっとぐらいの留守番は慣れてるさ。春希はあの人と打ち合わせするためとか、何とでも理由つけて行けない事はないだろう? あたしは雪菜たちとあんな事になって帰れないが、春希は雪菜とも一度話してるし、何より春希、一度日本に帰りたいんだろ?」
春希「な、何言ってるんだ、かずさ!? …結婚式であんな事になったのは曜子さん任せにしてた俺が悪いんだし、仕事の打ち合わせは電話で済んでいる。何より…」
かずさ「なあ、春希。あたしは春希に窮屈な思いさせていないか?」
春希「…もうよそう。この話は」
かずさ「…うん」
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  • 2015/11/03(火) 06:07:07.17
5/12(水)複合文化施設「Kaikomura」1階レストラン「コクーン」にて

 からり、から…  からり、から…
 
 コーヒーシュガーが空しい音を立て、黒褐色の液体の中に埋没していく。
 その数が5杯目にさしかかったが、同席している誰も彼女—売り出し中の若手女性ピアニスト、冬馬かずさ—の糖分過剰摂取に気付きすらしなかった。
 
 目の前では、彼女のマネージャーがクライアントとの打ち合わせのまとめにかかっている。かずさはそれを他人事のように眺めていた。
 
 同じ建物の3階にあるコンサートホールの下見が済んだ時点でかずさの本日の仕事は終わったようなものであった。
 あとのこまごまとした打ち合わせ事項はいつもどおり全てマネージャー任せであり、かずさ本人にはそういった仕事上のすり合わせを行う能力も意思も全くなかった。
 
 そんな事情を察するや、クライアントの男性もマネージャーとの用談に集中した。
 だから、下見後のフレンチレストランでの会食はかずさにとって、クライアントとマネージャーが話をまとめるまでの時間つぶしにすぎなかった。
 マネージャーが「では、そういうことでいいですね。かずささん」と確認を求めた際も、かずさはほとんど内容を理解することなく「うん、いいよ」と、答えた。
 かずさが理解していたのは「3階のホールで秋にピアノを弾く」、それだけであった。

 食事の間かずさが聞いていたのは打ち合わせの内容ではなく、レストランの外の喧噪の声であった。
 パリのカフェと同じようにポットで出されたコーヒーを砂糖で流し込み終わるころには外の喧噪も打ち合わせも止み、かずさは本日最後の仕事を実行することにした。
 何度も練習させられた、ぎこちない営業スマイルと共に
「では、本日はどうもありがとうございました。これからよろしくお願いします」
 これが、かずさの5月12日最後の仕事であった。

「では、かずささん。また明日お願いします」
「ああ・・・。いつもありがとう。美代子さん」
 レストランの外でかずさはマネージャーと別れた。
 
 マネージャーはこれから冬馬曜子—稀代の世界的ピアニストにしてかずさの母、そして、冬馬曜子オフィス社長—の所に報告に向かうことになっている。
 行先は峰城大学病院…公表はされていないが、曜子は白血病を患い定期的に検査入院を繰り返している。
 
 娘の売り出しのためには病床を抜け出し駆け回ることを厭わない曜子であったが、今日のような簡単な打ち合わせは報告受けで済ましている。
 だから、かずさは今日はひとりで帰ることになっていた。

 帰る、か…

 かずさの足取りは重たかった。今日は形ばかりの仕事であったが、それでも仕事のあるうちはそれで気を紛らすことができた。
 母親から押しつけられた忙しいスケジュールも却ってありがたかった。
 しかし、仕事が終わってひとりになった時に襲う寂寞感をやり過ごす術までは、まだかずさは見出せてはいなかった。

 そうしてふらふらと出口に向かうかずさの横をひとりの女性が通り過ぎた。

 ぴく…
 かずさは足を止める。
「?…誰だっけ…」

 振り返るが、後ろ姿ではわからない。最近会ったような気がしたが、どこで会ったかも思い出せない。

 しかし気になる。5年間ウィーンで暮らし5ヶ月前に帰国した彼女がこの国で「知り合い」と感じることのできる人は少ない。同年代くらいの女性だったが…

 かずさは追いかけて確かめることにした。たとえ人違いだったとしても気乗りのしない帰宅よりはマシと感じていたからだった。

 その女性はエスカレーターで2Fに上がり、「シアターモーラス」スタッフ出入り口の付近で立ち止まった。
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  • 2015/11/03(火) 06:08:10.92
 日本を飛び出して、あの日から何も変わっていない。

11年前のあの日から変わらぬこの部屋。大きく変わる事のなかった部屋。変わる事の出来なかった部屋。
 そう、11年たって尚、俺達は二人だった。別に避妊をしていた訳じゃない。寧ろ、毎日のように何も考えずにお互いの体を求めあった。貪り合い愛し合った。
 だが、それでもかずさが妊娠した回数はたった3回。その全ても流産という最悪の結果で終わった。

 神に、咎人に祝福は与えないと頬を殴られたような気がした。罪人は罪人同士で、何も残せず死ねばいいと告げられた気がした。
 神を憎んだ事もある。恨んだこともある。だが、それに意味などないと何度も実感した。

流産の度に慟哭の声を上げるかずさ。かずさを抱きしめながらも俺もかずさに見られないように何度も涙を流した。


 そして、三度目の流産と同時に曜子さんの訃報が知らされた。懸命の治療に関わらず、帰らぬ人となった。
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  • 2015/11/03(火) 06:09:23.55
「あ゛ぁ”あ゛」

 分かっている。そんな事分かりきっている。
 あぁ、そうだ。かずさは死んだんだ。

 曜子さんと同じ病。ただ、それと同時に風邪を患ってしまってそれが災いした。ただの風邪だったモノが数日もしない内に肺炎となり、そしてあっけなく命を奪ってしまった。
 たった数日前まで元気にピアノを弾いていたかずさ。こちらが呆れる程に俺に甘えてきたかずさ。窘めるぐらいに甘いモノを口に頬張っていたかずさ。

 だっていうのに、たった数日で帰らぬものとなってしまった。

 今でも、かずさが傍にいない事が信じられない。探せばどこかにいると思ってしまう俺がいる。
 だけど、葬儀の準備をしたのも、棺に納められ埋められたかずさの事も俺は覚えている。俺は、覚えているっ!
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  • 2015/11/03(火) 06:39:14.12
「パパっ!」

 俺とかずさの家が見えなくなって雪菜を振り切るように歩きかけたその時に、その声は聞こえた。

 同時に、胸元へとドンっとぶつかる音と衝撃。

「パパッ!」

 おいおい、俺がパパって。俺は、神様に親になる事が許されなかった人間だっていうのに。

 抱きしめ、涙すら流している目の前の少女。
 そこには、栗色と黒の中間という欧州では珍しい髪の色。
 目の前の少女には悪いけど、きちんと親の元に帰さないと。

 ぐいっと、引き離して女の子の顔を見る。
 顔立ちはやはりこちらでは珍しいアジア系の顔。それも、顔立ちと服装から日本人の子供。
 俺から離れるのがよほど嫌なのか、イヤイヤと首を振って力いっぱい近づいてくる女の子。
 顔立ちは、誰だろう。何故だか、嫌な予感が止まらない。あぁ、そうだ、そうだ。雪菜の家で見た、小さいころの雪菜に、よく…………似ている。

「私の、子供だよ」

 何時の間に泣き止んだのか。いつのまに降りてきたのか。後ろの方で赤い眼をしてそう断言する雪菜の顔がよく見えない。

 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!

「私と、春希君の子供、だよ」

 目の前の子供は十歳ぐらい。確かに、それなら辻褄が合う。かずさの手を取るまでは当たり前のように体を重ね合っていた。安全日も考えてはいたが、その日は付けていなかった。

「あ゛ぁあ゛あ」

 声が出ない。
 そうか。そうか、そうか。そうかっ! そういう事かよ、神様。俺とかずさの子が出来なかったのは、俺に、雪菜との子供がいるから!
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  • 2015/11/03(火) 06:40:33.33
 体から力が抜けて音を立てて、地面に膝がついた。

 俺は、俺には、かずさとの愛さえ貫けては、いけないというのかっ!

「あ゛ぁ”あ゛あああああああああああ—————————————————」

 雪は降り続けている。
 辛い事、哀しい事。そして、見たくもない真実を覆い隠してくれようとしている。

 ただ白く、綺麗なだけの世界を目の前に広げ、俺達をそこに置き去りにしようとしている。

 だけど、だけど、これは。

 雪よ、頼む。俺の罪を覆い隠さないでくれ。俺から罪を消さないでくれ。

 雪よ、雪よ、頼む。俺を優しく包み込まないでくれ。俺に温もりを与えないでくれ。

 雪よ、雪よ、これより溶ける事のない万年雪よ。どうかどうかすべてを覆い隠して冬すら感じさせないようにしないでくれ。俺から、かずさを奪わないでくれ。

 雪は降り積もる。二度と溶ける事のない雪が降りしきる。

 そう、哀しい事に、現実はいつだって————
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  • 2015/11/03(火) 06:43:02.94
・取材後

春希「……」
麻理「ふむ。まあ、固くなるな。もう上司でも部下でもないのだからな。
 事情は曜子社長から聞いた。私はお前が選んだ道を肯定したり否定するつもりはない」
春希「…ありがとうございます」
麻理「だが、お手並みは最悪だ」
春希「!?」
麻理「北原、お前は冬馬かずさを助けたいのか?」
春希「な!? 助けたいに決まっています」
麻理「助けたいがために開桜社にも何も語らなかった。そうか?」
春希「はい…」
麻理「全く、これほど先の見えてない男だとは思ってなかったな」
春希「!?」
麻理「確かに、一時のマスコミの興味本位の報道から免れることはできたな。そのために自らの退社理由を隠し、冬馬かずさが日本を去ることもひた隠しにし続けた」
春希「はい…」
麻理「どうなったと思う?」
春希「ご迷惑おかけしました…」
麻理「…全くわかってないようだから説明しておこう。お前たちの出国から一週間足らずで冬馬かずさがお前と共にウィーンにいることが知れた。
 すぐに事の次第も明らかになった。
 大変だったよ。
 浜田やアンサンブル編集長は矢面に立たされたし、冬馬曜子オフィスと我が社の関係は最悪になった」
春希「そ、それは…」
麻理「新人一人やめた程度と思ったか? 残念ながらお前はただの新人どころかかなりの有望株だった。だから期待もコストもかけていた。
 例えすただの新人でも取り引き相手からの無断引き抜きなんて言語道断の掟破りだ。
 日本から静かに去るために誤情報流すのもな。日本での活動を支援するために方々回っていたアンサンブル編集長がどんな目に遭ったか想像できるか?」
春希「す、すいません…」
麻理「日本から去るから開桜社にはいくら迷惑かけても良いとでも思ったか? 残念ながら、この狭い世界、ましてや狭すぎるクラシック界ではな、お前のやったことは恥知らずの所行にしか過ぎない」
春希「しかし、自分はかずさを…」
麻理「守りたかった。それはわかる。しかし、冬馬かずさをピアニストとして活動させる為には最悪だったと言わざるを得ない。
 迷惑は巡り巡って自分の所に降りかかるものだ。アンサンブルが社内から槍玉に挙げられ、これを機にと社内のメセナ活動でアンサンブルの持ってた枠を奪う動きが起きた。そんなドタバタは社外にも伝わった」
春希「……」
麻理「最初の一年半、全く仕事取れなかっただろ? お前の語学力とかの問題じゃないぞ。英語もできるんだし」
春希「な、何かあったんですか?」
麻理「冬馬曜子オフィスは味方も敵も多かった。そんな中、ウィーンで有力なある日本人が『冬馬かずさを使うのは避けたい』と言った。開桜社とのトラブルを避けたいがために。たったそれだけの事だ」
春希「え?」
麻理「企業同士のトラブルなんて『もう仲直りしましたよ』ということを知らしめるのが一番難しいんだぞ。
 まして、お前たちが日本の仕事避けまくってるから尚更だ」
春希「そ、そんな…」
麻理「あの狭い業界、仲違いしても結局すぐ仲直りしないといけないし、人と仲違いしたらそれ以外の人間から避けられまくるから気をつけろ」
春希「はい…」
麻理「ウィーンの件の人物も悪い人じゃない。甘いもの好きだから、金沢『やまむら』の甘納豆でも買って持って行け」
春希「何から何まで…ありがとうございます」
麻理「本来、新人が取り引き相手に引き抜かれたといっても、双方了解済みの話なら歓迎しても良いくらいの話なんだぞ。新たな方面へのパイプとして期待できるわけなんだからな。
 了解の有無で婿入りと駆け落ちくらいの雲泥の差がある」
春希「そ、そうは言われてましても…」
麻理「まあ、お前の場合はこれからだ。悪いが、期待かけていた分まで働いてもらう。ビジネス相手としてな。
 お前は私が育てあげた男だ。逃げられると思うなよ」
春希「…楽しそうですね。麻理さん」
麻理「当たり前だ。曜子社長の粘り強さのおかげでやっと社の関係も戻り、お前とこうして会えるようになったからな。
 グラフも『ブラックだから人が逃げた』とあらぬ誹りを受けている。しっかり拭ってもらわないとな」
春希「(十分ブラックですよ…)」
麻理「これからもよろしくな。北原」
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  • 2015/11/03(火) 06:44:07.02
暗いSSが多いから明るいSSも貼ろうぜ
色々なSSを見比べるのも偶には良いものだ

 結婚して一年目の二月七日。
 誕生日の一週間前のこの日になって初めて、雪菜がこんな提案をしてきた。

雪菜「ねぇ、春希くん。新曲の歌詞、できてる?」
春希「……は?」
雪菜「は、じゃないよ。もう一週間前だよ?
   わたしたちのいつものペースから考えて、そろそろ合宿に入らないといけないと思う!」
春希「や、だから」
雪菜「わたし、ちゃんとかずさには連絡してあるからね。それでもうスタジオだって予約してあるんだから。
   準備万端だよ? ふふっ、これも春希くんの影響かなぁ。
   あとは春希くんが歌詞を作って、かずさが曲を作って、練習するだけ!」
春希「いやそれ、『だけ』じゃなくて曲作りのほぼ全部……」
雪菜「さ、頑張ろう? わたしの誕生日までもう時間ないんだよ?」
春希「…………」

 ……重ねて言うが、雪菜がこんな提案をしたのはこの日が初めてである。
 そして、これは俺自身もまぁどうでもいいといえばいいのだが、もう一つだけ。
 武也も仲間に入れてやってくれ。

 ◆◆
 とはいえ、新妻のやりたいことをできる限り応援するのは夫の務めではないだろうか。
 そう脳内で言い訳して、バックパックにこれでもかとばかり食品や生活用品や、そういったものを詰める。
 そしてそんな都内に不似合いな大荷物を担いでスタジオに行くと、既に待機していたかずさとの挨拶も
 そこそこに早速歌詞作りに入った。
 テーマは家族。愛しのお姫様のご指定だった。

春希「家族。家族か……」
かずさ「なんだ、雪菜との理想の家庭像でも想像してるのか?」
春希「あー。それもあるなぁ」
かずさ「どうせイチヒメニタローがどうとか、家は一戸建てもいいけどリスクを考えると、とか。
    そんなしょうもないことばっかりなんだろ?」
春希「そ、それのどこが悪いんだよ!
   どこかの誰かみたいにそれ一本で勝負できるものがないんだから仕方ないだろう。
   ……それより一姫二太郎なんて言葉、よくお前が知ってたな」
かずさ「う、うるさいんだよ委員長は! ったく、相変わらず安定志向な奴め。
    これじゃ、出来上がる歌詞も面白みがなさそうだ」
春希「いいだろ本職じゃないんだから……。そんなこと言うくらいならお前は雪菜と遊んでろ。
   そうだな、歌のお兄さんとお姉さんごっこがいいんじゃないか?」
かずさ「誰がお兄さんだ!」
春希「先回りして怒んなよ!」

 何故だろう。スタジオに入ると精神年齢まで高校時代に戻るような気がする。
 純粋に騒いでいられたあの頃と、色々——なんて言葉で片付けたら雪菜に申し訳なくなるくらいの頃。
 そしてうちの親まで雪菜が篭絡した後で、結婚。
 ……本当に、愛すべき妻だ。
 かずさが廊下に出て行くのを見届け、呟いた。
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  • 2015/11/03(火) 06:45:16.11
春希「妻……家族、か。俺になれるか分からないけど。でも……」

 家庭を作るなら、小木曽家みたいな幸せな家族になりたい。小さな幸せを大切にできる、そんな家族に。

?「なれるよ、春希くんなら」
春希「雪菜?」
雪菜「うん、わたしが保証するよ。春希くんならなれる」
春希「……ありがとう。テキトーな言葉でも嬉しいよ」
雪菜「テキトーじゃないよ? 当ててあげよっか、春希くんが何考えてたのか」
春希「間違ってたらオシオキだからな?」

雪菜「えっ!?
   …………、あ〜、うん。やっぱり分からないなぁ! わたしエスパーじゃないもん。
   あぁ〜、怖いなぁっ! どんなオシオキされちゃうんだろうっ」
春希「楽しみにしてんじゃねえよ! かずさと遊んでろ!」
雪菜「あぁん春希くんがいじめる〜! かずさぁ〜!」

 ……全く。可愛いすぎるんだよちくしょうっ!

 ◆◆

 そんなこんなのうちに一週間はみるみる過ぎ、六日目。午後六時。
 俺たちの前には、いつもより余裕をもって完成した楽譜があった。

春希「本番前日に完成して『余裕をもって』って……」
かずさ「お前がなかなか歌詞を作らないからだろ馬鹿」
春希「う……、ぐう」
かずさ「ぐうの音は出すな!」
雪菜「でもやっぱりすごいよねぇっ。これで何曲目だっけ? メロディが思い浮かばなくなることとかないの?」
かずさ「ま、まぁ、あたしくらいになると言葉を見ながらピアノに触れてるとさ、湧いてくるんだよ」
雪菜「へぇ〜! かずさかっこいい!」
かずさ「そ、そう、かな。別にそんな、難しいことじゃない……」
雪菜「仮に難しいことじゃないとしても、それを何度も何度もやってこんなにいいもの創れるのは才能だよ!」
かずさ「そ……そ、かな」
春希「素人に褒められてテレるなよ、プロ」
かずさ「……。雪菜、ごめん。春希には特別コースを受けてもらうことになったから。
    明日以降、春希が廃人になっても恨まないで」
雪菜「ううん、びしばししごいてあげて。わたしはたとえ春希くんが廃人になっても、ずっと愛してるから。
   だから安心してね、春希くん」
春希「もっと別の状況で聞きたかったよ、その言葉」

 今生の別れのように正面から抱きついてくる雪菜。
 俺はその柔らかい肢体をしっかりと受け止める。両手を彼女の腰に回し、至近距離から見つめ合う。
 雪菜が蟲惑的な双丘を押し付けてくる。ふわっとほんのり甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

かずさ「んんっ、ごほん」

 雪菜が上目遣いで見上げてきて、甘えるように微笑した。そして瞼が伏せられ、顔が斜め上に向けられる。
 俺はゆっくりと唇を近づけ、躊躇うことなく雪菜の心に触れた。

雪菜「んっ……ふ、ぅ……んぅ……ちゅ、ちゅ……」

 優しく表面をすくうように。
 時間にして数秒。俺が何かに—ーいや、かずさに遠慮して唇を離すと、雪菜は俺の胸に顔を埋めた。

雪菜「いってらっしゃい、春希くん」
春希「……どこにだよ。同じ部屋で練習するんだろ」
雪菜「すぐそこにある戦場に、だよ」

 雪菜が顔を埋めたまま腕だけで示す。その先には、少し顔を赤くしたかずさが鬼の形相で立っていた。
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  • 2015/11/03(火) 06:46:19.02
 そして当日、夜。世間的にはバレンタインで盛り上がっている頃、俺たちは誕生日で盛り上がっていた。

武也「いやー。もう何度でも言うぜ、俺。おめでとう、そしておめでとう!!
   なんつーかなぁ、こうして新婚一年目で無事雪菜ちゃんの誕生パーティもできて、ほんと……俺……っ」
春希「酒飲んで感極まってるとこ悪いけど、武也、お前の出番これで終了だから」
武也「はぁっ!? 出番ってなんだよ、俺とお前の漢坂はこれからだろうがよぉ!」
春希「いやほんといいんで。隅で衣緒と遊んでなさい」
武也「格は、格は足りてるはずなんだッ……!」

 宴もたけなわとでも言おうか。めんどくさい酔っ払いは置いといて、小木曽家リビングを見回す。
 雪菜の家族や麻理さん、杉浦たち四人に、和泉、柳原さん、武也、衣緒。そして雪菜とかずさ。
 身内だけの、ささやかだけど大切なパーティ。
 ささやか、なんて言いながら余裕で十人を越える『身内』はきっと、雪菜が勝ち取ったものなんだ。

朋「雪菜、今日は歌うって聞いたんだけど。『お客様』をこんなに待たせていいの?」
雪菜「分かってるよ、もう。ちょっとくらい待てないの?
   それにわたし、柳原さんは呼んでなかったのに……」
朋「はぁ!? さっすが小木曽雪菜、最大のライバルから逃げて結婚した挙句、
  ヌルいお友達と群れるしかできないのねぇ〜」
雪菜「北原雪菜」
朋「え?」
雪菜「だから、名前。き・た・は・ら、雪菜。間違えないでね、柳原朋さん」
朋「くっ……!」
衣緒「雪菜、後輩いじめなんかしてないで歌の準備してきな」
雪菜「うん、ケーキでも食べてちょっと待っててね。着替えてくるから」
朋「男がいるからって、男がいるからってこいつら……うぅー!」
小春「あ、あのっ、おぎそせん……北原先輩……だとどっちか分かんないし……」
雪菜「雪菜、って呼んで。杉浦さん」
小春「はいっ! 雪菜先輩、わたしたちも期待してます! と、冬馬先輩も頑張ってください!」
かずさ「ああ。ま、あいつの歌詞じゃ、あたしの曲も雪菜の声も形無しだけどな」
麻理「後で独占インタビュー、お願いしますね」
かずさ「…………」

 雪菜とかずさが二階へ向かう。俺は五分おいて雪菜の部屋へ。
 扉を開けると、そこには着替えを終えた雪菜とかずさがいた。
 衣装は学園祭の時のアレ。
 俺も当時のアレ—ーつまり制服に着替えると、キーボードとギターを持って二人に向き直った。

春希「かずさ、いけるな」
かずさ「こんな余興でいけるも何もない」
春希「雪菜、いこうか」
雪菜「うん」
かずさ「春希、いけそうにないな」
春希「うるさいよ!」

 三人で部屋を出てリビングへ。ささやかな歓声を受けつつセッティング。位置につき、ギターを構える。
 不意に雪菜が振り返る。何だと思う間もなく、俺は雪菜に抱き締められた。

雪菜「春希くん」
春希「どうした?」
雪菜「……だぁいすき、だよ」

 雪菜が中央に戻り、マイクのスイッチを入れる。かずさの前奏が心地良く耳朶を打つ。
 遅れてなるものかと俺も弦を押さえてかき鳴らす。
 そして。
 鈴のような雪菜の声が響く————。
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  • 2015/11/03(火) 06:47:54.48
春希 「驚いたなぁ。かずさにそんな人がいたなんて」
曜子 「…あまり動揺してくれないのね」
かずさ 「こういう男だ。春希は」
春希 「いやいや。驚いていますよ。あんなに曜子さんに仕事漬けにされていた上に、俺たちと会ったときもそんな浮いた様子一つもありませんでしたから」
かずさ 「そんなの隠していたに決まってるじゃないか」
春希 「そりゃ、自分みたいなマスコミの記者に話すなんて日本全国に広めてくださいって言っているみたいなものだしな。
   でも、祝福してくれる人もたくさんいると思うぞ。俺もそうだし」
かずさ 「そういう意味じゃない。ったく」
春希「?」
曜子 「…まあ、いいわ。ともかく、かずさが選んだ事だし。私みたいな趣味の悪い女がとやかく言える話じゃないわね」
春希 「それで、相手の人ってどんな人なんですか?」
かずさ 「橋本健二さん」
春希 「え、えと。どんな人かって質問なんだけど」
かずさ 「な!? お前はアホか?
   なんで今を時めく若手ナンバーワンピアニストの健二さんを知らないんだ? 仮にも記者のはしっくれだろ? お前は!」
春希 「え、えーと。かずさに比べて特徴ない人だから…」
曜子 「おやおや。女王杯始め数々の賞を取った身長2m弱の巨漢の化け物ピアニストが『特徴ない』なんて、まぁ。
   ま、胸の大きさなら私の娘も十分化け物級だけど」
かずさ 「健二さんを化け物呼ばわりするな。あの人はああ見えてそういうのすごく気にする人なんだ」
春希 「はは。無知ですいません」
曜子 「ま、ギター君はできないと自分で決めちゃった線からは本当に努力しないコだもんね。
   ギターの腕にせよ、クラシック知識にせよ」
春希 「…返す言葉もありません」
かずさ 「ふん」
曜子 「ま、人間手の届かない才能目差した努力はしない方がいいわよ。
   幸せにできるのはその手の届く人だけ。好きなだけ崇拝してるだけでは、2、3年は良くても結局5年10年はうまくいかないものよ」
かずさ 「ふん。とっかえひっかえした経験者の言葉かい?」
曜子 「ええ。だから、橋本さんとの縁は本当に歓迎しているわ。
   あなたのような、ピアノだけのちょっといびつに育ってしまった娘を、その才能を、崇拝でもなく知識としてでもなく、同じ才能を持ち共に歩んで行ける存在として受け止めてくれる人と出会えたんだから」
かずさ 「ふふん♪」
春希 「良かったですね」
曜子 「おや? あなたの『良かった』は『フった女が幸せに収まりそうで良かった』の意味じゃなくて?」
春希 「ぐ…」
かずさ 「ちょっと! 母さん! それはやめろよ!」
曜子 「あらあら。ギター君、わかりやすい表情。ひょっとしてかずさがこの先独身だったらどうしようとか気に病んでくれてた?」
春希「……」
かずさ 「フフン。残念だったな」
春希 「い、いえ。…そ、そういえば、お二人の馴れ初めなど聞かせていただけると…」
曜子 「かずさの方からよ。もう、猛烈アタック。そうしなきゃダメって経験が生きたわね」
かずさ 「(赤面)ちょっと! 母さん!」
春希 「はは…普段のかずささんからはなんだか想像できませんね」
曜子 「冬馬家の女の性欲なめんな。男ナシで20代の盛りを乗り切れるワケないでしょ」
春希 「……」
かずさ 「…あんたの血を受け継いでこれほど後悔した日はないな」
曜子 「ま、そういうワケで。明日の記者会見までは口外禁止でね」
春希 「いえいえ。ありがとうございました」
曜子 「じゃ、またね」
かずさ 「またな、春希。…あ、そうだ。もうひとつだけ教えてやる。耳を貸せ。春希」
春希 「なんだい? かずさ」
かずさ 「(ゴニョゴニョ)」
春希 「…(がくっ)…そりゃ、向こうは身長2mで…(ぶつぶつ)」
かずさ 「じゃあな。春希」


曜子 「さっきギター君に何吹き込んだの? カレ、心へし折られたような表情してたわよ」
かずさ 「…いや、健二さんの方が大きくて固かったって」
曜子 「…えげつない子ね。さすが私の娘ね」
かずさ 「いや、自分でもえげつないと思うけど、あたしやっぱり母さんの娘だよ」
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  • 2015/11/03(火) 07:01:35.55
「脳のここの部分に腫瘍がありますね。最近、頭痛を感じた事は?」

「いいえ…」

 春希はそう答えた。しかし、実のところ慣れない異国での激務で身体に不調を感じることは頻繁であったので、最後に頭痛に襲われたのはいつかなど覚えてはいなかった。

「浸潤が激しく、悪性である疑いが高いです。摘出手術が困難な箇所ですが…化学療法や放射線治療もあります。希望を持って治療を続けて下さい…」

「はい…」

 誰にも相談できない。特にかずさには…

◆◆ 

「ただいま」

「遅いぞ、春希」
 玄関のドアが開き、片付けのできないかずさの待っていた家からはカビと生乾きの洗濯物の匂いがした。

「誰の尻拭いで遅くなったと思っているんだ?」
「あたしの尻を追っかけるしつこい記者を追い払うのも春希の仕事だろう?」

 気怠い身体を引きずって帰って来ても玄関で待つのは憎まれ口。そんな生活を今まで続けてきた。

 医者から言われた事が頭の中で泥色の渦をまく。何も考えたくない。休みたい。
「今日は疲れたよ。明日も早いしもう…」

 しかし、そんなささやかな望みさえ、我が侭放題に育てられた愚妻は許してくれない。
「3日も待ったんだぞ」

 かずさがナメクジのように腕をからめてくる。胃の底に生ぬるい鉛を流し込まれたような気分だ。

 眠い。この腕を払って眠ることができればどんなにか楽だろう。

 ベッドを一つにするんじゃなかった…
 逃げ道など最初からない。首筋に湿った唇が押しあてられる。
 鈍い悪寒が背筋をこわばらせた。

 流しには腐臭をまとわりつかせた食器が積み上がっていた。
 明日になればさらに耐えがたい臭いを放つだろう。

 玄関でしっかりと靴を拭わずに部屋に入ってくれるものだから部屋が砂ぼこりくさくなる。
 脱ぎ捨てられた服や空のワインボトルが床に散らばっているのなんてもうご愛嬌だ。

 子供がいなくて良かったと心底思った。

 吐き気をこらえつつ洗ってあるものと思しきグラスを一つ取り水でよくすすいだ上で、冷蔵庫から炭酸水のボトルを取り、注いで飲む。
 まずい
 だが、苦味すら感じるほどの硬度の水道水より遥かにマシだった。

 紅茶でも沸かそうかと電気ポットを見て舌打ちする。
 ものぐさなことに、電気ポットに直接紅茶の葉をぶち込んで、飲み終わってそのまま放置していたのだろう。
 電気ポットの中には2日前の紅茶の葉が黒っぽいカビと共に鎮座していた。

「何をしてるんだ? 早くしろよ」
 急かすかずさを無視してゴミバケツにカビだらけの紅茶の葉をぶち込んだ。

 居間のテーブルの上には固まった極彩色の脂を浮かべたカップラーメンの容器が整列している。
 もう嗅覚は麻痺していたが、まとわりつく不快感はどうにもならない。

 居間から逃げるように寝室に入り、こぼれたワインのシミのついたベッドに手をついた。
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  • 2015/11/04(水) 22:42:11.05
「あ、瀬ノ内さん。今日は…」
 板倉記者が口を開いたところを、すかさず千晶は自分のセリフを重ねてつぶす。
 千晶はいつもこの手でこの小うるさい雑誌記者をはぐらかしていた。舞台の間の取り方を逆用したワザである。
「ああ、冬馬さん。わたし。クラス別だったけど学年同じだったよ。でも覚えてないよね。瀬能千晶っていうんだけど」

 突然見知らぬ学友に話しかけられ、今度は冬馬が泡を食う。
「え、ええ?」
 かまわず千晶は続ける。
「ひょっとして、今の舞台見ていた? ごめんごめん、全然気付かなかった」
 そういう千晶の顔は悪戯を見つけられた少年のものだった。だが、その目はひそかにかずさの反応を注意深く見ている。
「あ、いや、今日は別件で…」
 その答えを聞き、千晶は軽い舌うちとともにぼやいた。
「やっぱりか…、ちぇ。春希も雪菜もチケット渡したのに見に来なかったし…」
 そのつぶやきは誰にも聞きとれないほど小さかった。しかし、ピアニストであるかずさの耳にははっきりと聞こえた。

「…春希たちの知り合い?」
 かずさの声のトーンが微妙に変わったのを千晶は聞き逃さない。
「うん、春希とは何度か寝たよ」
「…っ!」
「わたしはベッドで春希は床で」
「………」
 からかわれたことに気付いたかずさは凶悪な目つきで千晶を睨む。しかし千晶は気押されることなく、飄逸な口調をやめない。
「ごめんごめん、ゆるしてちょんまげぇ〜…って」
 かずさから、けして許すまじとばかりの怒りのオーラが立ち上る。

 千晶はその様子をひととおり観察し終わるや、カバンから何かを取り出し、両手を前で組んで言った。
「まぁ、おわびといっちゃあなんだけど…『かずさぁ、明日ヒマ?』」

 その言葉に、かずさは不意をうたれる。
 急になれなれしく名前で呼ばれたことに対してではない。
 その声色、口調、しぐさがまるで…かずさの不倶戴天の親友のまさにそれであったから。

「???っ…あ、ああ…」
 かずさは思わず肯定の返事を返してしまった。
「『よかったぁ。じゃ、絶対絶対来てよね。…来てくれないとちょっとだけ傷ついちゃうかもなぁ…』」

 そう言って、千晶はかずさの手に強引にチケットを2枚握らせる。
 その際の演技も完璧に『小木曽雪菜』のそれであった。
 かずさは混乱のあまり何も反抗できずにチケットを受け取る。

「『じゃあ、見終わったらまたこの場所で会おうね』」
「…あ、うん…」
 かずさは呆気にとられ、こくりとうなずくばかりであった。

 その後の事はかずさはよく覚えていない。
 たしか、瀬能千晶と名乗るあの新人女優は板倉記者にもチケットを渡して去っていった。
 板倉記者からはいろいろと質問されたが、何も答えられなかった。
 ただ、一緒に翌日の舞台を見に行く約束だけして別れた。

 自分と峰城大付の同学年ということだが、もちろん覚えはない。
 『春希』と『雪菜』を名前で呼ぶあの人物は何者? ただの大学とかの同窓生?
 あの時見せた演技は何? ただのモノマネ上手?

 いろいろ考えたけど埒があくはずもない。
 かずさは考えるのをやめた。明日、あの瀬能千晶という女に直接聞けばわかることだ。
 
 寝床に転がりながら眺めた、シーリングライトに透けるそのチケットには「5/13(木) シアターモーラス 劇団コーネックス二百三十度『届かない恋』」と印刷されていた。
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  • 2015/11/04(水) 22:45:45.63
5/10(月)冬馬宅地下練習スタジオにて
 フランツ・リスト作曲、詩的で宗教的な調べより第10曲…Cantique d'amour『愛の賛歌』
 
 かずさはそれを奏でたつもりだった。しかし…
 奏で終わった途端に押しつぶされそうな罪悪感が彼女を襲った。罪悪感に重みがあったなら彼女の身体は鍵盤に叩きつけられて二度と起き上がることはなかっただろう。
 
 ぱん、ぱん、ぱん…
 練習スタジオ入口から曜子が拍手をしつつ入ってくる。その表情は笑顔に満ちていた。
「素晴らしい出来じゃない、かずさ。こんな演奏、わたしには逆立ちしてもできっこないわよ」
 母親の言葉には痛烈な皮肉が混じっていた。
 
「わかっているよ、母さん。今の演奏は…」
 弱々しい娘の口応えを遮るように曜子は追撃を続ける。
「ええ、出来は素晴らしいわよ。
 賛否両論あるだろうけど、今の演奏は全盛期のわたしでも敵いっこない。
 たぶん、ウィーンで値段をつけさせたら倍の値段がつくわよ。
 フランツ・リスト作曲ザイン・ヴィゲンシュタイン侯爵夫人に献呈された詩的で宗教的な調べより第10曲…」
「もうやめてくれ。母さん…」
 娘の懇願に耳を傾けることなく、母親はとどめの言葉を撃ちこむ。
「『愛の《怨嗟》』ってね」
「っ…!」

 やはり、母親には全部見抜かれていた。
「もぉ、すっごいわたし好み。
 オンナの秘めておきたい部分がもぉ『これでもかっ』ってぐらい伝わってきて、同じオンナに生まれてきたこと懺悔したくなるぐらい。
 フランツに聞かせたら墓から飛び出してきて、あなたの首を絞めにかかるか、頭を垂れるかのどちらかね。
 まぁ、カレも身に覚えが二つ三つあるコだから後者の方が若干確率高いかな」

 200年前の偉大な先人を元愛人の一人のように看做す発言の方こそ祟られても文句言えないほど不敬極まりない。しかし、かずさは罰を受ける罪人のようにうなだれて口をつぐむ。
 そう、被告人かずさが全く弁明できないほど、今の演奏はどす黒い感情に満ちていた。
 春希を奪った雪菜への嫉妬、自分を捨てて雪菜をとった春希への妄執
 そして…春希を振り向かせる事が出来なかった自分への自己嫌悪

「熱心なのは結構だけど、あまり入れ込みすぎるんじゃないわよ」
 曜子はそう言って練習スタジオから出て行った。

 残されたかずさの口から嘆息とともに男の名が漏れる。
 春希ぃ…
 5年間付き合ってきた慕情を振り切ろうと決意したのが2ヶ月前。
 しかし、心身の隅々まで根を張った感情から容易く免れることなどできるはずもなかった。
 
 冬の終わりにはかずさ、春希、雪菜の3人が心重ねた一瞬があったが、春が来て夏が近づくにつれ、かずさ心の隙間から抑えきれない感情が滲み出てきた。
 忘れるためにピアノを弾けば逆に、自分は今まで春希の事ばかり考えてピアノを弾いてきたのだと思い知らされた。
 かずさのピアノはあたかも鏡のように容赦なく彼女の内面を映し出していた。彼女自身でどうにもならないほどに。

「やっぱり私、母親失格かも」
 曜子は、閉じた練習スタジオのドアの向こうでため息交じりにつぶやいた。
「娘がつらい経験を重ねるたびにピアニストとしての艶を増していくのを見て…喜ばずにはいられないなんて」
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  • 2015/11/04(水) 23:38:15.48
暗いSSが多いから明るいSSも貼ろうぜ
色々なSSを見比べるのも偶には良いものだ

 結婚して一年目の二月七日。
 誕生日の一週間前のこの日になって初めて、雪菜がこんな提案をしてきた。

雪菜「ねぇ、春希くん。新曲の歌詞、できてる?」
春希「……は?」
雪菜「は、じゃないよ。もう一週間前だよ?
   わたしたちのいつものペースから考えて、そろそろ合宿に入らないといけないと思う!」
春希「や、だから」
雪菜「わたし、ちゃんとかずさには連絡してあるからね。それでもうスタジオだって予約してあるんだから。
   準備万端だよ? ふふっ、これも春希くんの影響かなぁ。
   あとは春希くんが歌詞を作って、かずさが曲を作って、練習するだけ!」
春希「いやそれ、『だけ』じゃなくて曲作りのほぼ全部……」
雪菜「さ、頑張ろう? わたしの誕生日までもう時間ないんだよ?」
春希「…………」

 ……重ねて言うが、雪菜がこんな提案をしたのはこの日が初めてである。
 そして、これは俺自身もまぁどうでもいいといえばいいのだが、もう一つだけ。
 武也も仲間に入れてやってくれ。

 ◆◆
 とはいえ、新妻のやりたいことをできる限り応援するのは夫の務めではないだろうか。
 そう脳内で言い訳して、バックパックにこれでもかとばかり食品や生活用品や、そういったものを詰める。
 そしてそんな都内に不似合いな大荷物を担いでスタジオに行くと、既に待機していたかずさとの挨拶も
 そこそこに早速歌詞作りに入った。
 テーマは家族。愛しのお姫様のご指定だった。

春希「家族。家族か……」
かずさ「なんだ、雪菜との理想の家庭像でも想像してるのか?」
春希「あー。それもあるなぁ」
かずさ「どうせイチヒメニタローがどうとか、家は一戸建てもいいけどリスクを考えると、とか。
    そんなしょうもないことばっかりなんだろ?」
春希「そ、それのどこが悪いんだよ!
   どこかの誰かみたいにそれ一本で勝負できるものがないんだから仕方ないだろう。
   ……それより一姫二太郎なんて言葉、よくお前が知ってたな」
かずさ「う、うるさいんだよ委員長は! ったく、相変わらず安定志向な奴め。
    これじゃ、出来上がる歌詞も面白みがなさそうだ」
春希「いいだろ本職じゃないんだから……。そんなこと言うくらいならお前は雪菜と遊んでろ。
   そうだな、歌のお兄さんとお姉さんごっこがいいんじゃないか?」
かずさ「誰がお兄さんだ!」
春希「先回りして怒んなよ!」

 何故だろう。スタジオに入ると精神年齢まで高校時代に戻るような気がする。
 純粋に騒いでいられたあの頃と、色々——なんて言葉で片付けたら雪菜に申し訳なくなるくらいの頃。
 そしてうちの親まで雪菜が篭絡した後で、結婚。
 ……本当に、愛すべき妻だ。
 かずさが廊下に出て行くのを見届け、呟いた。
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  • 2015/11/04(水) 23:58:26.55
・取材後

春希「……」
麻理「ふむ。まあ、固くなるな。もう上司でも部下でもないのだからな。
 事情は曜子社長から聞いた。私はお前が選んだ道を肯定したり否定するつもりはない」
春希「…ありがとうございます」
麻理「だが、お手並みは最悪だ」
春希「!?」
麻理「北原、お前は冬馬かずさを助けたいのか?」
春希「な!? 助けたいに決まっています」
麻理「助けたいがために開桜社にも何も語らなかった。そうか?」
春希「はい…」
麻理「全く、これほど先の見えてない男だとは思ってなかったな」
春希「!?」
麻理「確かに、一時のマスコミの興味本位の報道から免れることはできたな。そのために自らの退社理由を隠し、冬馬かずさが日本を去ることもひた隠しにし続けた」
春希「はい…」
麻理「どうなったと思う?」
春希「ご迷惑おかけしました…」
麻理「…全くわかってないようだから説明しておこう。お前たちの出国から一週間足らずで冬馬かずさがお前と共にウィーンにいることが知れた。
 すぐに事の次第も明らかになった。
 大変だったよ。
 浜田やアンサンブル編集長は矢面に立たされたし、冬馬曜子オフィスと我が社の関係は最悪になった」
春希「そ、それは…」
麻理「新人一人やめた程度と思ったか? 残念ながらお前はただの新人どころかかなりの有望株だった。だから期待もコストもかけていた。
 例えすただの新人でも取り引き相手からの無断引き抜きなんて言語道断の掟破りだ。
 日本から静かに去るために誤情報流すのもな。日本での活動を支援するために方々回っていたアンサンブル編集長がどんな目に遭ったか想像できるか?」
春希「す、すいません…」
麻理「日本から去るから開桜社にはいくら迷惑かけても良いとでも思ったか? 残念ながら、この狭い世界、ましてや狭すぎるクラシック界ではな、お前のやったことは恥知らずの所行にしか過ぎない」
春希「しかし、自分はかずさを…」
麻理「守りたかった。それはわかる。しかし、冬馬かずさをピアニストとして活動させる為には最悪だったと言わざるを得ない。
 迷惑は巡り巡って自分の所に降りかかるものだ。アンサンブルが社内から槍玉に挙げられ、これを機にと社内のメセナ活動でアンサンブルの持ってた枠を奪う動きが起きた。そんなドタバタは社外にも伝わった」
春希「……」
麻理「最初の一年半、全く仕事取れなかっただろ? お前の語学力とかの問題じゃないぞ。英語もできるんだし」
春希「な、何かあったんですか?」
麻理「冬馬曜子オフィスは味方も敵も多かった。そんな中、ウィーンで有力なある日本人が『冬馬かずさを使うのは避けたい』と言った。開桜社とのトラブルを避けたいがために。たったそれだけの事だ」
春希「え?」
麻理「企業同士のトラブルなんて『もう仲直りしましたよ』ということを知らしめるのが一番難しいんだぞ。
 まして、お前たちが日本の仕事避けまくってるから尚更だ」
春希「そ、そんな…」
麻理「あの狭い業界、仲違いしても結局すぐ仲直りしないといけないし、人と仲違いしたらそれ以外の人間から避けられまくるから気をつけろ」
春希「はい…」
麻理「ウィーンの件の人物も悪い人じゃない。甘いもの好きだから、金沢『やまむら』の甘納豆でも買って持って行け」
春希「何から何まで…ありがとうございます」
麻理「本来、新人が取り引き相手に引き抜かれたといっても、双方了解済みの話なら歓迎しても良いくらいの話なんだぞ。新たな方面へのパイプとして期待できるわけなんだからな。
 了解の有無で婿入りと駆け落ちくらいの雲泥の差がある」
春希「そ、そうは言われてましても…」
麻理「まあ、お前の場合はこれからだ。悪いが、期待かけていた分まで働いてもらう。ビジネス相手としてな。
 お前は私が育てあげた男だ。逃げられると思うなよ」
春希「…楽しそうですね。麻理さん」
麻理「当たり前だ。曜子社長の粘り強さのおかげでやっと社の関係も戻り、お前とこうして会えるようになったからな。
 グラフも『ブラックだから人が逃げた』とあらぬ誹りを受けている。しっかり拭ってもらわないとな」
春希「(十分ブラックですよ…)」
麻理「これからもよろしくな。北原」
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  • 2015/11/05(木) 02:39:16.67
こんな俺でもLOVEでできてしまった
もうダメだ...orz マジで緩いよ
3Jの反響が凄まじかった

022it.■■t/d11/477star.jpg
■■をneに変更する
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  • 2015/11/05(木) 22:26:49.36
ママンでもいいや(´・ω・`)
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  • 2015/11/06(金) 22:32:32.83
暗いSSが多いから明るいSSも貼ろうぜ
色々なSSを見比べるのも偶には良いものだ

 結婚して一年目の二月七日。
 誕生日の一週間前のこの日になって初めて、雪菜がこんな提案をしてきた。

雪菜「ねぇ、春希くん。新曲の歌詞、できてる?」
春希「……は?」
雪菜「は、じゃないよ。もう一週間前だよ?
   わたしたちのいつものペースから考えて、そろそろ合宿に入らないといけないと思う!」
春希「や、だから」
雪菜「わたし、ちゃんとかずさには連絡してあるからね。それでもうスタジオだって予約してあるんだから。
   準備万端だよ? ふふっ、これも春希くんの影響かなぁ。
   あとは春希くんが歌詞を作って、かずさが曲を作って、練習するだけ!」
春希「いやそれ、『だけ』じゃなくて曲作りのほぼ全部……」
雪菜「さ、頑張ろう? わたしの誕生日までもう時間ないんだよ?」
春希「…………」

 ……重ねて言うが、雪菜がこんな提案をしたのはこの日が初めてである。
 そして、これは俺自身もまぁどうでもいいといえばいいのだが、もう一つだけ。
 武也も仲間に入れてやってくれ。

 ◆◆
 とはいえ、新妻のやりたいことをできる限り応援するのは夫の務めではないだろうか。
 そう脳内で言い訳して、バックパックにこれでもかとばかり食品や生活用品や、そういったものを詰める。
 そしてそんな都内に不似合いな大荷物を担いでスタジオに行くと、既に待機していたかずさとの挨拶も
 そこそこに早速歌詞作りに入った。
 テーマは家族。愛しのお姫様のご指定だった。

春希「家族。家族か……」
かずさ「なんだ、雪菜との理想の家庭像でも想像してるのか?」
春希「あー。それもあるなぁ」
かずさ「どうせイチヒメニタローがどうとか、家は一戸建てもいいけどリスクを考えると、とか。
    そんなしょうもないことばっかりなんだろ?」
春希「そ、それのどこが悪いんだよ!
   どこかの誰かみたいにそれ一本で勝負できるものがないんだから仕方ないだろう。
   ……それより一姫二太郎なんて言葉、よくお前が知ってたな」
かずさ「う、うるさいんだよ委員長は! ったく、相変わらず安定志向な奴め。
    これじゃ、出来上がる歌詞も面白みがなさそうだ」
春希「いいだろ本職じゃないんだから……。そんなこと言うくらいならお前は雪菜と遊んでろ。
   そうだな、歌のお兄さんとお姉さんごっこがいいんじゃないか?」
かずさ「誰がお兄さんだ!」
春希「先回りして怒んなよ!」

 何故だろう。スタジオに入ると精神年齢まで高校時代に戻るような気がする。
 純粋に騒いでいられたあの頃と、色々――なんて言葉で片付けたら雪菜に申し訳なくなるくらいの頃。
 そしてうちの親まで雪菜が篭絡した後で、結婚。
 ……本当に、愛すべき妻だ。
 かずさが廊下に出て行くのを見届け、呟いた。
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  • 2015/11/07(土) 09:36:26.77
アクアプラス人気投票で圧倒的でワロタ
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  • 2015/11/07(土) 14:36:42.21
そんなのやってたんだな
不正とかでおかしな事にならないと良いけど
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  • 2015/11/07(土) 15:08:36.69
アクアプラスのHPにログインしなきゃ投票できないようだから大丈夫なんでね?
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  • 2015/11/09(月) 00:27:40.28
フリアドでアカウントいくらでも作れるんだから
ログイン認証程度じゃ票をいくらでも入れられる
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  • 2015/11/09(月) 06:52:36.91
「脳のここの部分に腫瘍がありますね。最近、頭痛を感じた事は?」

「いいえ…」

 春希はそう答えた。しかし、実のところ慣れない異国での激務で身体に不調を感じることは頻繁であったので、最後に頭痛に襲われたのはいつかなど覚えてはいなかった。

「浸潤が激しく、悪性である疑いが高いです。摘出手術が困難な箇所ですが…化学療法や放射線治療もあります。希望を持って治療を続けて下さい…」

「はい…」

 誰にも相談できない。特にかずさには…

◆◆ 

「ただいま」

「遅いぞ、春希」
 玄関のドアが開き、片付けのできないかずさの待っていた家からはカビと生乾きの洗濯物の匂いがした。

「誰の尻拭いで遅くなったと思っているんだ?」
「あたしの尻を追っかけるしつこい記者を追い払うのも春希の仕事だろう?」

 気怠い身体を引きずって帰って来ても玄関で待つのは憎まれ口。そんな生活を今まで続けてきた。

 医者から言われた事が頭の中で泥色の渦をまく。何も考えたくない。休みたい。
「今日は疲れたよ。明日も早いしもう…」

 しかし、そんなささやかな望みさえ、我が侭放題に育てられた愚妻は許してくれない。
「3日も待ったんだぞ」

 かずさがナメクジのように腕をからめてくる。胃の底に生ぬるい鉛を流し込まれたような気分だ。

 眠い。この腕を払って眠ることができればどんなにか楽だろう。

 ベッドを一つにするんじゃなかった…
 逃げ道など最初からない。首筋に湿った唇が押しあてられる。
 鈍い悪寒が背筋をこわばらせた。

 流しには腐臭をまとわりつかせた食器が積み上がっていた。
 明日になればさらに耐えがたい臭いを放つだろう。

 玄関でしっかりと靴を拭わずに部屋に入ってくれるものだから部屋が砂ぼこりくさくなる。
 脱ぎ捨てられた服や空のワインボトルが床に散らばっているのなんてもうご愛嬌だ。

 子供がいなくて良かったと心底思った。

 吐き気をこらえつつ洗ってあるものと思しきグラスを一つ取り水でよくすすいだ上で、冷蔵庫から炭酸水のボトルを取り、注いで飲む。
 まずい
 だが、苦味すら感じるほどの硬度の水道水より遥かにマシだった。

 紅茶でも沸かそうかと電気ポットを見て舌打ちする。
 ものぐさなことに、電気ポットに直接紅茶の葉をぶち込んで、飲み終わってそのまま放置していたのだろう。
 電気ポットの中には2日前の紅茶の葉が黒っぽいカビと共に鎮座していた。

「何をしてるんだ? 早くしろよ」
 急かすかずさを無視してゴミバケツにカビだらけの紅茶の葉をぶち込んだ。

 居間のテーブルの上には固まった極彩色の脂を浮かべたカップラーメンの容器が整列している。
 もう嗅覚は麻痺していたが、まとわりつく不快感はどうにもならない。

 居間から逃げるように寝室に入り、こぼれたワインのシミのついたベッドに手をついた。
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  • 2015/11/09(月) 23:10:34.42
・取材後

春希「……」
麻理「ふむ。まあ、固くなるな。もう上司でも部下でもないのだからな。
 事情は曜子社長から聞いた。私はお前が選んだ道を肯定したり否定するつもりはない」
春希「…ありがとうございます」
麻理「だが、お手並みは最悪だ」
春希「!?」
麻理「北原、お前は冬馬かずさを助けたいのか?」
春希「な!? 助けたいに決まっています」
麻理「助けたいがために開桜社にも何も語らなかった。そうか?」
春希「はい…」
麻理「全く、これほど先の見えてない男だとは思ってなかったな」
春希「!?」
麻理「確かに、一時のマスコミの興味本位の報道から免れることはできたな。そのために自らの退社理由を隠し、冬馬かずさが日本を去ることもひた隠しにし続けた」
春希「はい…」
麻理「どうなったと思う?」
春希「ご迷惑おかけしました…」
麻理「…全くわかってないようだから説明しておこう。お前たちの出国から一週間足らずで冬馬かずさがお前と共にウィーンにいることが知れた。
 すぐに事の次第も明らかになった。
 大変だったよ。
 浜田やアンサンブル編集長は矢面に立たされたし、冬馬曜子オフィスと我が社の関係は最悪になった」
春希「そ、それは…」
麻理「新人一人やめた程度と思ったか? 残念ながらお前はただの新人どころかかなりの有望株だった。だから期待もコストもかけていた。
 例えすただの新人でも取り引き相手からの無断引き抜きなんて言語道断の掟破りだ。
 日本から静かに去るために誤情報流すのもな。日本での活動を支援するために方々回っていたアンサンブル編集長がどんな目に遭ったか想像できるか?」
春希「す、すいません…」
麻理「日本から去るから開桜社にはいくら迷惑かけても良いとでも思ったか? 残念ながら、この狭い世界、ましてや狭すぎるクラシック界ではな、お前のやったことは恥知らずの所行にしか過ぎない」
春希「しかし、自分はかずさを…」
麻理「守りたかった。それはわかる。しかし、冬馬かずさをピアニストとして活動させる為には最悪だったと言わざるを得ない。
 迷惑は巡り巡って自分の所に降りかかるものだ。アンサンブルが社内から槍玉に挙げられ、これを機にと社内のメセナ活動でアンサンブルの持ってた枠を奪う動きが起きた。そんなドタバタは社外にも伝わった」
春希「……」
麻理「最初の一年半、全く仕事取れなかっただろ? お前の語学力とかの問題じゃないぞ。英語もできるんだし」
春希「な、何かあったんですか?」
麻理「冬馬曜子オフィスは味方も敵も多かった。そんな中、ウィーンで有力なある日本人が『冬馬かずさを使うのは避けたい』と言った。開桜社とのトラブルを避けたいがために。たったそれだけの事だ」
春希「え?」
麻理「企業同士のトラブルなんて『もう仲直りしましたよ』ということを知らしめるのが一番難しいんだぞ。
 まして、お前たちが日本の仕事避けまくってるから尚更だ」
春希「そ、そんな…」
麻理「あの狭い業界、仲違いしても結局すぐ仲直りしないといけないし、人と仲違いしたらそれ以外の人間から避けられまくるから気をつけろ」
春希「はい…」
麻理「ウィーンの件の人物も悪い人じゃない。甘いもの好きだから、金沢『やまむら』の甘納豆でも買って持って行け」
春希「何から何まで…ありがとうございます」
麻理「本来、新人が取り引き相手に引き抜かれたといっても、双方了解済みの話なら歓迎しても良いくらいの話なんだぞ。新たな方面へのパイプとして期待できるわけなんだからな。
 了解の有無で婿入りと駆け落ちくらいの雲泥の差がある」
春希「そ、そうは言われてましても…」
麻理「まあ、お前の場合はこれからだ。悪いが、期待かけていた分まで働いてもらう。ビジネス相手としてな。
 お前は私が育てあげた男だ。逃げられると思うなよ」
春希「…楽しそうですね。麻理さん」
麻理「当たり前だ。曜子社長の粘り強さのおかげでやっと社の関係も戻り、お前とこうして会えるようになったからな。
 グラフも『ブラックだから人が逃げた』とあらぬ誹りを受けている。しっかり拭ってもらわないとな」
春希「(十分ブラックですよ…)」
麻理「これからもよろしくな。北原」
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  • 2015/11/09(月) 23:55:51.64
『冬馬かずさ、急死

 2月14日、ピアニストの冬馬かずさ(28)が現在活動拠点としているウィーンの病院で亡くなった。
 1月末に行われた野外コンサート期間中に演奏を行ったことで体調を崩し、その後の活動の強行で肺炎を引き起こし、入院時には既に手術や投薬治療も間に合わない程弱っていたという。
 彼女の所属する冬馬曜子オフィスでは、故人の葬儀をウィーンで行った後、遺骨を日本に送り、社長である故人の母冬馬曜子が引き取る流れになっているという。
 冬馬かずさがウィーンでの活動を始めたのは……』

「申し訳ありません!」

 北原春希がソファーにも腰掛けず、床に這いつくばるようにして深々と土下座を繰り返した。そんな春希を工藤美代子は向かいのソファーの後ろでただオロオロと見詰めているだけだった。

「あなたの責任じゃないわよ……春希君」

 そしてその向かいのソファーに座っていた女性、冬馬曜子――今の春希の義母――は、思い掛けない形での五年ぶりの再会の場で、それこそ母親の眼差しと声で春希を優しく包み込んだ。

「でも、でも俺、あいつを、かずさを……」
「だからそれは、あなたの責任じゃない。あの子の自己責任よ」
「それだって、全部俺が背負うものだったのに。あいつの全てを守るはずだったのに」
「……そのことで、あの子はあなたに恨み言をぶつけた?」

 ハッとしたかのように春希は顔を上げた。曜子の顔は娘を失った母親とは思えない程に穏やかだった。

『かずさ、しっかりしろ!』
『春希……情けない顔、するな』
『でもお前、このままじゃあ』
『何を勘違いしてるかは……知らないが、あたしは……幸せだったよ』
『過去形かよ!俺たちまだこれからじゃないのかよ!?』
『春希……ありがとうな』
『止めろ!そんな言葉、お前から聞きたくない!』
『……』
『……かずさ?』
『……あ、あ……』
『かずさぁ!』

「あなたが何もかも捨てて自分の側にいてくれたんだもの。あの子は幸せだったと思うわ、きっと」
「でも、俺はかずさを守れなかった。あいつを今以上に幸せにできなかった。
 あいつが本当に幸せになる道を、永遠に閉ざしてしまった……」

 向かい合ったソファーの間に置かれたテーブルの上、かずさの死が掲載された新聞が開かれている。既に日本でもこのことは公にされているのかと、春希の心は更なる重しに圧し掛かられた。

「でもありがとう。わたしはもうこんな身体だから、あなたがかずさの遺骨や遺品を持って来てくれて、正直感謝してる」
「……本当に、ごめんなさい」
「いいのよ。あの子だってきっと後悔はしていない。
 むしろ、あなたに辛い思いをさせてしまってごめんなさい」
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  • 2015/11/09(月) 23:57:20.48
・ブダペストのコンサート会場控え室

かずさ「テレビでもつけるか。(ぷち)あれ? 言葉がわからないな。そういや、今いる国はどこだったっけ?」
春希「ハンガリーだよ。なんで滞在中の国名を忘れるんだ?」
かずさ「春希についていってるだけだし、列車でいくつも国境またげば自分のいる国もわからなくなるさ」
春希「一つしか国境またいでないから。自分の住んでる国の隣国くらい覚えろ」
かずさ「ハンガリーってオーストリアの隣だったのか…」
春希「はぁ…。お客様がどこの国の人かぐらいわかっておいてほしかったな」
かずさ「関係ない。ハンガリー語で演奏する訳じゃない。ピアノは万国共通だ。それに、どうせ演奏して帰るだけなんだから、ハンガリーでもアメリカでも同じだ」
春希「……」
かずさ「なんだ? 旅行気分で来た方が良かったか?」
春希「いや。悪かったな。行きたい所にも連れて行ってやれず、窮屈な思いばかりさせて」
かずさ「何を今更…あたしは行きたい所なんてないから春希に言われるがままにどこにでも行くだけだ。
 春希こそ…」
春希「何だ?」
かずさ「春希こそ、日本に帰りたければ、ちょっとぐらい帰ってもいいんだぞ」
春希「なっ…!?」
かずさ「ちょっとぐらいの留守番は慣れてるさ。春希はあの人と打ち合わせするためとか、何とでも理由つけて行けない事はないだろう? あたしは雪菜たちとあんな事になって帰れないが、春希は雪菜とも一度話してるし、何より春希、一度日本に帰りたいんだろ?」
春希「な、何言ってるんだ、かずさ!? …結婚式であんな事になったのは曜子さん任せにしてた俺が悪いんだし、仕事の打ち合わせは電話で済んでいる。何より…」
かずさ「なあ、春希。あたしは春希に窮屈な思いさせていないか?」
春希「…もうよそう。この話は」
かずさ「…うん」
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  • 2015/11/10(火) 05:07:15.95
次スレ

【WHITE ALBUM2】冬馬かずさスレ 砂糖59杯目 [転載禁止](c)bbspink.com
http://nasu.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1447098546/
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  • 2015/11/10(火) 05:34:39.49
春希 「驚いたなぁ。かずさにそんな人がいたなんて」
曜子 「…あまり動揺してくれないのね」
かずさ 「こういう男だ。春希は」
春希 「いやいや。驚いていますよ。あんなに曜子さんに仕事漬けにされていた上に、俺たちと会ったときもそんな浮いた様子一つもありませんでしたから」
かずさ 「そんなの隠していたに決まってるじゃないか」
春希 「そりゃ、自分みたいなマスコミの記者に話すなんて日本全国に広めてくださいって言っているみたいなものだしな。
   でも、祝福してくれる人もたくさんいると思うぞ。俺もそうだし」
かずさ 「そういう意味じゃない。ったく」
春希「?」
曜子 「…まあ、いいわ。ともかく、かずさが選んだ事だし。私みたいな趣味の悪い女がとやかく言える話じゃないわね」
春希 「それで、相手の人ってどんな人なんですか?」
かずさ 「橋本健二さん」
春希 「え、えと。どんな人かって質問なんだけど」
かずさ 「な!? お前はアホか?
   なんで今を時めく若手ナンバーワンピアニストの健二さんを知らないんだ? 仮にも記者のはしっくれだろ? お前は!」
春希 「え、えーと。かずさに比べて特徴ない人だから…」
曜子 「おやおや。女王杯始め数々の賞を取った身長2m弱の巨漢の化け物ピアニストが『特徴ない』なんて、まぁ。
   ま、胸の大きさなら私の娘も十分化け物級だけど」
かずさ 「健二さんを化け物呼ばわりするな。あの人はああ見えてそういうのすごく気にする人なんだ」
春希 「はは。無知ですいません」
曜子 「ま、ギター君はできないと自分で決めちゃった線からは本当に努力しないコだもんね。
   ギターの腕にせよ、クラシック知識にせよ」
春希 「…返す言葉もありません」
かずさ 「ふん」
曜子 「ま、人間手の届かない才能目差した努力はしない方がいいわよ。
   幸せにできるのはその手の届く人だけ。好きなだけ崇拝してるだけでは、2、3年は良くても結局5年10年はうまくいかないものよ」
かずさ 「ふん。とっかえひっかえした経験者の言葉かい?」
曜子 「ええ。だから、橋本さんとの縁は本当に歓迎しているわ。
   あなたのような、ピアノだけのちょっといびつに育ってしまった娘を、その才能を、崇拝でもなく知識としてでもなく、同じ才能を持ち共に歩んで行ける存在として受け止めてくれる人と出会えたんだから」
かずさ 「ふふん♪」
春希 「良かったですね」
曜子 「おや? あなたの『良かった』は『フった女が幸せに収まりそうで良かった』の意味じゃなくて?」
春希 「ぐ…」
かずさ 「ちょっと! 母さん! それはやめろよ!」
曜子 「あらあら。ギター君、わかりやすい表情。ひょっとしてかずさがこの先独身だったらどうしようとか気に病んでくれてた?」
春希「……」
かずさ 「フフン。残念だったな」
春希 「い、いえ。…そ、そういえば、お二人の馴れ初めなど聞かせていただけると…」
曜子 「かずさの方からよ。もう、猛烈アタック。そうしなきゃダメって経験が生きたわね」
かずさ 「(赤面)ちょっと! 母さん!」
春希 「はは…普段のかずささんからはなんだか想像できませんね」
曜子 「冬馬家の女の性欲なめんな。男ナシで20代の盛りを乗り切れるワケないでしょ」
春希 「……」
かずさ 「…あんたの血を受け継いでこれほど後悔した日はないな」
曜子 「ま、そういうワケで。明日の記者会見までは口外禁止でね」
春希 「いえいえ。ありがとうございました」
曜子 「じゃ、またね」
かずさ 「またな、春希。…あ、そうだ。もうひとつだけ教えてやる。耳を貸せ。春希」
春希 「なんだい? かずさ」
かずさ 「(ゴニョゴニョ)」
春希 「…(がくっ)…そりゃ、向こうは身長2mで…(ぶつぶつ)」
かずさ 「じゃあな。春希」


曜子 「さっきギター君に何吹き込んだの? カレ、心へし折られたような表情してたわよ」
かずさ 「…いや、健二さんの方が大きくて固かったって」
曜子 「…えげつない子ね。さすが私の娘ね」
かずさ 「いや、自分でもえげつないと思うけど、あたしやっぱり母さんの娘だよ」
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  • 2015/11/10(火) 14:59:43.24
>>352
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  • 2015/11/11(水) 06:24:06.19
>>352
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  • 2015/11/12(木) 01:33:17.10
かずさ犬
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  • 2015/11/12(木) 22:33:11.72
おいおいw
10〜30スレ目までスレ立てしまくってたものだけどいつのまにかここssスレになってたのかよw
人気投票の話題してのかと思って久しぶりに来てみたのにw
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  • 2015/11/12(木) 22:55:52.54
荒らしがSS投下して容量オーバーになるよう荒らしてんだよ
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  • 2015/11/12(木) 23:03:04.76
>>358
へー、不人気雪菜派の荒らしが頑張ってるのかw
いつまでもいつまでたっても不人気なのが証明されて涙を誘うけどそんなことしてたとはw
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  • 2015/11/12(木) 23:26:37.64
かずさは人気者だから荒らされるんだね
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  • 2015/11/13(金) 00:00:25.61
やめとけ
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  • 2015/11/13(金) 05:20:54.63
春希 「驚いたなぁ。かずさにそんな人がいたなんて」
曜子 「…あまり動揺してくれないのね」
かずさ 「こういう男だ。春希は」
春希 「いやいや。驚いていますよ。あんなに曜子さんに仕事漬けにされていた上に、俺たちと会ったときもそんな浮いた様子一つもありませんでしたから」
かずさ 「そんなの隠していたに決まってるじゃないか」
春希 「そりゃ、自分みたいなマスコミの記者に話すなんて日本全国に広めてくださいって言っているみたいなものだしな。
   でも、祝福してくれる人もたくさんいると思うぞ。俺もそうだし」
かずさ 「そういう意味じゃない。ったく」
春希「?」
曜子 「…まあ、いいわ。ともかく、かずさが選んだ事だし。私みたいな趣味の悪い女がとやかく言える話じゃないわね」
春希 「それで、相手の人ってどんな人なんですか?」
かずさ 「橋本健二さん」
春希 「え、えと。どんな人かって質問なんだけど」
かずさ 「な!? お前はアホか?
   なんで今を時めく若手ナンバーワンピアニストの健二さんを知らないんだ? 仮にも記者のはしっくれだろ? お前は!」
春希 「え、えーと。かずさに比べて特徴ない人だから…」
曜子 「おやおや。女王杯始め数々の賞を取った身長2m弱の巨漢の化け物ピアニストが『特徴ない』なんて、まぁ。
   ま、胸の大きさなら私の娘も十分化け物級だけど」
かずさ 「健二さんを化け物呼ばわりするな。あの人はああ見えてそういうのすごく気にする人なんだ」
春希 「はは。無知ですいません」
曜子 「ま、ギター君はできないと自分で決めちゃった線からは本当に努力しないコだもんね。
   ギターの腕にせよ、クラシック知識にせよ」
春希 「…返す言葉もありません」
かずさ 「ふん」
曜子 「ま、人間手の届かない才能目差した努力はしない方がいいわよ。
   幸せにできるのはその手の届く人だけ。好きなだけ崇拝してるだけでは、2、3年は良くても結局5年10年はうまくいかないものよ」
かずさ 「ふん。とっかえひっかえした経験者の言葉かい?」
曜子 「ええ。だから、橋本さんとの縁は本当に歓迎しているわ。
   あなたのような、ピアノだけのちょっといびつに育ってしまった娘を、その才能を、崇拝でもなく知識としてでもなく、同じ才能を持ち共に歩んで行ける存在として受け止めてくれる人と出会えたんだから」
かずさ 「ふふん♪」
春希 「良かったですね」
曜子 「おや? あなたの『良かった』は『フった女が幸せに収まりそうで良かった』の意味じゃなくて?」
春希 「ぐ…」
かずさ 「ちょっと! 母さん! それはやめろよ!」
曜子 「あらあら。ギター君、わかりやすい表情。ひょっとしてかずさがこの先独身だったらどうしようとか気に病んでくれてた?」
春希「……」
かずさ 「フフン。残念だったな」
春希 「い、いえ。…そ、そういえば、お二人の馴れ初めなど聞かせていただけると…」
曜子 「かずさの方からよ。もう、猛烈アタック。そうしなきゃダメって経験が生きたわね」
かずさ 「(赤面)ちょっと! 母さん!」
春希 「はは…普段のかずささんからはなんだか想像できませんね」
曜子 「冬馬家の女の性欲なめんな。男ナシで20代の盛りを乗り切れるワケないでしょ」
春希 「……」
かずさ 「…あんたの血を受け継いでこれほど後悔した日はないな」
曜子 「ま、そういうワケで。明日の記者会見までは口外禁止でね」
春希 「いえいえ。ありがとうございました」
曜子 「じゃ、またね」
かずさ 「またな、春希。…あ、そうだ。もうひとつだけ教えてやる。耳を貸せ。春希」
春希 「なんだい? かずさ」
かずさ 「(ゴニョゴニョ)」
春希 「…(がくっ)…そりゃ、向こうは身長2mで…(ぶつぶつ)」
かずさ 「じゃあな。春希」


曜子 「さっきギター君に何吹き込んだの? カレ、心へし折られたような表情してたわよ」
かずさ 「…いや、健二さんの方が大きくて固かったって」
曜子 「…えげつない子ね。さすが私の娘ね」
かずさ 「いや、自分でもえげつないと思うけど、あたしやっぱり母さんの娘だよ」
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  • 2015/11/13(金) 05:22:01.10
『冬馬かずさ、急死

 2月14日、ピアニストの冬馬かずさ(28)が現在活動拠点としているウィーンの病院で亡くなった。
 1月末に行われた野外コンサート期間中に演奏を行ったことで体調を崩し、その後の活動の強行で肺炎を引き起こし、入院時には既に手術や投薬治療も間に合わない程弱っていたという。
 彼女の所属する冬馬曜子オフィスでは、故人の葬儀をウィーンで行った後、遺骨を日本に送り、社長である故人の母冬馬曜子が引き取る流れになっているという。
 冬馬かずさがウィーンでの活動を始めたのは……』

「申し訳ありません!」

 北原春希がソファーにも腰掛けず、床に這いつくばるようにして深々と土下座を繰り返した。そんな春希を工藤美代子は向かいのソファーの後ろでただオロオロと見詰めているだけだった。

「あなたの責任じゃないわよ……春希君」

 そしてその向かいのソファーに座っていた女性、冬馬曜子――今の春希の義母――は、思い掛けない形での五年ぶりの再会の場で、それこそ母親の眼差しと声で春希を優しく包み込んだ。

「でも、でも俺、あいつを、かずさを……」
「だからそれは、あなたの責任じゃない。あの子の自己責任よ」
「それだって、全部俺が背負うものだったのに。あいつの全てを守るはずだったのに」
「……そのことで、あの子はあなたに恨み言をぶつけた?」

 ハッとしたかのように春希は顔を上げた。曜子の顔は娘を失った母親とは思えない程に穏やかだった。

『かずさ、しっかりしろ!』
『春希……情けない顔、するな』
『でもお前、このままじゃあ』
『何を勘違いしてるかは……知らないが、あたしは……幸せだったよ』
『過去形かよ!俺たちまだこれからじゃないのかよ!?』
『春希……ありがとうな』
『止めろ!そんな言葉、お前から聞きたくない!』
『……』
『……かずさ?』
『……あ、あ……』
『かずさぁ!』

「あなたが何もかも捨てて自分の側にいてくれたんだもの。あの子は幸せだったと思うわ、きっと」
「でも、俺はかずさを守れなかった。あいつを今以上に幸せにできなかった。
 あいつが本当に幸せになる道を、永遠に閉ざしてしまった……」

 向かい合ったソファーの間に置かれたテーブルの上、かずさの死が掲載された新聞が開かれている。既に日本でもこのことは公にされているのかと、春希の心は更なる重しに圧し掛かられた。

「でもありがとう。わたしはもうこんな身体だから、あなたがかずさの遺骨や遺品を持って来てくれて、正直感謝してる」
「……本当に、ごめんなさい」
「いいのよ。あの子だってきっと後悔はしていない。
 むしろ、あなたに辛い思いをさせてしまってごめんなさい」
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  • 2015/11/13(金) 05:23:45.32
5/10(月)冬馬宅地下練習スタジオにて
 フランツ・リスト作曲、詩的で宗教的な調べより第10曲…Cantique d'amour『愛の賛歌』
 
 かずさはそれを奏でたつもりだった。しかし…
 奏で終わった途端に押しつぶされそうな罪悪感が彼女を襲った。罪悪感に重みがあったなら彼女の身体は鍵盤に叩きつけられて二度と起き上がることはなかっただろう。
 
 ぱん、ぱん、ぱん…
 練習スタジオ入口から曜子が拍手をしつつ入ってくる。その表情は笑顔に満ちていた。
「素晴らしい出来じゃない、かずさ。こんな演奏、わたしには逆立ちしてもできっこないわよ」
 母親の言葉には痛烈な皮肉が混じっていた。
 
「わかっているよ、母さん。今の演奏は…」
 弱々しい娘の口応えを遮るように曜子は追撃を続ける。
「ええ、出来は素晴らしいわよ。
 賛否両論あるだろうけど、今の演奏は全盛期のわたしでも敵いっこない。
 たぶん、ウィーンで値段をつけさせたら倍の値段がつくわよ。
 フランツ・リスト作曲ザイン・ヴィゲンシュタイン侯爵夫人に献呈された詩的で宗教的な調べより第10曲…」
「もうやめてくれ。母さん…」
 娘の懇願に耳を傾けることなく、母親はとどめの言葉を撃ちこむ。
「『愛の《怨嗟》』ってね」
「っ…!」

 やはり、母親には全部見抜かれていた。
「もぉ、すっごいわたし好み。
 オンナの秘めておきたい部分がもぉ『これでもかっ』ってぐらい伝わってきて、同じオンナに生まれてきたこと懺悔したくなるぐらい。
 フランツに聞かせたら墓から飛び出してきて、あなたの首を絞めにかかるか、頭を垂れるかのどちらかね。
 まぁ、カレも身に覚えが二つ三つあるコだから後者の方が若干確率高いかな」

 200年前の偉大な先人を元愛人の一人のように看做す発言の方こそ祟られても文句言えないほど不敬極まりない。しかし、かずさは罰を受ける罪人のようにうなだれて口をつぐむ。
 そう、被告人かずさが全く弁明できないほど、今の演奏はどす黒い感情に満ちていた。
 春希を奪った雪菜への嫉妬、自分を捨てて雪菜をとった春希への妄執
 そして…春希を振り向かせる事が出来なかった自分への自己嫌悪

「熱心なのは結構だけど、あまり入れ込みすぎるんじゃないわよ」
 曜子はそう言って練習スタジオから出て行った。

 残されたかずさの口から嘆息とともに男の名が漏れる。
 春希ぃ…
 5年間付き合ってきた慕情を振り切ろうと決意したのが2ヶ月前。
 しかし、心身の隅々まで根を張った感情から容易く免れることなどできるはずもなかった。
 
 冬の終わりにはかずさ、春希、雪菜の3人が心重ねた一瞬があったが、春が来て夏が近づくにつれ、かずさ心の隙間から抑えきれない感情が滲み出てきた。
 忘れるためにピアノを弾けば逆に、自分は今まで春希の事ばかり考えてピアノを弾いてきたのだと思い知らされた。
 かずさのピアノはあたかも鏡のように容赦なく彼女の内面を映し出していた。彼女自身でどうにもならないほどに。

「やっぱり私、母親失格かも」
 曜子は、閉じた練習スタジオのドアの向こうでため息交じりにつぶやいた。
「娘がつらい経験を重ねるたびにピアニストとしての艶を増していくのを見て…喜ばずにはいられないなんて」
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  • 2015/11/13(金) 05:26:30.17
・ブダペストのコンサート会場控え室

かずさ「テレビでもつけるか。(ぷち)あれ? 言葉がわからないな。そういや、今いる国はどこだったっけ?」
春希「ハンガリーだよ。なんで滞在中の国名を忘れるんだ?」
かずさ「春希についていってるだけだし、列車でいくつも国境またげば自分のいる国もわからなくなるさ」
春希「一つしか国境またいでないから。自分の住んでる国の隣国くらい覚えろ」
かずさ「ハンガリーってオーストリアの隣だったのか…」
春希「はぁ…。お客様がどこの国の人かぐらいわかっておいてほしかったな」
かずさ「関係ない。ハンガリー語で演奏する訳じゃない。ピアノは万国共通だ。それに、どうせ演奏して帰るだけなんだから、ハンガリーでもアメリカでも同じだ」
春希「……」
かずさ「なんだ? 旅行気分で来た方が良かったか?」
春希「いや。悪かったな。行きたい所にも連れて行ってやれず、窮屈な思いばかりさせて」
かずさ「何を今更…あたしは行きたい所なんてないから春希に言われるがままにどこにでも行くだけだ。
 春希こそ…」
春希「何だ?」
かずさ「春希こそ、日本に帰りたければ、ちょっとぐらい帰ってもいいんだぞ」
春希「なっ…!?」
かずさ「ちょっとぐらいの留守番は慣れてるさ。春希はあの人と打ち合わせするためとか、何とでも理由つけて行けない事はないだろう? あたしは雪菜たちとあんな事になって帰れないが、春希は雪菜とも一度話してるし、何より春希、一度日本に帰りたいんだろ?」
春希「な、何言ってるんだ、かずさ!? …結婚式であんな事になったのは曜子さん任せにしてた俺が悪いんだし、仕事の打ち合わせは電話で済んでいる。何より…」
かずさ「なあ、春希。あたしは春希に窮屈な思いさせていないか?」
春希「…もうよそう。この話は」
かずさ「…うん」
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  • 2015/11/13(金) 05:29:38.74
「脳のここの部分に腫瘍がありますね。最近、頭痛を感じた事は?」

「いいえ…」

 春希はそう答えた。しかし、実のところ慣れない異国での激務で身体に不調を感じることは頻繁であったので、最後に頭痛に襲われたのはいつかなど覚えてはいなかった。

「浸潤が激しく、悪性である疑いが高いです。摘出手術が困難な箇所ですが…化学療法や放射線治療もあります。希望を持って治療を続けて下さい…」

「はい…」

 誰にも相談できない。特にかずさには…

◆◆ 

「ただいま」

「遅いぞ、春希」
 玄関のドアが開き、片付けのできないかずさの待っていた家からはカビと生乾きの洗濯物の匂いがした。

「誰の尻拭いで遅くなったと思っているんだ?」
「あたしの尻を追っかけるしつこい記者を追い払うのも春希の仕事だろう?」

 気怠い身体を引きずって帰って来ても玄関で待つのは憎まれ口。そんな生活を今まで続けてきた。

 医者から言われた事が頭の中で泥色の渦をまく。何も考えたくない。休みたい。
「今日は疲れたよ。明日も早いしもう…」

 しかし、そんなささやかな望みさえ、我が侭放題に育てられた愚妻は許してくれない。
「3日も待ったんだぞ」

 かずさがナメクジのように腕をからめてくる。胃の底に生ぬるい鉛を流し込まれたような気分だ。

 眠い。この腕を払って眠ることができればどんなにか楽だろう。

 ベッドを一つにするんじゃなかった…
 逃げ道など最初からない。首筋に湿った唇が押しあてられる。
 鈍い悪寒が背筋をこわばらせた。

 流しには腐臭をまとわりつかせた食器が積み上がっていた。
 明日になればさらに耐えがたい臭いを放つだろう。

 玄関でしっかりと靴を拭わずに部屋に入ってくれるものだから部屋が砂ぼこりくさくなる。
 脱ぎ捨てられた服や空のワインボトルが床に散らばっているのなんてもうご愛嬌だ。

 子供がいなくて良かったと心底思った。

 吐き気をこらえつつ洗ってあるものと思しきグラスを一つ取り水でよくすすいだ上で、冷蔵庫から炭酸水のボトルを取り、注いで飲む。
 まずい
 だが、苦味すら感じるほどの硬度の水道水より遥かにマシだった。

 紅茶でも沸かそうかと電気ポットを見て舌打ちする。
 ものぐさなことに、電気ポットに直接紅茶の葉をぶち込んで、飲み終わってそのまま放置していたのだろう。
 電気ポットの中には2日前の紅茶の葉が黒っぽいカビと共に鎮座していた。

「何をしてるんだ? 早くしろよ」
 急かすかずさを無視してゴミバケツにカビだらけの紅茶の葉をぶち込んだ。

 居間のテーブルの上には固まった極彩色の脂を浮かべたカップラーメンの容器が整列している。
 もう嗅覚は麻痺していたが、まとわりつく不快感はどうにもならない。

 居間から逃げるように寝室に入り、こぼれたワインのシミのついたベッドに手をついた。
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