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- 747
- 2016/10/21(金) 02:18:38.54
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>>734
話の本筋からはズレるけど、絵画や音楽が「何かのモチーフを描く」物だった時代に
物語の一場面や、何かの姿を描く事から絵や音楽は自由になれるのか?という運動はあった
現代美術の始まりと言われる
最終的に、デュシャンが便所から外して来た(か新品だったかは忘れた)便器を台の上にゴロリと置いて、
「これは『泉』だ。一見便器に見えるが、便所に設置してないから便器ではない。これをここに置いた俺が泉だと言うのだから泉だ」と、
作家なんて奴等はな、結局のところみんな俺のこれと同じ行為をやっているのだ。あほくさい。と言い放ってチェス選手に転職し、
それ言っちゃったらおしまいだろ、と世界中の芸術家がみんなげんなりするところまで行った
けど、それってメッセージじゃんね?
最初はアートを何物からも自由にする!って始まった現代美術なのに、最終形態は自由どころか意味持っちゃってるじゃんよ
ってところに結局戻ってきた
メッセージを排するという姿勢そのものが何かの意味を持っちゃうから何も描かないのは無理かもね
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