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  • 2012/05/13(日) 05:05:09.74
私が体育の授業が不要だと感じるのは運動が嫌いだからではない。

体育の授業が、運動能力の向上に役に立たないどころか、
『体育の授業が運動能力低下を招き、運動音痴を作る原因』となっているからだ。

体育の授業で運動能力の向上、改善の指針が示されることは全くなかった。
ただ闇雲にやれというだけだ。

そして30才を過ぎて、運動に関する情報を知って愕然とした。

私は、1年くらい前までは体育の授業は、運動能力を向上させるために役に立っていると思っていた。

そして、運動部に入って3年間続けたにもかかわらず
運動音痴が改善されなかったのは生まれつきの個人差のために尽きるだと思っていた。
それが見事に裏切られたのである。
運動音痴の原因の一つが「体育の授業を受けたこと」だったからである。


体育の授業で運動に関する知識を全く教えないどころか
誤った知識を教えているのである。

例えば球技が上達するためには、
体幹の意識・筋肉の連動性・体重移動が重要だそうだ。

体育の授業では、体幹の「た」の文字も出てこなかった。

あと、うまく動くためには筋肉をリラックスさせる必要があるそうだが、

体育の授業では、もっと気張れと、もっと手に力を入れろと
筋肉を硬直させ、一点に力を入れることを指導する。

リラックスしてはいけない、連動して動くべきでないと教えるのだ。


太っていないのにお腹が出ているのは、
大腰筋(だいようきん)というインナーマッスルを鍛える必要があるが
体育の授業では、ただ走ればいい、運動すればいいなどとあいまいなことしか教えない。

海の中に10円玉を投げ込んで、金属探知機もなくくまなく探せと言っているのと同じ。
インナーマッスルなる言葉は30歳をすぎて初めて知った。

運動部に入って、文化部の子よりも運動しているのに、お腹が出ているために運動していない、運動不足だからだといわれた。


準備体操のストレッチは、
体育の授業では、「ストレッチ中踏ん張って呼吸を止めるのがいい」と教わったが
実際は、自然な呼吸で行うべきであるそうだ。

全く逆のことを教えられたのである。

算数で、「1+1=3」と、真顔で教える先生がいれば即問題になり、クビになる。
でも、体育の授業では運動に関する誤った知識をごく普通に教えている。

スポーツジムなどに通い、本を読んで運動に関する知識を知れば知る程、
体育の授業が有害無益なものであると痛感するのである。


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