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  • 2008/09/23(火) 22:43:32
いや、川西池田始発の頃から、夕方の尼港行きはたいがい2連だったと思う。
(おれが見てるのは昭和48年ぐらいからなので、それ以前は知らないけど、
4両というのは見た事がない。あと、朝のは見た事がないので、何両かは知らない。スマソ)
で、客車は2連だが、混合列車になっていて、機関車と客車の間に
貨車が6〜7両(もっとあったのかな)つながってるのがいつもの姿だった。
ただ、貨物の関係だろうけど、客車だけの日もあって
そういう日はなんかちょっと面白くなかった。

地方の国鉄路線なんて見た事もない、町育ちの小学生だから、
混合列車というのが存在するのもこれ見て初めて知ったぐらいで、
旧客全盛の福知山線の中でも、少し特別な存在だった。
塚口へ福知山線見に行った以上、尼港行きは絶対見なくちゃ、みたいな存在。
7連の電車が高速で通過する阪急のガード(三菱のとこ)をくぐっていく姿は、
今から思っても時代が30年ぐらいずれたような感じで、不思議な光景だったな。

子供の時代で、なかなか乗るチャンスはなかったが、そのかわり
ドテカンや金楽寺までは自転車で遠征をかけた。
金楽寺の駅は、日没後は真っ暗で(ホームに照明はあったのかも知れないけど、
ほとんど明るさを感じないような程度だったと思う)、荒れた待合室の印象も
なんか不気味さがあって、廃墟みたいだった。

今から思うと、もっといろいろ写真を撮っておくんだったと思う。

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