-
- 773
- 2012/12/19(水) 23:21:19.66
-
福知山線のルートは宝塚まででも市街地からは外れていたんだ。
でも、それって、沿線人口がもともと少なかったから近代化が大幅に遅れたままだった、と考えるべきなのか、
それとも、福知山線が使い物にならないから周りの宅地開発も進まなかった、と考えるべきなのか?
福知山線中間駅で唯一の全優等停車でみどりの窓口のあった宝塚も、当時はまだまだ人口は少なかったとはいえ、
西谷や波豆の地域の人が大阪に行くには、福知山線をあえて使わず、バスで宝塚まで出て阪急を使っていたというエピソードも聞いたことがあるし。
いずれにせよ、大阪と山陰を結ぶことが大きな目的であって、中間駅は有っても無くてもどうでもいいような存在だったんだろうな。
国鉄は採算性を考慮していなかったし、もっと酷い大赤字ローカル線が問題になっていたから、福知山線は放置していても特段問題にもならなかったのかもね。
このページを共有する
おすすめワード