facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 478
  •  
  • 2011/06/03(金) 02:59:16.28
俺も書くか。

長らく福知山駅東方、山陰本線の踏切「内記稲荷踏切」は有人踏切だった。
福知山線踏切の「女学校下踏切」ともども、よく列車を見にいったな。

福知山駅構内、列車が駅を発車すると、駅構内で警報機がなるんだけど、
山陰本線の列車だと「ケーンケーンケーンケーン」と高い音、
福知山潜の列車だと「カーンカーンカーンカーン」と普通の警報音だった。

一日中、福知山客貨車区の入換えはよく眺めてた。
機関車は、DE15だったりDD15だったり。DE15が後やったかな。
とある時期に入換え機関車ノ後ろに控車ヒ600がぶら下がってた事がある。
用途は知ってたけど、係員が乗ってるは見た記憶がないなぁ。

爺さんの家が駅南側にあった。爺さんの家に行くのに「岸本ガード」って言う
名前のガードをくぐって駅南側に出てた。やたら天井の低い湿っぽいガード。
列車が通過したらものすごい音がしたもんだ。当然、垂れ流しの色んなもんも飛んで来た。
爺さんの家の窓からは福知山客貨車区がよく見えた。
夏休みとかに祖父の家に帰ると、よく朝の散歩に付いて廻ったな。
その当時、廃止になって久しいDD54が、福知山機関区の扇形庫の外れに、
道路に向いて置いてあった。雨ざらしで塗装も褪せてたけど、写真撮ったな。
何で放ってあるンかなと思ってたけど、交通科学館に行く事になって結構びっくり。
散歩コースはあまり憶えてないけど、駅の西側、の陸橋あたりで「いなば」を見送るのが常だった。

福知山駅の南側、全然違う町になったね。当然爺さんの家なんか残ってない。
モロ区画整理の波にのまれてしまった。つまらん町になったもんだ。


ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード