【忍者】戸隠流忍法【忍者】 [sc](★0)
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- カキウチ最弱
- 2015/01/06(火) 18:21:13.62
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カキウチ最弱(笑)
荒巻在日(爆笑)
キャハ身バレ(大爆笑)
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- 3
- 2015/01/07(水) 23:19:57.15
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忍者の剣術を学びたいけどそんなもんあるのかな
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- 2015/01/08(木) 02:18:14.33
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戸隠流以外に流派はどのくらいあるの?
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- 2015/01/09(金) 02:08:30.57
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甲賀忍び 伊賀忍び 根来忍び
甲州透破 風魔乱破
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- 6
- 2015/01/18(日) 14:44:45.05
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忍者鎌術
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- 7
- 2015/01/21(水) 07:14:45.78
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卍手裏剣
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- 8
- 2015/01/21(水) 07:54:39.86
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毒手
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- 9
- 2015/01/21(水) 18:57:14.06
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青山の中太さんて強いの?
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- 2015/02/02(月) 11:59:00.26
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>>9
弱い
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- !omikuji
- 2015/02/15(日) 00:12:57.70
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SMAステーションやってた♪♪♪♪♪♪♪
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- WEBマスター
- 2015/02/16(月) 15:26:44.77
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あそこの弟子の、道場知っているか?
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- 13
- 2015/02/16(月) 20:36:04.23
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>>1
大正時代に捏ち上げた流派だから、伝統のある本物の忍術ではない。
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- 14
- 2015/04/07(火) 21:00:57.89
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>>13
ぜひ、くわしく。
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- 2015/04/16(木) 15:07:25.70
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高松先生の創作武道
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- 2015/04/16(木) 19:02:00.53
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>>15
どっからどこまでが?元ネタは何かしら?
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- 2015/04/17(金) 00:18:31.71
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3000年の歴史があるって宗家が言ってたな
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- 2015/04/17(金) 14:21:43.91
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>>17
誤解されそうな言葉ですね。
さすがに、3000年前からあるという意味ではないでしょう。
すべての流派の歴史を足したら3000年ぐらいになるという意味じゃないかしら?
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- 19
- 2015/05/12(火) 09:51:28.17
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そもそもが高松先生は戸田潜龍軒先生に武道習えないからね・・・
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- 2015/05/12(火) 21:40:25.55
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>>19
どういうこと?
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- 2015/05/13(水) 04:09:15.73
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玄武館って、ここから出たんだっけ?
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- 2015/05/13(水) 23:56:08.23
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【長野】炎に祈り 戸隠信仰を今に伝える「柱松神事」 観衆ら厳粛さを体感/戸隠神社©2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1431527678/
炎に祈り、戸隠神社「柱松神事」 観衆ら厳粛さ体感
長野市戸隠の戸隠神社中社で10日、神仏習合の戸隠信仰を今に伝える「柱松(はしらまつ)神事」があった。
雑木やネマガリダケを四角すいの形に組んだ高さ約2・5メートルの三つの「柱松」を燃やし、
神主や修験者が周りを練り歩いて五穀豊穣(ほうじょう)などを祈った。
3年に1度の行事で、今年は7年目に1度の戸隠神社式年大祭(26日まで)と重なった。
柱松神事は、明治維新まで戸隠山顕光寺奥院(現在の奥社)、中院(中社)、宝光院(宝光社)それぞれで行われていたとされる。
柱松神事を2003年に復活させた際、中社で三つの柱松を燃やすことにした。
この日は、桜が舞う境内に、天狗(てんぐ)の面を着けるなどした神主や修験者らがほら貝を吹きながら到着。
ササの葉で体に熱湯をかける「身そぎの舞」、刀で場を浄める「三剣の舞」の後、柱松に火打ち石で点火した。
赤々と燃え上がる柱の周りを般若心経を唱えながら練り歩き、最後に地元の小学生の女の子が「直会(なおらい)の舞」を披露した。
(引用ここまで 全文は引用元参照)
画像URL:
赤々と燃える柱松の周りを神主や修験者が練り歩いた柱松神事
http://www.shinmai.co.jp/news-image/IP150510TAN00011500028765971.jpg
直会の舞を披露する小学生の女の子たち
http://www.shinmai.co.jp/news-image/IP150510TAN000120000.jpg
引用元:信毎web(信濃毎日新聞)05月11日(月)配信記事
http://www.shinmai.co.jp/news/20150511/KT150510GDI090004000.php
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- 2015/05/20(水) 18:04:29.12
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>>19 戸田潜龍軒先生は明治13年になくなって、高松先生はその4年後に誕生している。
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- 24
- 2015/05/21(木) 08:32:15.39
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高松さんの元ネタは
神戸の高木流と九鬼神流棒術じゃなかったっけ?
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- 2015/05/21(木) 13:20:02.54
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>>23
http://www.genbukan.com/index_shokai_takamatsu.html
によれば、
明治22年 高松寿嗣 生誕
明治42年 戸田眞龍軒正光 死去
あなたの情報と全然違うね。あなたの情報の出典は何かしら?
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- 26
- 2015/05/21(木) 13:27:30.58
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>>24
武神館では、高木流は高木流として教えているし、
戸隠流の内容もよく公開されている。
戸隠流と高木流に多くの共通点が見られるなら、あなたの伝聞はもっともらしいけど、高木流が戸隠流を比較すると、とてもそうは思えないけどね。
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- 2015/05/21(木) 15:36:00.25
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22の情報は、無冥流たらいう、覆面して我流の手裏剣術やってる
うさん臭いおっさんのブログかHPあたりじゃろ
24の情報は、元初見氏の高弟だった種村氏の道場系列のHPだ
無冥流のオヤジは自分がその10倍は胡散臭いのを棚に上げ、高松氏を批判しまくってる奴
自称研究者として、自身の売り込みを目的にしている節があるので、遠巻きにして見るのが吉
※でも、高松氏の主張する伝系が怪しいというのは、昔から有名な話なのである
(高松氏の実力に関しては、当時から本物と高く評価されていたが)
一方、玄武館の武術は、種村氏が武神館で学んだものがベースになっているので
元の伝系が怪しいと言われると、自身も同類扱いされてしまうって訳
故に、戸田氏と高松氏の生年没年の数字データについては、若干修正している
可能性がある
つまり、胡散臭さという点においては、どっちもどっちってこと
ま、忍者は「虚実の間に生きる」事を旨とする訳だから、
ある意味それを実践しているといえるな
事実、戸隠流は実用に耐えうる完成度の高い武術なので、仮に習う気なら
伝系の辺りはミステリアスな雰囲気を醸す為のアクセサリー程度に
考えておけば宜しかろう
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- たっくんby内田理央
- 2015/05/21(木) 15:41:07.04
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【合気道の基本は投げ技+打撃技】
合気道とは、打撃技に投げ技(返し技)をブレンドした格闘技である
合気なので対戦中に当然、相手の腕を掴んで投げ飛ばしたりします。
基本的なモーションは、パンチ、キック、投げ(つかみ技)、ガードの4つ
これは本当に基本中の基本です。とりあえずこれができない事には
必殺技、コンビネーション技に移れません。
いきなり投げ技からできると思ったら大間違いです。
最初は初歩から・・・とりあえずパンチとキックをマスターしましょう
それが終わったら今度はいよいよ投げ技
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- 2015/05/21(木) 15:45:51.49
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確かに初見センセなら、「それも忍術です」ぐらい飄々と言いそう(笑)
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- たっくんby内田理央
- 2015/05/21(木) 15:47:29.26
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合気道道場でよくあるパターン
はじめてやる方へ・・・入門編
門下生
『コーチ!投げ技を教えて頂けないでしょうか。』
合気道師範
『お前何ゆーとんねん!まだやらへんぞそんなもん
まずはパンチとキックからじゃ。』
門下生
『え!?パンチ!?ちょっと待って下さいよ先生。
合気道って投げ技じゃないんですか?』
合気師範
『最終的にはやるよ。でもいきなりやらへんでそんなもん
打撃技(パンチ、キック)をマスターした上で次の行動に移る』
門下生
『え、そうなんですか!僕てっきり投げ技だけをやるのかと・・・。』
合気道師範
『そんなわけないやろ!打撃技もやるに決まってるやろ』
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- たっくんby内田理央
- 2015/05/21(木) 15:48:28.48
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合気師範
『最終的にはやるけど、最初からいきなりやらへんでそんなもん
打撃技(パンチ、キック)をマスターした上で次の行動に移る』
門下生
『え、そうなんですか!僕てっきり投げ技だけをやるのかと・・・。』
合気道師範
『そんなわけないやろ!打撃技もやるに決まってるやろ』
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- たっくんby内田理央
- 2015/05/21(木) 15:49:46.81
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というわけで風間飛鳥を宜しく
彼女を実写にしたらこんな感じですよ
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- 2015/05/21(木) 16:35:10.07
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>>27
あなたも戸田真龍軒と高松寿嗣の接点はなかったと思っていらっしゃるのかしら?
もし、戸田真龍軒と高松寿嗣の接点はなかったとすると、神伝不動流はだれに教わったのか?
高松寿嗣は戸田真龍軒から神伝不動流を習ったことになっている。
神伝不動流は他の伝承もあったみたいだから、戸隠流のように疑念を挟む余地はないでしょう。
神伝不動流を教えてくれた、高木流以外のお師匠さんがいたことは間違い無いと思うけど。
だから、戸田真龍軒の没年が明治13年というのは、誰かの間違いであり、
戸田真龍軒と高松寿嗣の師弟関係はあったと考えた方が、無理が少ないと思うけどね。
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