昔の福岡を語っちゃってん!パート20@九州/まちBBS [machi](★0)
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- 2017/11/05(日) 02:14:02
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昔の福岡の民放の話です。
小学校の社会科見学で、当時南区の高宮にあったTNCの放送会館に行きました。
大牟田線から見えた紅白のツートンカラーの鉄筋コンクリート製のアンテナは極めて珍しいものだったそうです。
スタジオは玄関から入ってすぐのところにあったような記憶があります。
駐車場の止めたバスの後部か斜面の上に突き出していたため、とても怖い想いをしました。
渡辺通りの表通りから少し入ったところにあったRKBは、学校の文化祭で集めた募金を「スマッシュイレブン」の井上悟さんに届けに行きました。
ガラス張りのロビーでトレードマークの口髭の優しい顔で対応して貰いました。
長浜のKBCは大学生になってからラジオ番組の収録やライブの時にスタジオにお邪魔しました。その時は正面玄関からではなく、裏側の守衛室がある職員通用口から入り、事務室が並ぶ廊下を通ってスタジオに入ってました。防犯上良かったんでしょうか?
収録の時に矢野京子アナ、今村洋子アナ、尾上真知子アナ等を見掛けました。矢野アナには憧れがあって、綺麗だなとしげしげと見ていた記憶があります。今どうしているかな?
KBCは他の局よりもよく見ていました。小学校の夏休みだったと思いますが、母と午後の生放送の番組を見ていました。その中に新作下着を紹介するコーナーがあり、薄い下着をつけていたモデルさんのヘアが透けてました。母が「あら、毛が見えとる。」と言ったことを
今でも覚えています。今のようなヘア解禁の時代ではなかったから、重大な放送事故ですよね。蛇足として、その時のMCの補佐をしてたのがまだ若かった松井伸一アナだったと思います。
また、ローカルニュースでは、柳原緑アナがサングラスをかけてニュースを読んだり、少々奇抜な格好をしてたりして、この人何者?と思ってました。ピンキーこと上田敏子さんは旧姓田鍋敏子アナですが、とても地味で一見一般の人のように見えていたので、私が転勤で福岡に戻ってきて、上田敏子さんと田鍋敏子さんとが同じ人とは到底思えませんでした。
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