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  • 2021/03/04(木) 18:48:17
玖珠町の皆さんは伐株山の伝説はよくご存じと思います。
http://kusumachi.jp/kusukanmukashi21.html
http://kusumachi.jp/pg540.html
https://www.town.kusu.oita.jp/351.html
私は最近、この話を知ったのですが、ここで描かれている出来事は、古の昔(縄文時代)、
この周辺に住んでいた人々が阿蘇山の噴火を目撃し、それを代々語り継いでいく過程で
生まれた物語なのではないでしょうか。

阿蘇山は9万年前の大噴火(Aso-4)の後も噴火活動が続き、縄文時代にも大きな噴火が
あったようですが、プリニー式噴火では噴煙柱が高さ数千〜1万メートルにまで吹き上げ
られた後、自らの重みで崩れ落ちることが知られており、その時の気象条件(風向きや風
速)次第では、巨大な樹木が切り倒されるように見えたかもしれません。
大木の影で玖珠の村では陽が当たらずに農作物が育たず、村人が次々に病気になる、と
いうのも長期にわたる噴火活動の影響で説明がつきます。
大樹が切り倒された時に玖珠盆地や日田盆地の湖の土手が切れて水が流出した(日田盆地
がAso-4噴火の火砕流で川がせき止められて湖になっていたのは事実らしい)というのは
噴火の際の地震によるもの、木の先端や葉っぱが長崎や博多まで飛んだのは、噴石や火山
灰がその辺りまで飛ばされた、ということでしょう。

そして、この阿蘇山噴火にまつわる物語が、いつしか地元の伐株山でもそんな事象が
あったに違いない(さすがに当時の人は伐株山が火山ではないことなど知る由もなかった
でしょうから)ということで伐株山の伝説として語り継がれることになったのではないか、
というのが私の仮説です。

もしかして、そんなことはこの伝説を読んだ人なら誰でも思いつくことかも知れないし、
特に目新しい話ではないのかも知れませんが、ネットで検索しても特にそのような言説を
見かけなかったので、このスレで披露させて頂きました。
皆さんはどう思われますでしょうか。

ここまで見た

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