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  • 2013/01/08(火) 02:14:24
>>952
霧島神宮の社伝によれば、鎌倉時代の噴火で社殿を焼失し、社殿を霧島山の東の長尾山に移し東霧島権現(東霧島神社)とした。

島津忠昌がこれを2社に分けた。東社(霧島東御在所両所権現)が現在の霧島東神社、西社(西御在所霧島六社権現)が現在の霧島神宮である。

もともと霧島神宮が焼け霧島神宮は東霧島神宮が引き継いでいたのを
島津忠昌が、2社に分けなければ完全に今でも霧島神宮といえば、東霧島神社こそが霧島神宮だったんだよ。

多分あとから奪った、後ろめたさなのか、地名まで霧島町としたりしたってだけの事だよね。
隣の国に既成事実を作るニダってとこあるだろ、ま、そんなとこだ。。

ここまで見た

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