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  • 2012/04/15(日) 12:45:02
マックの例で、私自身小さな合意をした実感を持ちます。荷物が多くてもマックにいくからです。ほんの小さな合意ですが、
マックのセキュリティコストも警察の防犯対策の程度もこれを背景に決定されます

私の合意は、政治的に無意味でしょうか?


証券取引や会計基準の国際化そのものに利益があるという合意は日本側にはなかったのでしょうか?

橋をかけるばあい、A町にかけるかB町にかけるか、これは利益の引っ張りあいです
。橋をかけない選択もあります。いずれを選択しても、A町B町のどちらかに利益は偏ることは不可避です

もし、かけること自体におたがい利益があるとの合意ができれば、次に妥協が出来ます。妥協がなければだれにも利益が生まれません

そこで問題がおこります。まあまあの利益がおたがいにあるとしても、妥協を拒否するヒトが出ます

自分よりうまいことやってるヤツが出ることが気に入らないという「感情」が、合理的な意思決定を邪魔するのです

ここでは、自分がまあまあ納得のいく選択をしたというのが重要になります。どこかで妥協をしなければ、なにも得ることができないからです

これが政治学でいう「合意の形成」で、この基準と手法を「(公正と言い換えてもかまいませんが)正義」です


「囚人のジレンマ」の説明、これでだいたいあってますよね?



個人的に、「庶民」とはテレビで野球観戦をしながら采配に文句をつけてウサをはらす類のものだと思います。私もプライベートがいそがしくなれば喜んで「庶民」になるつもりでいますから、否定してるわけではありません

ここまで見た

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