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  • 2011/06/24(金) 08:24:59
佐賀市内の道路事情の悪さ(狭い、貫通路線が少ない)を語るとき、前々から戦火に遭っていないことを理由に挙げられていた。
しかし、実際は、「貫通道路」や「中央大通り」、県内の都市計画道路第1号水ヶ江〜片田江交差点を観ても分かるように、道路計画自体に問題があった。

計画した道路ができあがったときには、時の道路事情に照らせば既に狭く、市内を貫通せずに中途半端なものばかりだった。
車両の増加予測を見誤り、右折専用路線の設置や歩道、路側帯の幅員等その時々の新しい道路工学を採用できず、
出来上がったものが、やっと他都市の既存道路並みという行政の発想の悪さ、国からの予算獲得手腕のなさが原因。
戦災がなかったから云々は、そいつらの言い訳だ。

最近のものでは、西部環状4車線は34号まで、北に続く医大通りは区画整理でできたにも拘わらず2車線。
東部環状は枝吉〜牛島間で未だ2車線、警察通りも34号で4車線終わりだ。

貫通させればさせるで、264号堀江通りは国体以降2度の拡幅、それに続く紡績通りは、安易に護国神社前を迂回して佐大通り、東与賀千に直結させた。
おかげで、佐大キャンパスは、東、南に大通りに接して騒々しくなり、清和高校は道路拡幅で移転を余儀なくされた。
近くに佐大、女子短、佐賀女子、清和高、歯科衛生専門学院、美容学院が集まり、せっかく県内一の文教地区を構成し、
近隣道路は今時市内では珍しくなった人通りの多い賑やかさがあったのに、これが台無しとなり、車がびゅんびゅん通りすぎる通りとなってしまった。

紡績通りは、旧道に沿って護国神社前を拡幅して、与賀神社前〜南部バイパスを貫通して東与賀線に接続する新道を造り、
佐大通りは歩道幅の広い2車線の道にすべきだった。
そすればまた、護国神社の盆の英霊供養、与賀神社のえびす大祭も面に出て、特徴ある町づくりができたろうに。

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