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  • 2009/07/23(木) 21:33:50
少し調べていると、下村仁士氏の論文にたどり着いた。『鉄道ジャーナル』2000年6月号に寄稿されている文章だが、ご本人のHPで読むことが出来、福岡地下鉄の成り立ちがよく理解できた。
http://homepage3.nifty.com/shimomura_h/paper/fukuoka_subway.pdf
それによると、当初の3号線は環状鉄道で、以下のようなルートを想定していたようだ。

ー藤崎ー原ー片江ー屋形原ー高宮ー博多駅ー渡辺通1 丁目ー天神(?)ー六本松ー(藤崎に戻る)

片江を通るから福岡大あたりを経由するわけだけど、なぜ、これが今の路線になったのか?、下村仁士氏は、『鉄道ジャーナル』2005年7月号に七隈線についての寄稿をされているので読んでみたいが、HP上では公開されていないようだ。どっかの図書館にはあるかな?

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