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  • 2009/07/17(金) 23:23:46
意外と遅くまであったのだな。高宮の浄水場が古ぼけているのでもっと早かったかと。
内部に入っていたので、あそこの施設が古いのは知っているよ。
窓際のブラインドなんかも全部ボロボロで壊れていたのに放置だったし。
それでも昭和35年築という古さだったとは。
では平尾から移転させるために造られたというわけではないのだな。
高宮が廃止となっても新たに場所を探して移転なのか。浄水場は必要なものだからな。

さて、福岡県は梅雨の大雨で過去に度々水害を出している。6月はそういう意味で鬼門。

昭和28年の大水害では福岡県下の各所で河川の氾濫が起きた。筑後川、那珂川、樋井川など。
相当数の死者も出している。

昭和38年に於いては、市内では室見川、樋井川が氾濫して大きな被害が出た。
当時の早良郡早良町を流れる室見川は自然流れのままで道路は舗装されていなかった。

昭和38年、6月29日の夜半から降りだした雨が、30日未明から土砂降りになった。
午前5時半ごろ、室見川から水が溢れてあっという間に道路の水は膝の高さまできた。
この間、わずか30分ほどの出来事であったという。

昭和38年水害と呼ばれるこの豪雨は、午前0時から7時までの7時間に190?の降雨を記録した。
河川の満潮時と重なり、市内の被害は、死者1名、負傷者4名、家屋全壊14戸、半壊47戸であった。
家屋の他にも橋や農作物、牛、鶏といった家畜が流されるなど多くの被害が発生した。

早良の内野小学校では、氾濫した川が濁流となって校舎を襲い、廊下を砂が埋めし尽くし
木造校舎が崩壊寸前にまでなり再建が必要になった。

その後、河川の護岸建設が実施され、大雨対策のための下水道が整備された。

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