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  • 2018/04/12(木) 15:47:06
全国放送で福岡の場面に切り替わると
よく水上公園から中継していた。

福岡市全図の表紙もチンチン電車や丸っこいバスが走る西大橋から東側の花の関ビルや日活ホテルの彩色写真だった。

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  • 343
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  • 2018/04/12(木) 20:03:18
花の関ビルの屋上の日立のネオン看板がシンボルね>>342
ん?花の関ビルの廊下?そんなガラス表示なかったぞ?見間違いでは?>>341

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  • 344
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  • 2018/04/12(木) 21:00:04
>>343
何階かは忘れたけど、廊下の東の奥。
人の気配はなくて、レコードのターンテーブルなんかが置かれていた。
ラジオのスタジオみたいに狭かったよ。
窓がなくて
人が3、4人入る位で物置のようなっていた。
子会社が扉の表示を昔のまんまにしていたんだろうか?

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  • 345
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  • 2018/04/12(木) 22:43:37
那珂川沿いの博多ライオンも解体されたね。
サッポロビールのネオン

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  • 346
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  • 2018/04/12(木) 23:51:10
>>344
いつ頃の話?

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  • 2018/04/12(木) 23:59:11
>>343
>>花の関ビルの屋上の日立のネオン看板がシンボルね>>342

日立の前はKBCのネオン看板だったな…。

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  • 348
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  • 2018/04/13(金) 01:20:51
KBCのネオン?いつ頃の話?>>347

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  • 2018/04/13(金) 09:11:56
>>346
赤い風船がすでに一階にあった頃。
最上階だったかな。
観音開きのガラスのドアは部屋側に開けっ放しだったから
「KBC中洲スタジオ」の文字は廊下からは分からなかった。
文字はガラスに縦書きだったように思う。
奥行きはあまりなかった。
スタジオとしてはすでに使われていなくて物置みたいな感じだった。
8トラの機械も置かれていたような気がする。
花の関ビルの屋上にアンテナはなかった。
ネオンは日立だったよ。
「痕跡を見た」という感じがした。

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  • 350
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  • 2018/04/13(金) 09:55:43
丸善の帰りに向かいの明治屋を見ると
ここ、古い建物だからエレベーターも古そうだなと感じました。
店舗脇の入口から入ってみると
エレベーターのドアが開けっぱなしで扇風機が回っていて操作係の女性が座っていました。
蛇腹のドアでした。
明治屋の事務所のある階まで乗せてもらったあと
明治屋の社員の方にエレベーターのことを伺いました。
入居企業は明治屋の他に
相模ハム、三井農林も入っていました。

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  • 351
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  • 2018/04/13(金) 23:31:01
今泉に行ったら飲食店が急に増えていて若い客でごったがえしていた。

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  • 2018/04/15(日) 17:56:09
>>348
http://fukupedia18.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
花関ビル
福岡市博多区中洲4丁目/1954年/鉄筋コンクリート造7階建+塔屋/解体済

花関(はなのせき)ビルとは
かつて中洲の西大橋のたもとに存在した、戦後初期の複合ビルです。

開業当初は森永キャンデーストアが入居したほか、九州朝日放送(KBC)がテレビ放送を開始するまで
ここに本社を構えていました。

その関係でビル屋上に設置されたネオン看板には
当初KBCの文字が輝いていましたが、
晩年に看板が撤去されるまでは永らく日立の広告塔となっていました。

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  • 353
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  • 2018/04/15(日) 18:47:54
KBCがテレビ開局をしたときのパレード映像

https://www.youtube.com/watch?v=RsYqIJRVPQs


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  • 354
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  • 2018/04/15(日) 19:40:42
>>347,352
fukupedia、初めて見た。教えてくれてありがとう。
その上で。。。。でも、花の関の屋上ネオンが「KBC」だったのを実際に見たことある?
あるとしたら、多分1950年代だろなー。俺はまだ生まれていない。
私は、事情あって結構 花の関については詳しいのだがww、
fukupediaに花の関Bは54年に竣工とあるが、その前は玉屋に対抗したデパートの建物だった ともある。
で、KBCがここを本社としたのが56年から、なのだが。。。
私が訊いた話↓
「元々、花の関ビルは5階建てだったのを、2階分増築、そこにスタジオ等を作りKBCが入居。
屋上にもペントハウス(塔屋)と電波塔を建てた」
。。。なので。。たぶん。。54年に竣工したのは「7階建て」の花の関ビル。
あの巨大ネオンはビルの屋上(8階)とプラス1階(9階)分を覆っていた。
KBCがネオン出してたとしたら、当然入居中だけだろから、56年以降から59年までだろね。
因みに花の関ビルのエレベーターは、6人定員と狭く、スピードも超遅いエレベーターだったが
これも7階建てになっててからのムリヤリの追加付設(5階建てまではエレベーターの付設義務はなかった)なので。
KBCが長浜移転後もわざわざ子会社を作って花の関ビルを利用し続けたり
また同じ長浜隣接で新KBCビルを建てた(87年)のに、その子会社が新ビルに移らず
ビル取り壊し寸前まで花の関に居続けたのは、
退去時には7階のスタジオフロアーを更地にすること。。という契約時の条件があったため。
放送用の複数の本格的なスタジオや、当時西日本一立派なエコールーム(コンクリ壁の反響部屋)があり
なんせ昔のことだから、遮音のために途轍もなく厚い壁で覆ったり、
潜水艦のハッチみたいな鋼鉄製の録音スタジオのドアは、厚み30センチ重さ1トン以上あって、
それを取り外したり取り壊したりするだけで1億近く掛かるという見積もりがあって
ビルを出ようにも出られなかったらしい。

ここまで見た
  • 355
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  • 2018/04/15(日) 21:17:00
>>354
>>fukupediaに花の関Bは54年に竣工とあるが、その前は玉屋に対抗したデパートの建物だった ともある。

不二屋デパートですな、設立には許斐家(清酒花の関)が関わったとか。
ビルの竣工は元ネタで色々、↓では大正時代建築と書いてる所も有りますな・・・。

http://ib-sumai.jp/2013/03/sbi_0321_dm1324_1.html
花の関ビルは大正時代に建築されたもの。
その後、建て増しなどが行なわれ、地場企業・飲食テナントが入るなどしていた。

http://yokatetsu.yoka-yoka.jp/e676749.html
花関ビルは、大正15年築。昭和31年には建て増しが行われ、次第にいまの姿に。

>>元々、花の関ビルは5階建てだったのを、2階分増築、そこにスタジオ等を作りKBCが入居。

http://f360do.jp/FUBA2016/archives/2263
↑の4枚目に増築前の5階建ての花の関ビルが有りますな。

ちなみに3枚目には不二屋デパートの建物が有りますが、
不二屋当時は4階建て(一部5階)、花の関ビルは竣工時5階→8階建てに増築なので
大正時代に落成はいささか違うかと・・・。

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  • 356
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  • 2018/04/15(日) 23:30:17
ね、花の関ビルのネオンがKBCだったなんて、古い写真でも見たことないんだよねー。
353のYouTubeの映像にも映ってないんだから、fukupediaの記述も含めて、何かの間違いなんじゃないかと。。。
あと、花の関ビルは8階建てじゃなくて7階建てです。
増設時に敷設のエレベーターも7階までだったし、8階は屋上。
階段出口の上屋だけはあったし、そこに置いただけのペントハウスはあったけど。

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  • 357
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  • 2018/04/15(日) 23:56:18
昭和20年6月19日の福岡大空襲で、中洲一帯も焼け野原になったはずだから
大正15年落成の 旧花の関ビルも燃えたか、倒壊かしたんじゃないかな?
戦後すぐの中洲でいち早く立ち上がったのは玉屋と花の関ビルだった。。と聞いた。
5階建ての花の関ビルは31年竣工だから、それとはまた違う花の関ビル(不二屋?)だろうけど。

あと、花の関ビルの狭くて遅いエレベーターには、昭和55年ぐらいまで「エレベーターガール」が居たんだと!ww
あまりに遅くて狭いエレベーターなので、朝の出勤時間に1階で待つ入居会社サラリーマンが溢れるため
絶えずエレベーターを動かすためにビル会社(花の関物産)の女性(ガールとは言えないオバちゃん)が乗り込み操作していたとのこと。
「中洲広しと言えどエレベーターガールがいるのは玉屋とウチのビルだけ!」と自慢してたらしいww

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  • 358
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  • 2018/04/16(月) 00:23:45
あ、ごめんなさい。堂々と間違えてたw
訂正します。花の関ビルは8階建て、エレベーターも8階まであったし、
屋上は9階でした。。なので増設も2階じゃなくて3階分ね。
写真にあるように、窓があるフロアは7階までだけど
8階のスタジオフロアは遮音の意もあって窓なし。
8階と屋上のペントハウス2階分を覆い隠す大きな日立ネオンてことで。。。。

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  • 2018/04/16(月) 01:39:51
>>356
花関ビル
昭和32年 屋上ネオンはKBC
昭和34年 屋上ネオンはすでに日立

変化がよくわかるブログがありました。
なお、このころ私はまだ生まれていません。


https://blog.goo.ne.jp/mapfan01/e/bbc8ff703236a2272a5e804917c82151

ここまで見た
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  • 2018/04/16(月) 11:04:25
天神コア無くなるんだな。紀伊国屋と福家書店にはよく行ったな。
地下のトイレで両側から覗かれた事があってビビったw。
調べたら、そうゆう事だったのでそこは使わなくなった。

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  • 361
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  • 2018/04/16(月) 15:31:55
>>360
天神コア
「6階 紀伊國屋書店でございます」
エレベーターの客がドーッと降りる。

福家書店はアニメファンがよく通っていました。

地下のトイレって、ビブレに入る手前ですか?
そういうこととは知らずに利用したことがあります。
もっとも私の場合は福ビルのトイレが改造されてからは
福ビルの人の来ないトイレを利用して
エレベーターで地下やその他の階にある連絡通路からコアに入っていました。
コアのトイレは階段の踊場にありますね。
連絡通路も福ビルとの間にあって
夏場のビヤガーデンも天神コアと福ビルとでつながっていましたね。

ここまで見た
  • 362
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  • 2018/04/16(月) 20:18:45
先日、久しぶりに車で浄水通りを通った。
郵便貯金ホールは確かにマンションになっていた。
坂にあった喫茶店やレストランは殆んどが消えていたが
上り詰めた角にカカオロマンスが健在でホッとした。
浄水通りの地下にある水道管はボロボロだろうね。
もう取り外したのかな?

動物園を抜けて山の上ホテルの喫茶室で市内の景色でも眺めながらコーヒー飲もうとしたら
駐車場が坂を降りるように立体的に出来ていた。
ホテルの内部も改装されていて喫茶室も見あたらなかったので
きいたら
バーカウンターが昼間は喫茶コーナーになると言われた。
バーのカウンターでコーヒーをのんだ。
窓から六本松の九大教養部跡地にプラネタリウムが見えたので
そこに行くことにしてホテルを出た。
プラネタリウムは混んでいたので出直すことにした。

帰り道の城南線の道幅が狭く感じた。
もっと広い道という感覚だったよ。

草香江 「古書のまち」古本屋はなかったような。
あったのかな?

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  • 363
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  • 2018/04/16(月) 20:54:41
>>362
>>草香江 「古書のまち」古本屋はなかったような。

九大の六本松キャンパスの移転と前後して古書店はほぼ壊滅へ。
一番衝撃的だったのは葦書房の移転でしたな・・・。

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  • 364
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  • 2018/04/16(月) 23:06:04
10年ぶりに福岡に帰ってきた時、
浄水通り〜南公園近辺の変遷で俺が一番衝撃を受けたのは
泰星高校 が、福岡上智とか、えらい洒落た高校にやらなってたことww

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  • 2018/04/17(火) 00:45:08
>>361
>>ビブレに入る手前ですか
そうです。
福ビルとコアってB1、3f、8f、屋上で繋がってますよね?

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  • 366
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  • 2018/04/17(火) 07:15:04
コインを入れて体重を図る体重計が天神にあったという話題になったのですが、
覚えていますか?

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  • 367
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  • 2018/04/17(火) 07:49:03
>>366
ありました!
ロボット型で、私が知っていたのは西鉄名店街の通路

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  • 368
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  • 2018/04/18(水) 06:18:29
なんか、昔の国鉄の切符(西鉄のそれのように薄いペラペラではなく厚みのある切符)のようなのに体重が記載されて出てくるヤツだよねー自動体重計

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  • 369
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  • 2018/04/18(水) 08:22:56
FBS NOWに出てた川谷さんも見ないね。

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  • 370
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  • 2018/04/18(水) 10:14:37
>>369
故郷の大分で活動してるみたい
http://www.kawatani-kazuya.com/profile.html

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  • 371
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  • 2018/04/20(金) 22:03:42
>>368
西鉄のきっぷは
ペラペラのミシン目の入ったきっぷに
窓口の人が駅名と日付のスタンプを押していたね

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  • 372
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  • 2018/04/29(日) 17:32:07
どんたく 花電車

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  • 2018/04/30(月) 21:47:48
>>363
葦書房は10年くらい前に三和珈琲の裏手に移転して
2年前くらいの年末に店舗営業をやめてしまった。
今も早良区か西区で通販で古書販売はしてるみたいだが・・・
移転した店舗で閉店したときは西日本新聞の記事に出てた。
草香江近辺は15年前までは他に漫画メインの古本屋が
2つくらいあった

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  • 2018/04/30(月) 21:54:25
>>292
ポルノ映画館は15年前くらいにつぶれたかな
そのあとは名画座みたいな方面の取り組みしてたの
ニュースかなにかで紹介してた記憶あるが
今は聞かない辺り駄目だったか
KBCシネマが近くにあるし

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  • 375
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  • 2018/04/30(月) 23:39:48
郷土関係の出版は葦書房が多かった。
積文館や西日本新聞社のもあるけど。

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  • 376
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  • 2018/05/02(水) 11:29:39
古書の葦書房と郷土出版の葦書房は別会社だったらしいね
出版の方は「西の葦、東の津軽」と言われたくらい地方出版の雄だったが
社長亡くなった後は従業員と社長の奥さんとの内紛で
すっかり衰退
00年前後辺りの内紛時は西日本新聞の夕刊か何かで記事になってたな
今は郷土本やってるのは海鳥社とか弦書房かな

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  • 377
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  • 2018/05/02(水) 22:06:47
巌松堂が
出版と古書の小売りと両方やっている様なものだと思っていたよ。

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  • 378
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  • 2018/05/03(木) 01:12:59
古書の方は草香江で出版の方は赤坂で近いから
関係あるかと思ってしまうね。
今は知らないが出版の方のサイトに
「古書の葦書房と関係はありません」と
注意書きみたいなのが書いてたように思う
逆に古書のサイトの方に書かれてたかもしれないが

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  • 379
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  • 2018/05/22(火) 17:12:52
>>364
泰星も暁星や海星同様に伝統のある立派な校名なのにねえ

象のいない動物園は寂しい

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  • 380
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  • 2018/05/22(火) 20:08:00
昔の動物園は、象やらカバやらにエサをやってもよかった。
自宅の庭の木になるデコボコの夏ミカン(酸っぱすぎなのと苦味もあってとても人様は食べれない代物)を
ちぎって動物園に持参するのがたのしみやった。
象もカバも、うちの夏ミカンを噛み砕く時、目を顰めて酸っぱそうな表情をしてた。
時に象さんは涙流してたw

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  • 381
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  • 2018/05/25(金) 07:21:37
ゾウは園内をのっしのっしとお散歩していたらしいね。
ゾウだゾウ

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  • 382
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  • 2018/05/25(金) 19:24:58
ゾウもカバも危険ないきものだからな

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  • 2018/05/25(金) 19:39:04
懐かしの路線バス“復活” 西鉄110周年 
1950年代デザイン再現 “路面電車”風バスも 福岡県
http://www.tnc.co.jp/sp/news/articles/NID2018052501977(動画あり)

前身の「九州電気軌道」の設立から110年。
西鉄は110周年を記念して、懐かしいデザインを再現したバスの運行をはじめました。

1950年代に路線バスとして走っていた車両を再現したラッピングバス。
通称「青バス」と呼ばれていました。
車両の前面には懐かしい当時のロゴマークも取り付けられています。

西鉄は設立110周年を記念して、25日、福岡地区と久留米地区で
この特別仕様のバスの運行をはじめました。
車内には当時のバスや街並みのポスターも掲載されています。

また、北九州地区では1980年代の路面電車のデザインを再現したバスが
日曜日から運行されるということです。

【西日本鉄道株式会社 営業課 塩塚清隆課長】
「(利用者と)今までも深い絆を感じながら、これから先の120年130年と
強い絆をこれからも感じて、一緒に成長できたらと考えています」

また西鉄大牟田線では25日、特別デザインのラッピング電車の運行が始まりました。
ラッピングバス・電車ともに12月下旬まで運行されます。

ここまで見た
  • 384
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  • 2018/05/25(金) 20:27:52
戦後しばらく、玉屋デパート(東中洲)の屋上に動物園があったね。

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  • 2018/05/25(金) 20:45:37
>>384
わたしの生まれる前、今の動物園の場所に火葬場があった頃の話

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  • 2018/05/25(金) 23:46:02
>>383
あれは「青バス」だったのか!
丸っこい「西テツ」のバス。
貸し切りバスは薄茶色の塗装にこげ茶色の線が入ってたかな、
地味な感じだった。

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  • 2018/05/26(土) 04:41:08
>>384
映画館もあったってね

ここまで見た
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  • 2018/05/26(土) 14:35:10
>>384
玉屋の帰りに湖月のカレーか博多荘のワンタン麺

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  • 389
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  • 2018/05/26(土) 19:24:56
「西テツバス」には冷房がなかったので夏場の窓全開はもちろん天井のフタやフロントガラスの下のフタを全部開けて風を入れていた

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  • 2018/05/27(日) 00:01:09
>>389
それに排気ガスも悪かったし。

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  • 2018/05/27(日) 20:13:51
>>387
映画館もあった。
紅孔雀(ベニクジャク)見に行ったけど超満員だった。

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  • 2018/05/29(火) 18:36:27
今度の木曜は↓やね
https://www.fujitv.co.jp/unb/
次回オンエア・・・5月31日(木) 19:57?21:00

「見返りを求めず、恩は決して忘れない」そんなアンビリバボーな男の半生に迫る!

1950年、福岡県・中洲市場で食料品店を営む夫婦がいた。
川原俊夫さんと妻・千鶴子さん。
釜山で生まれたご夫婦は戦後、満州から引き上げてきて、この地で商売を始めていた。

俊夫さんは近所で火事が起こると真っ先に駆けつけ、また被害にあった人を
家に泊めてあげるなど困った人がいると放って置けない男だった。

そんな彼の口癖は「見返りを求めてはいけない。
そして人からしてもらったことは絶対に忘れてはいけない」というもので、
息子の健さんにとってはただのお人好しな父親であった。

そんな父がこだわったのが、本場韓国のメンタイを作ること。
実は日韓併合時代の韓国で生まれ育った夫婦にとって、メンタイは思い出の味であり、
特に妻・千鶴子さんはもう一度メンタイを食べたいと常々口にしていた。

しかし当時、日韓に国交はなく、取り寄せることできない。
俊夫さんは妻のためにも記憶を頼りにメンタイを作っては店に並べたが客の評判は悪かった。

それでも俊夫さんは諦めず改良を重ね、ついに10年の月日が流れた頃思い通りの味が完成!
しかし、店頭に並べても全くと言っていいほど売れなかった。

全く売れなかった明太子がなぜ博多名物になったのか?
明太子に人生をかけた男とその家族のアンビリバボーな誕生秘話とは!?

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  • 2018/05/31(木) 06:26:45
西鉄バスに一部だけ冷房車が登場したころ、冷房なしを見送って一時間も待ったことがある。

砂時計アラームタイマー
フリックラーニング
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