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  • 157
  •  
  • 2008/08/28(木) 11:08:52
TNCが百道に移ったあとは、制作会社のVSQが入ってたよね
ジャバネットたかた がテレビでやり始めた頃、今みたいに自社制作じゃなく
ダチョウ倶楽部なんかのタレントを使って番組作ってた時は、ここのスタジオで制作してたね
商品のビデオカメラの撮り方なんかを説明するとき、
この会館の前庭に出て高宮駅方面を映したりとかしてたの思い出します。
前世紀の90年代半ば頃の話w

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  • 158
  •  
  • 2008/08/28(木) 20:42:48
赤白のランドマークタワーがなくなるのは非常にさびしいです。
飛行機で福岡空港に着陸するときも見えるし、西鉄電車で高宮、平尾間を
走るときも自然に見えてた。解体される前にカメラと弁当持参で高宮浄水
場にでも遊びに行こうかなぁ。

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  • 159
  •  
  • 2008/08/28(木) 21:34:05

結局、放送会館が出来て、福岡支局が本局になった、と。

古い話だね。

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  • 160
  •  
  • 2008/08/28(木) 23:40:40
>>159
>>結局、放送会館が出来て、福岡支局が本局になった、と。

その通り。
(TNCの)放送会館が出来る前はTNC福岡送信所だったな。
>>158氏が書いている赤白のタワーはその頃から有った。

あのタワーは(放送用途では)日本では珍しいコンクリート製のタワーだったな。

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  • 161
  •  
  • 2008/08/29(金) 01:00:48
花の関ビルの屋上にあったペントハウス。
日立の大ネオンの陰になってた。
だーれも知らんよね、たぶんw

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  • 162
  •  
  • 2008/08/29(金) 01:27:57
>>158
西鉄電車の車窓風景で高宮付近といえばTNCのテレビ塔と
高宮八幡の鳥居が印象に残っていますね。
マンションが建ち並んでいつの間にか見えなくなってしまいましたが。
残るは風月の雪うさぎの看板くらいでしょうか。
夜になると目が赤く光ってもの悲しい感じです。

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  • 163
  •  
  • 2008/08/31(日) 19:40:01
西鉄電車の高宮から平尾間はピア高宮を始め、西側にたくさんのマンションが
建って高宮八幡の鳥居は電車からはみえませんね。
TNCのテレビ塔もすでに解体工事中のようで赤白の塔は二度と見ることは
できないようです。残念。

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  • 164
  •  
  • 2008/09/02(火) 19:57:17
高宮八幡っていうと、なんかの祭礼で参拝にいったらお菓子をたくさんもらったことがあったなぁ。
TNCは高宮駅との間で社員用の送迎バスが出てたね。青緑色のボディーだった記憶が。

>>162
♪ 雪うさぎ 雪うさぎ あなたのお目々は〜
悲しい歌詞を口ずさんで、もっと悲しくなってね。

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  • 165
  •  
  • 2008/09/03(水) 12:57:41
西鉄太宰府駅から九州国立博物館へと通じる通称「国博通り」に沿って流れる藍染川は
現在は小さな小川ですが、昔は川幅も広く水量も多かったそうです。
また、謡曲「藍染川」の舞台としても知られています。

その昔、天満宮の神官・中務頼澄が京に上った際、京の女性・梅壺と恋仲になります。
太宰府に戻った頼澄に会おうと、彼女も太宰府へと下りますが、その願いは果たされず
悲嘆に暮れた梅壺は、藍染川に身を投げてしまいます。
それを知った頼澄が天神様に祈ったところ、梅壺は生き返るという物語です。
川のすぐそばにある光明禅寺の脇に梅壺侍従蘇生の碑が祀られています。

天満宮本殿を通り過ぎ、北へ向かって歩くと、梅の木を囲むように立ち並んだ数軒の茶屋が出迎えてくれます。
北神苑の一番奥にある「お石茶屋」は、地元でよく知られた名物茶屋で
シンガーソングライターのさだまさしは「飛梅」という曲にお石茶屋を歌い込んでいます。

“太宰府の お石の茶屋に 餅くへば 旅の愁ひも いつか忘れむ”
歌人・吉井勇も歌に詠んだ「お石茶屋」。
その奥にある赤煉瓦作りのトンネルが、通称「おイシしゃんトンネル」です。

その美しさと気風の良さで筑前三大美人の一人と言われた初代店主・江崎イシ。
他県からも彼女を目当てにたくさんの人が訪れ、文化人や芸能人、政治家なども数多く立ち寄りました。
「おイシしゃんトンネル」は、イシが自宅から遠回りせずに店へ通えるように、と
飯塚の炭鉱主・麻生太吉が掘ってあげたものとの一説もあります。
真相は竈門神社の参拝者や宝満山登山の人のために作った、ということですが
そんな噂を流されるほど、イシの人気が高かったことがうかがい知れます。

お石茶屋の横を通り抜けると目に飛び込んでくるズラリと並んだ鮮やかな赤い鳥居。
そこをくぐりながら、石段を一歩ずつ上っていくと、ひっそりと静まりかえった小さな境内が姿を現します。
九州で最も古い稲荷神社とも言われる天開稲荷です。
拝殿には十二支の大鈴が吊るされており、自分の干支の鈴を鳴らしてお参りすると、良いことがあるとか。

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  • 166
  •  
  • 2008/09/03(水) 17:02:42
>165

このトンネルのすぐそばに昔は吊橋がありましたよね。
昭和50年代初頭のころまでは存在していたと記憶しますが
いつのまにかのうなってしもうた・・・
子供の頃は参拝よりも、この吊橋に連れて行ってもらう方が楽しみでした。

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  • 167
  •  
  • 2008/09/03(水) 20:45:23
お石茶屋は、麻生太吉っつぁんの他、国鉄時代に二日市の駅長だったノーベル平和賞元総理佐藤栄作さんが通ってたという話も残ってるよね。
よっぽど魅力的な女性だったんでしょうね<<お石さん

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  • 168
  •  
  • 2008/09/03(水) 21:40:09
俺の聞いた話では、トンネルは当時の福岡県知事が自分が通うために造らせたって話だったような...
小学生の時の遠足の時に聞いた話しなんで定かでないけが...
梅の咲く頃に梅が枝餅でも食いに行きたくなった。

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  • 169
  •  
  • 2008/09/04(木) 00:02:29
>>166
平成一桁にはまだ吊橋はありました。
吊橋を渡ると小さな茶屋が2軒ばかりあって
そのうちの一軒の中に入ると店の人が「久し振りにお餅焼いた」と言っていました。

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  • 170
  •  
  • 2008/09/09(火) 16:38:02
だざいふえんにそのうち行ってみたい。もう20年以上行ってない。
今はだざいふ遊園地というらしいが、小さい子供はそれなりに楽しめる
と思う。入園料も大人4〜5百円で手ごろ。
小学生の頃は遠足で来たなぁ。

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  • 171
  •  
  • 2008/09/09(火) 22:14:56
>170
良く言えばレトロな遊園地とも言えるが、はっきり言えばボロくて老朽化が進んどうね。
ま、40歳以上の世代から見ればノスタルジー的に視点ではそれが魅力と言えば魅力と言えんことも無いばってんが。
バズーカ砲の弾とか野球の軟球やけど、表面が擦り切れまくっとって、ある意味感動的。
この前ガキ連れて行った時にも思ったばってん、
「おっ、この弾、ひょっとして30年以上前に俺が撃った球と同じかも知れん・・・」
とか考えると感慨深いもんもある。
いつの間にやらリフトも無うなっとうし、遊具としての魅力はほとんど無い。
西鉄もどっちかて言うたら香椎花園の方に力入れとっちゃろ。
ただ、ジェットコースターだけは数年前に新調されとうね。(どっかの遊園地の中古?)
昔のここのジェットコースターは本当にレールから外れて飛んでいきそうなボロさで
その意味ではどこぞの絶叫マシンよりもよっぽど恐ろしかった(笑)。

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  • 172
  •  
  • 2008/09/09(火) 23:21:28
>>171
>>西鉄もどっちかて言うたら香椎花園の方に力入れとっちゃろ。

そっち(香椎花園)もあんまり力は入れてない。

周りにマンションも増えてきたし、
元の香椎球場の有った所は今は香椎浜から移ってきた
モータウン(中古車の展示場)に変わった。

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  • 173
  •  
  • 2008/09/10(水) 09:41:12
北九のいとうづ遊園のように切捨てられなければいいね・・・
西鉄は何でもバッサバッサ切るから。

確かに太宰府園や香椎花園は遠い記憶の彼方にある懐かしの遊園地。
幼稚園の遠足で行った時のかすかな記憶があるし、写真も残ってる。
小学生までは数回訪れただろうか、その後は自然と足が向かなくなり、気がつけば忘却の彼方。

変な話、自分は最近まで香椎花園の場所を知らなかったのだ。
たまたま車で通り過ぎた時に遊園地を発見、それが幼少期に行っていた香椎花園だと知る。

理由1 住宅街の奥まった所にあるため、海岸線からしか見えない
理由2 幼児の頃の記憶なので場所の認識ができてなく、長じて自分で行ったことがないまま記憶から消える

貝塚公園も幼稚園の遠足で行った記憶が残ってる。
雁ノ巣レクレーションセンターには秋の芋ほり遠足で行った。

その頃、海ノ中道は現在のような立派な道路ではなかったことを知る人は少なかろう。
細くて心細いばかりの、かろうじて舗装された道のすぐそばまで波が打ち寄せる
海の中の細い一本道だった。幅3m程度、アスファルトで固められた道の周りはわずかな砂浜。
走る車の両側にザブンザブンと波が来る衝撃的な光景が記憶にある。
もともと浅瀬に引き潮の時だけ出来る自然の道だったらしい。

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  • 174
  •  
  • 2008/09/11(木) 21:53:00
貝塚公園は私も小学校の遠足で行った記憶があります。
昔から飛行機がおいてあった。生まれてはじめて乗った飛行機が
貝塚公園の飛行機でした。

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  • 175
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  • 2008/09/12(金) 13:38:52
現在の福岡県庁の建物は亀井光知事の時に建設された
ちなみに亀井知事の娘婿は太田誠一農水大臣

福岡県庁は3棟あって、上空からみると
六角形(亀の甲羅型)のビル、井桁のビル、屋根にソーラーシステムのビル
つまり「亀」、「井」、「光」をイメージしていると当時問題になった

これ豆知識な

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  • 176
  •  
  • 2008/09/12(金) 13:57:45
>>174
競輪場のことか?

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  • 177
  •  
  • 2008/09/12(金) 14:35:27
>>174
昔はあの飛行機の中入れましたよね。
イタズラが多かったのか
そのうち閉鎖されて入れなくなったけど……。

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  • 178
  •  
  • 2008/09/12(金) 16:48:25
昔、西公園の下の海岸は砂浜と干潟があって楽しかったよ。すぐ近くに住んでいたので
夏は毎日海水浴(フルチン)。アサリも獲り放題(ちょっとオーバー)。別の岸壁では
釣りができたり、ワタリカニもよく獲れていたよ。50年くらい前の話だけど。

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  • 179
  •  
  • 2008/09/12(金) 19:09:58
貝塚公園は昔は船もあって、
交通公園の名に恥じぬよう陸・海・空のそれぞれの乗り物が展示してあった。
もっとも船があった頃は単に「貝塚公園」と呼ばれており
交通公園とは言ってなかったと思う。
いつの間にやら船が撤去されて陸・空の乗り物だけになっしもうたな。
船は巡視艇か何かの廃船となったヤツで今で言う大型クルーザーくらいの大きさやった。
外装が赤やったような気もするので消防艇やったかもしれん。
昭和50年代中ごろまでは存在しとったと思うが・・・

汽車も現在はブルートレインが繋がれとうけど、
昔は茶色の旧型客車で今よりもずっといい雰囲気があった。
SLにブルートレインは似合わんばい。

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  • 180
  •  
  • 2008/09/12(金) 20:51:44
>>173
そうそう、海の中道ってその名の通り海の中の道路だったですよね。
子供ながらに、すげーーーっこんな近くに海、それも両方!って
驚いた記憶があります。台風や波高い日には
昔は渡れないような道だったですよね。なつかしす。

大宰府園は小学校低学年までなら、十分楽しめますね。
まだ、奥のプールはあるんかなぁ?井戸水なんで、真夏でも
冷たかった・・・。別の意味で怖いジェットコースター。
100円玉を沢山持って(10枚ちょっと)、子供に今日はこれだけよ!って
言うと納得して遊んでくれます(笑)。

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  • 181
  •  
  • 2008/09/12(金) 22:06:33
>>173>>175のような「豆知識」(海中も亀井県庁もどっちもみんな知ってるとは思うがw)と
「公園」ネタを絡めたものを私も一つ----
今年で活動休止するという、サザンオールスターズ・・・
彼らと、レゲエの大御所「サードワールド」が、
まだポタ山がある頃の小戸公園で野外ライヴ、夢の共演を果たした。
俺は、それを舞台裏=海上から見てたよ・・・
両バンドともステージ裏にスタンバイするのにヘリと超大型クルーザーを使ってたのに
度肝抜かれた・・・・
まだバブルの時代を迎える前だったけど、よくやったもんだよね・・・

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  • 182
  •  
  • 2008/09/12(金) 22:19:28
小戸公園の一角に壊れかけた小さな小屋があって、何とそれは
火葬場だった。それにつけてもナイルのカレーが食べたい。

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  • 183
  •  
  • 2008/09/13(土) 02:40:44
本物の湖月のカレーば、食いたか。

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  • 184
  •  
  • 2008/09/13(土) 07:57:45
>>181
そういえば昔は小戸公園で野外ライブがあってましたね。
チャゲアスがやったこともあったような。

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  • 185
  •  
  • 2008/09/13(土) 09:34:54
ここで質問するのが適当かどうか判りませんが、

福岡市内に一業種だけが集中する問屋街的な町はありますでしょうか?
古書店街、仏壇屋街、生花問屋街、駄菓子問屋街、などです。

かつてあった。という情報でも結構です。御教示ください。

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  • 186
  •  
  • 2008/09/13(土) 10:55:03
>>178
西公園にも幼稚園の遠足で行った。公園から下を見下ろすとすぐ下は海だったな。
唐人町から海へ向かう道路も川で、くねくねした細い路地しかなかったよね。(それは今も残ってる)
>>180
子供心には「すげー!海の真ん中を車で走ってる!コワー!」だったよね。
>>181
海中の昔の姿は最近は知らない人の方が多いよ。あの辺も余所者が多くなったから。
>>182
それは凄いね。田舎の方では昭和40年代までは海岸など集落の外れや墓地に簡単な焼き場があって
地域住民が重油をかけて遺体を焼いていたという話も年配者から聞くから、そういうものかもね。

川端ぜんざいと湖月のカレーと中洲の木造映画館は父の思い出話にいつも登場する。給料1500円の丁稚奉公時代。

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  • 187
  •  
  • 2008/09/13(土) 16:30:55
>>183
>>本物の湖月のカレーば、食いたか。

今の湖月のカレーは・・・
店をたたんでしまったオーナーが秘伝のレシピを
あちこちに売り歩いている状態だからなぁ・・・

>>185
>>福岡市内に一業種だけが集中する問屋街的な町はありますでしょうか?

福岡は大阪みたいに一業種だけが集中する問屋街的な町は
あんまり無いが実情か・・・
しいて言うと、

古書店街・・・六本松、箱崎の九大のキャンパス周辺

仏壇屋街・・・川端の商店街界隈(と言っても数店だが)

生花問屋街・・・福岡は近隣の農家が花・野菜等を持ち込んで
          商売するような土地柄。
          西新のリヤカー部隊等を見ていただければ分かるかも。

駄菓子問屋街・・・綱場(現在の須崎町・古門戸町辺り)の問屋街に
           幾つか店が有った。
           (現在も営業している店も有るが・・・)

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  • 188
  •  
  • 2008/09/13(土) 19:25:39
須崎問屋街といあ呼称があるぐらいだからね。
古書は上記の通り、九大周辺になるワケだけど
大名紺屋町辺りにも数軒あったよね。
今も大きなのが1件残ってなかったっけ?上久醤油の前辺りに。。。
仏壇は、すぐ近くに一大生産地の八女広川を抱えてる大消費地だから
全国的に有名な、はせがわ や 老舗の梅田仏壇店、新興のみどりや などなど
数店だけど多士済々な店舗を揃える川端は、仏壇商界に於いてのポテンシャルがかなり高いはずw
駄菓子は、綱場の 玩具問屋-遠藤商会に尽きると思う。
生花は、流通センター付近の、福岡花卉市場 に行けば、卸も小売りもしてくれるはず。
かつては、下川端や清川に大型老舗が存在してたけど。

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  • 189
  •  
  • 2008/09/13(土) 21:05:18
タモリは中学生の友達と百道の海岸を走ってた時
転んで片目を怪我した。それ以来 黒メガネ

これ豆知識な

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  • 190
  •  
  • 2008/09/14(日) 07:04:28
>189
斜視やけんサングラスかけとうて言う話聞いたことがあったばって、
そりゃガセやったっちゃね。
それとも、その怪我がもとで斜視になったとかいな?

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  • 191
  •  
  • 2008/09/14(日) 08:46:41
片目は見えないはず

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  • 192
  •  
  • 2008/09/16(火) 10:58:52
昨日、15年振りぐらいに 放生会 行ってきました・・・
サザエさん症侯群が著しい連休最終日の夜というのに、凄い賑わいでした。
見世物小屋も健在・・昭和の時代にトリップした感覚になった。
学生の頃、友達に良いバイトがあると連れられて行ったら、
その事務所が箱崎の大鳥居の前。平●総業というテキ屋さんの元締めの組ww
放生会で甘栗売る仕事・・お金箱にしてた洗面器の中に次から次に千円札が溜まった。
甘栗だけで1日三桁万円になることもあった・・
一日終えて片付けしてると、組の若い人が廻って来て洗面器を受け取り、
その洗面器の中にガバーと手を入れて、札をワシづかみ、
「お疲れ〜」と行って、日当をくれた。
一掴み千円札だけで20-30枚ぐらい有り、時には、その中に1万円札がまじってることもあるから
実に、割のいいバイトだった。
でも堅気な私らとしては、さすがに次の年からは遠慮したけど・・・

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  • 193
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  • 2008/09/16(火) 22:44:51
放生会は9月12日〜18日の7日間という長いスパンで行われる全国的にも数少ないお祭りです。
参道一帯には約700軒もの露店が並び、今では珍しくなった「お化け屋敷」「見世物小屋」なども楽しめるのが
放生会ならではの醍醐味です。
今のように娯楽がなかった時代は、子供にとっても一大イベントでした。
学校から帰ったら露店の地球ごまやブリキのポンポン船、射的などで遊ぶ子供達の姿がありました。

筥崎宮の放生会は「万物の生命を慈しみ、殺生を戒める」神事。
食べ物を含め、生きものすべてに感謝するというもので、同時に実りの秋に感謝し、商売繁盛や家内安全を祈る神事でもあります。

その始まりは、建仁寺(京都府)の記録に残っているように「延喜19年(919年)筥崎宮放生始」。
これは、筥崎宮が現在の場所に移る4年前のことです。
当時、筥崎宮は嘉穂の大分(だいぶ)という山の中にあり、海や川にも遠く、放生(生きものを放つ)に
便利が悪いということもあって、延長元年(923年)箱崎に移されたのです。

明治の神仏分離で、放生会は「仲秋祭」と改められましたが、地元の人々は以前通り「ほうじょうや」と呼んでいたことから
戦後「放生会」の名で復活しました。昭和31年の大祭から、鯉や鳩の放生神事が執り行われるようになり
博多の三大祭として親しまれています。

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  • 194
  •  
  • 2008/09/16(火) 22:45:36
放生会の期間中、祭り好きの博多の人は、家族や店、町内などで寄り合って、がめ煮、なますなどの料理や
食器などを長持ちに詰め、筥崎宮へ参詣し、「幕出し」を楽しんでいたそうです。
「幕出し」とは、筥崎宮一帯に広がっていた松原に、家族・町内単位で幕を張り出し、宴を楽しんで過ごすこと。
明治・大正時代には期間中200組が行ったともいわれています。

戦前の放生会には、山笠を陰で支えてくれた“ごりょんさん”(博多の商家のおかみさん)たちの労をねぎらい
着物を新調するという風習がありました。
「人を見るなら宰府(太宰府)の祭、着物を見るなら放生会」ということわざもあるように、放生会はちょうど衣替えの季節。
女性達は、新調した着物(放生会ぎもんと呼ぶ)を披露し、祭りを楽しんでいたそうです。
女性はなかなか外に出かける機会がなかった時代にあって、女性の貴重な楽しみであったことがうかがえます。

秋の味覚も出回りだすという博多ならではのことわざで「梨も柿も放生会」という言葉があります。
忙しい時を表す言葉としても使われていました。
このように、秋の訪れを告げる祭りなので、着物は「薄物」から「単衣物」に替えるのが博多の習わしで
浴衣や絽で放生会へ出かけるのは本来はNGです。

昔は、この辺りの特産品として生姜が栽培されていました。
秋とはいえ、暑さが残る時期、滋養強壮のためにと、ごりょんさんらが、放生会詣での手土産として
新生姜を必ず買って帰ったということです。

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  • 195
  •  
  • 2008/09/16(火) 22:46:41
博多に伝わる玩具など、伝統の技に触れ合えるのも放生会の魅力の一つです。
名物の「放生会チャンポン」は江戸末期、小川宇平という人がビードロ細工を真似て作り
放生会に出したのが始まり。高度な技術を必要とするガラス製品だけに、貴重な玩具だったそうです。
粗悪品が出回るなどして、大正時代に姿を消しましたが、「復活させたい」との先代宮司の想いに共感した
小川勝男さんが、昭和46年に復活させ、再び放生夜の名物になりました。
粗悪品が出回った時期にはブリキで出来た珍しいチャンポンも登場したそうです。

近年人気なのが「放生会おはじき」。直径2cmの素朴な土のおはじきで、博多人形師団体「白彫会」(はくちょうかい)が
毎年のテーマに合わせて、博多人形の作り方同様に一つ一つ丁寧に仕上げたもの。
昭和54年の作品展で発表したところ、好評のため翌年から放生会に合わせて製作するようになりました。
当時はチャンポンが主流だったので、売れ残っていたのですが、平成6年から限定販売(初日午前8時から)になり
以来、徹夜組もでるほどの人気になりました。

ここまで見た
  • 196
  •  
  • 2008/09/17(水) 07:29:39
放生会と言えばチンチン電車に乗って行きよった頃が懐かしい・・・・
参道を横切る当時の軌道跡のバス専用道を見るたびに思い出す。

ここまで見た
  • 197
  •  
  • 2008/09/17(水) 13:43:27
路面電車が7円とか13円、往復で25円だった。

ここまで見た
  • 198
  •  
  • 2008/09/18(木) 00:21:10
うそ?w
ハガキの切手代が、そんくらいやった時代は覚えとりますが
電車代がそんくらいとは・・・・
大先輩ですなw
戦前生まれの方だとお見受けいたしまする・・・>>197

ここまで見た
  • 199
  •  
  • 2008/09/18(木) 01:19:30
>>197
>>路面電車が7円とか13円、往復で25円だった。

>>198
>>電車代がそんくらいとは・・・・

俺もあまり覚えていないが、
チンチン電車の運賃が片道13円、往復25円は
1961(昭和36)から1964(昭和39)年頃だったと思う。

その後に1回乗り切り制になって往復運賃がなくなり、
15円→20円・・・35円(1972年頃)→オイルショックで60円に
1975年の貫線・城南線廃止後は80円に上がった。

(※運賃の金額は、すべて大人の分)

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  • 200
  •  
  • 2008/09/18(木) 07:19:19
オイルショックで電車賃が60円になったとき、大人60円 小人30円になった。
35円の時代は大人も子どもも一回35円だった。
その当時、小学校の担任の先生が「若い頃は片道1銭五厘だった」と回顧されていた。
タクシーの初乗りが140円で30円刻みだったころだったが
その後、タクシーも値上がりした。
メーターの金額を見て運転手さんが換算表を照合して値上げ後の金額を請求していた。

びっくりしたのは「サッポロ一番」が35円から80円(60円?)になってしまったこと。

国鉄の初乗りが倍になったのにはびっくりしたが、オイルショックより少し後の出来事だったと思う。

ココアの缶が紙容器になったりもした。

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  • 201
  •  
  • 2008/09/18(木) 12:27:08
西鉄電車も私が小学生の頃は最短区間で大人20円子供10円でした。
高学年の頃大人30円、子供15円になった。当時は自動改札もなし、切符の
発売機もないので、窓口で福岡まで子供1枚、と言って15円払い、
改札でおじちゃんにハサミを入れてもらって電車に乗ってました。
西鉄バスもボンネットバスがまだまだ走ってたような気がします。

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  • 202
  •  
  • 2008/09/18(木) 18:02:00
>198さん
1943年(昭和18年)生まれです。

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  • 203
  •  
  • 2008/09/18(木) 18:42:01
西鉄バスの草創期のワンマンカーには車掌さんが乗っとって、
中ドア横で整理券を手渡ししよった記憶のある。
今思うとテスト運行やったっちゃろうね。
降車ボタンも「ピンポ〜ン」やなくて、愛想なく「チン」てだけ鳴りよったなあ。

肌色と緑のボディー色だった昭和40年代初頭ころの話。

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  • 2008/09/18(木) 19:48:42
>>202
ご丁寧にご回答頂き、ありがとうございます。
私の一世代上の大先輩でいらっしゃいますね・・・
また、昔話、懐かし話、福博豆知識・・等々、
ここで御披露頂ければ幸いでございます。
何卒、よろしくお願いします。

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  • 2008/09/18(木) 23:41:57
西鉄バスじゃなく「西テツ」バスねw

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  • 2008/09/18(木) 23:47:10
>>203
>>今思うとテスト運行やったっちゃろうね。

福岡市内でワンマンバスが最初に入ったのは
5番(現在の68番・当時は給油センター止まり)と市内循環の6番。
本当のテスト運行で現行の前降り中乗り制に加えて
前降り後乗りのバスも有った。

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  • 2008/09/18(木) 23:58:40
追記で、
今日、仕事の合間に、にしてつの100年展に行ってきた。
http://www.nishitetsu.co.jp/100th/event/event004.htm

会場の中心にデンと据えられた昭和36年ごろの天神のジオラマ
(チンチン電車も走っている芸の細かさ!)は或る意味圧巻だった。
落成当初の福ビルの屋上に有った幻のヘリポート※も再現されていたな。

※福ビルと福岡空港との間を西日本空輸の
 ヘリコプターで結ぶ計画(実現せず)が有った。

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  • 2008/09/19(金) 07:50:29
にしてつの100年は、門司折尾間から始まっているんだ。
本社も、前半は小倉、後半は福岡、色々考えさせられます。

フリックゾンビ
フリックラーニング
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